千秋詩話  (29)
  詩人有写物之功。桑之木未落。

  (蘇東坡。詩人の描写能力についての評論。)

詩人は物を描写する技倆をもっている。桑の葉が未だ落ちないぬちは、その葉は柔らかく美しい。  ( 『詩経』衛風・氓 )

桑の木を他の木に置き換えることは、殆ど不可能である。林逋の「梅花」の詩に、まばらな影が斜めに横たわって、清らかな浅瀬に映り、かすかな香りが月の沈もうとする淡い黄昏の中を揺れ動く. 『山園の小梅・二首』)

有るのは、決して桃や李の詩ではない。皮日休の 「白蓮」の詩に、心を持たないかのような、深い恨みを抱いたようなその花は、誰にも気ずかれないが、月が消え残り 風がすがしく、吹きわたる明け方、散りかける姿こそ無上に美しい。

(陸亀蒙・『襲美の木蘭の後の池三詠に和す。白蓮』)これは決して紅蓮の詩ではない。これが描写の技量と言うものであろう。

石曼卿(石延年)の 「紅梅」の詩に、桃だと認めるには緑いろの葉が無いし、杏だとするには、青い枝がある。とあるのは、ひどくまずい表現である、言うならば、田舎の学校で作るような詩である。

東坡先生全集。題跋。。。。。。。。『書き留めて過に送り届ける』過⇒蘇過。(1072〜1123)  字は叔党。蘇東坡の第三子。蘇東坡が晩年に謫せられて恵州の各地に遷った時、一人従った。蘇過は文才があり、書画をよくし、「小坡」と称される。


詩人有写物之功。桑之木未落。其葉沃若。他木殆不可以当此。林逋梅花詩云。疎影横斜水清浅。暗香浮動月黄昏。決非桃李詩。皮日休白蓮詩云。無情有恨何人見。月暁風清欲堕時。決非紅蓮詩。此乃写物之功。若石曼卿紅梅詩云。認桃無緑葉。弁杏有青枝。此至陋語。蓋村学中体也。
元祐三年十二月六日。書付過。
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{訳文}
詩人の物を写すの功有り。。「桑の未だ落ちざる、其の葉、沃若たり」は他の木、殆ど以て此に当る可からず。 林逋の「梅花」の詩に云う、「疎影は横斜し、水は清浅、暗香は浮動し、月は黄昏」と。決して桃、李の詩に非ず。皮日休の 「白蓮」の詩に云う、「無情、友情、何人か見ん。月暁、風清くして堕ちんと欲するの時」と。決して紅蓮の詩に非ず。此れ乃ち物を写すの功なり。石曼卿の 「紅梅」の詩に、「桃と認むれば緑葉無く、杏と弁ずれば青枝有り。と云うが若きは、此れ至って陋語にして、蓋し村中の体なり。元祐三年十二月六日、書して過に付す。

元祐三年(1088)十二月六日、以上、書き留めて過に送り届ける。

☆文章で十字で言う所は、一字で意を尽くす。 
これに就いて面白いお話を紹介。宋代の有名な蘇東坡が恵州にいた時、恵州中の某潭中に蛟がおると言う評判がたった。然し誰も信じない。蘇東坡も信じない。所がある日、虎が水を飲みに行ったところを捕えて食ったので、始めて風説が嘘では無かったことが知れたとのこと。

その時、東坡は十字で之を写した。その詩。 潜鱗有飢蛟、掉尾取渇虎

この句、すでに渇くと言う、虎が水を飲むために災いを招いたと言うことが分かる。と説明している。すでに飢と言う、虎のような猛獣をまで食ったと言うのであると、解説までしている。食ったのが嘘か誠かは問題では無い。平生この調子で詩を学べとも言う。因みに虎の味までは書いていない。

☆蘇東坡が望湖楼に登った時
満湖の風雨が非常な勢いをしてきたので、東坡は興に乗じて”黒雲翻墨未遮山、白雨跳珠乱入船”と 口号した、ところが三句が出来ない。頻りに沈思しているうちに雨はいつのまにやんだ。一碧の水光、恰も天の如し、この時、何處からともなく東坡の耳に響いたのは、望湖楼下水如天と言う一句だった。

そこで東坡は悟った、転句はあくまで転せねばならないもので有ろうかと、筆を執り巻地風來忽吹散の句を挟んで一絶を作った。其の詩、”黒雲翻墨未遮、白雨跳珠乱入船、巻地風來忽吹散、望湖楼下水如天。”

この詩、前二句は、陰であり、雨である。結句は陽であり、晴である。陰陽雨晴の変化。全詩の構想は第一に転句が普通ありきたりでないことが解る。詩人たる者。転句の工夫を要すること。正に胆に命じる可しと言う。