詩話 (28)     
  曹操・乱世の姦雄

曹操(115〜220)。三国魏の武帝,字は孟徳。三国志での怪物である。曹操・乱世の姦雄融知られる。政略に富み詩文にすぐれていた。現存する詩文は百五十。詩三十篇。青年時代の曹操は,鷹を飛ばし,狗を走らせる京樂の生活を送りながら,猛烈に勉学にはげんだ。特に諸家の兵法書を読破し『孫子』に注している。

諸葛孔明が『智計は人に殊絶し,その用法は孫呉を髣髴する』と言い,曹操の勉学が本物だった,事情を示す。曹操の詩は「槊を横たえて詩を賦す」と言うように,慷慨し,壮大な気象にあふれる。

酒に対しては当に歌うべし。人生は幾許ぞ。
譬えば朝露の如し。去日苦はだ多し。
慷して当に以って慨すべし。憂思忘れ難し。
何を以って憂いを解かん。唯杜康有るのみ。
但君が為の故に,沈吟して今に到る。
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月明らかに星稀に,烏鵲南に飛ぶ。
樹を遶ること三匝,何れの枝にか倚る可き。
山は高きを厭わず,海は深きを厭わず。
周公哺を吐きて,天下心を帰す。

「月明星稀,烏鵲南飛」は蘇東坡の前赤壁賦に引用された,名句である。中国語に「説曹操。曹操到」がある,「噂をすれば影がある」。嫌われ者がやって来る。曹操は「三国志」きっての嫌われ者である。三国志の中で徹底した悪役に仕立てられる。食うか食われるの乱世を生きる為には,下手な情けは禁物である。

旧知の家に泊った夜,刀を研ぐ音を聞き,自分を殺すのかと疑い,家人を皆殺しにする。誤解と解り悲嘆と後悔にくれ『むしろ我,人に背くとも,人の我に背くなからんことを』と考え,気を静めたと言う

曹操が魏の武帝となり,匈奴の使者を引見をしようとしたが,自分は風采が上がらず,遠国を充分に威圧することが出来ないと考え,崔季珪を身代わりにたてた。崔季珪は声も姿も気品があり,眉目秀麗,豊かな顎鬚もたくわえ,威厳があった。曹操自らは刀を持って王座の傍らに立った。会見が終わり間諜をやって尋ねさせた。
「魏王はどうだった。」
匈奴の使者は答えた。
「魏王は押し出しが実に立派だ。しかし,王座の脇で刀を持っていた人,あれこそ英雄だ。」曹操はこれを聞くと,追ってを出してこの使者を殺させた。

魏の武帝,曹操は行軍の途中,水の有る所を見失った,全軍の兵士達は皆な喉がかわいた。すると,曹操は「前方に大きな梅林があって,甘酸っぱい実が一杯なってあるぞ,それで渇きがいやされるぞ。」兵士達はそれを聞くと,みな口の中に唾が沸いてきた,そのおかげで,前方の水源まで辿りつくことが出来た。

魏の武帝,曹操は何時も言っていた。
『わしが眠っている時には,むやみに近寄ってはならぬ。もし近寄った者があれば,ただちに斬るが,それは無意識にやることだ。近侍の者ども,くれぐれも注意するように。』
その後,曹操が眠るふりをしていると,寵愛している一人が,そっと蒲団をかけた。その途端に切り殺してしまった。それからは,曹操が眠っているあいだは,近侍の者は誰一人として近ずかなかった。

魏の武帝。曹操のところに,一人の妓女がいた。その声は澄んでいたが,性格はひどく悪かった。殺してしまおうかとも考えたが,その才能が惜しい,そのままにするにも,我慢がならぬ。そこで百人の妓女を選んで一斉に歌を習わせた。暫くすると,期待にたがわず,歌声がその女に引けを取らぬ者を見つけた。そこで早速,性格の悪い女を殺した。

魏の武帝。曹操のところに「楊徳祖」と言う「主簿」がいた。時に丞相府の門が建造されたが,たるきが組み上がった時,曹操は,図らずも,それを見に出かけ,人に命じて門の扁額に「活」と言う字をかかせ,さっさと立ち去った。楊はそれを見ると,すぐさま門を壊すよう言いつけ,壊し終わると,言った。「門のまん中に『活』と書けば『闊』と言う字になる。王は門の大きいのがお嫌いなのだ。」

ある人が魏の武帝,曹操に酒壷一杯のヨーグルトを贈った。曹操は少し食べると,ふたの上に『合』と言う字を書いて,みんなの者に見せた。人々は誰もどういう意味か解らなかった。ヨーグルトは順送りに送られて,楊脩のところに廻されて来た。楊脩は,さっさと食べて言った,「みなに一口ずつ飲めとの仰せなのだ。何も躊躇することはない」
『合と言う字は「人」「一」「口」とから成っている。』

苦寒行
北のかた太行山に上る,艱なるかな何ぞ巍巍たる。
羊腸の坂詰屈たり,車輪之が為に摧く。
樹木何ぞ蕭瑟たる,北風声正に悲し。
熊羆我に対して蹲り,虎豹路を挟んで啼く。
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彼の東山の詩を悲しみ,悠悠として我をして哀しましむ。


曹操には,お気に入りの妾がいた,何処えでも連れて行った。昼寝をすると言い,その膝を枕に横たわり「しばらくしたら起こせ」と命じておいた。妾は曹操がぐっすり寝ているのを見て,すぐには,起こさなかった,曹操は一人で目を覚ましたあと, 妾を撲殺した。

ある時,討伐に出かけた。食料が足らなった。こっそり主計官に「どうしょう」と相談した。主計が言う「桝目を小さくすれば足ります」曹操「よし」 やがて軍中に,魏の武帝,曹操が兵隊を騙していると言う噂が立つ。曹操は主計官に『手段は一つ。貴殿の命を借りて皆をなだめたい。』そう言うなり,切り殺した。その首を取ると,張り紙をして軍中にみせて廻った。「この者は,桝目を小さくして官の米を盗んだ。よって軍門にて斬罪に処した」と書いて貼りつけた。

魏の武帝。曹操の残酷と詐術はすべてこのようである。必要とあれば,非情なことは,なんでもやってのけるところに,曹操の「屈強倨傲」を見る。



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