千秋詩話 5

   ☆ 冒韻詩
韻脚と(同じの韻)同韻の字を第二字以下に用いることを冒韻と言う。
韻と同じ字を使う時の注意を言う。二四不同。二六対。下三連は除く。
一三五不論。七言の四字目と 五言の二字目。孤平を避ける。これらは平仄の初歩の初歩。以下冒韻詩に就いて。


逢鄭三游山     盧 同
相逢之處草茸茸。  相い逢うの處 草 茸茸たり
峭壁攅峰千萬重。  峭壁 攅峰 千萬重
他日期君何処好。  他日 君に期す何れの処か好きを
寒流石上一株松。  寒流の石上 一株の松

この詩の相逢うの逢字、攅峰の峰字、共に二冬の韻。韻脚の茸。重。松。の三字と同韻。このような使用法は作詩上、忌むべきであり、慎むべき。然し現在は承句(二句目)からの韻字は比較的に許されている。が誉められた作詩法ではない。出来るだけ使用しないようにしたい。

   ☆ 字眼 
(詩人玉屑)には、句中の字眼は、七言絶句では第五字、五言絶句では第三字としている。字眼とは一句中の縫目。句腰とも言い、必ずしも五字、三字に限らず第一字より第七字に至り、字句を好く練ることを述べている。

   ☆ 王安石の泊船瓜州の詩
京口瓜州一水間。
鐘山低隔数重山。
春風又緑江南岸。     ( 到⇒過⇒入⇒満⇒緑 )
名月何時照我還。

この詩、緑字、最初は到るの字につくっていた。次に過ぎるの字に改めた。次に入の字に改めた。次に満の字に改める。いろいろ考え十餘字ばかり。最後に緑字に決めたと言う。詩は、一字たりとも冗な文字の有るは悪いと言うことを心に命じたい。

   ☆王安石(兵を論ずる)の著作
あるうららかな小春日よりの日、北宋の史学者、劉頒(1023-1089)は食事をすませた後王安石(1021-1086)を尋ねた。王安石は丁度食事中だった、門番は劉頒を書斎に通した。劉頒は机の上に置いて在る『兵を論ず』と言う原稿に気がつき、一寸手に取り読んでみた。劉頒は、王安石の見解に深く感服し読み終えると、原稿を元の處え置いた。この時、王安石が入って来た。

二人が挨拶を交わしたあと、王安石は聞いた「このごろ、何か書かれてますか」劉頒という人は、記憶力が優れていて、文章に一度目を通すと、それを諳んじる事が出来る。彼はわざと王安石に冗談でこう言った。「私は『兵を論ずる』と言う一篇を書きましたが、暇をみて書き直そうと思っているところです」真に受けた王安石は、あわてて聞いた。

「その文章の内容 はどんなものでしょう」すると劉頒は大声で「兵と言うものは、凶器である・・・・」と朗読し始めた。

王安石は劉頒が冗談に言っているとは知らず、これはきっと劉頒の近作に違いないと思い込み、沈黙して一言も言はなかった。劉頒が帰った後、彼は思案にくれた。「そもそも文章を書くには、自分独自の見解を述べるのが一番重要で、他に同調するのは最も忌むべきことだ」彼はこう考えると『兵を論ずる』の原稿を破り、捨ててしまった。

暫らくして、劉頒は又、王安石に逢い、「あなたの『兵を論ずる』はもう書き終りましたか」と聞いたところ、王安石は「とっくに破り捨てました」と答えた。劉頒はひそかに歎き、冗談を言うべきで無かったと後悔した。と同時に、王安石の真摯な著作態度に深く感動した。