千秋詩話 4
         高適(702?−765)  字は達夫。

高適の詩は気象は渾建で、字句は雅老。六朝の左思、鮑昭の一派に近い所がある。と言われている。風骨は「岑参」によく似ているので名を等しく「高岑」と呼ばれている。若い頃は落魄して遊侠の輩と交わり、放縦な生活を送っていたが、有能の士を官吏に登用する「有料科」に挙げられ、以後、広徳中に左散騎常侍となり勃海侯に封ぜられた。

年五十で始めて詩を作ったが、その詩が工みで大いに世の喝采を博し一篇が出る毎に好事者はこれを傳布したと言う。唐代の詩人中、稀にみる栄達者の一人。李白や杜甫とも親交があった。

除夜作  「高適の絶唱の一つ」


    旅館寒燈獨不眠。
    客心何事転凄然。
    故郷今夜思千里。
    霜鬢明朝又一年。

§旅の宿、さむざむとした燈火のもとで、私は獨り眠らずにいる。旅の身の私の心には、どうしたことか、そぞろに悲しみがつのってくる。故郷では今夜、千里も離れたところにいる私のことを思っているだろう。霜のように白くなった鬢。明日の朝は、又一つ年をとる。第三句。「故郷今夜千里に思う」とも読める、そう読めば、「千里も離れている故郷を今夜私は思う」と言う意味になる。故郷が「千里を思う」でなく、私が故郷を「千里に思う」と解釈している人もいる

    土岐善磨の訳詩
   大晦日 (おおつごもり)
   はたご(旅館)のともしいねがてに
   物さびしさは旅心
   今宵千里のふるさとや
   あす白髪(しらかみ)の年ひとつ

「一江水」と「半江水」
仲秋の季節、杭州の清風山の一帯は、鶴が空高く舞い、見渡すかぎり紅葉。彩られていた。峠にさしかかった一行がある。”高適の一行”が浙江省の東部を巡察し、この地を通りかかったのだった。夜、高適は清風峠の寺院に宿泊した。秋の夜の峠は、実に爽やかで気持ちが好い。高適は思わず詩興がわき、筆を揮って、僧房の壁に詩を書いた。

絶嶺秋風已自涼。   絶嶺 秋風 已に自から涼しく
鶴翔松露湿衣裳。   鶴翔 松露 衣裳を湿す
前村月落一江水。   前村 月落ち 一江の水
僧在翠微閑竹房。   僧は翠微に在り 竹房閑なり

翌日、高適はまた旅路を急いだ。途中、銭塘江の美しい風光を楽しみ、よく見たところ、江の水が昨晩より少なくなり、半分に下がっていたのに気が就いた。これは江の水は月が昇るときに潮が満ちるにしたがって増え月が沈むと潮が引くとともに水位が下るためだ。

自分が詠じた詩「前村月落一江水」と言うのは明らかに事実と合わない。高適はすぐ、引き返して詩を直そうと考えた。が奈何せん公務がある。高適は続けて進むよりしかたがなかった。

一月余りたち、高適は巡察から帰ると一路清風峠へ急ぎ、僧房に来て、「一江水」を「半江水」と書き直した。「前村月落半江水」と言う千古の名句は、このようにして現在に伝わっていると言う。

◆「王漁洋」は高適の詩を評して「質朴にして笨伯たるを免れず」と言う。               きめの荒さの詩もある。と解釈すべきだろう。