千秋詩話  8

   旅亭画壁の故事

王之渙は玄宗の開元年中に、当時名高い詩人の王昌齢・高適などとは「おい」 「お前」と呼ぶほど、親しい飲み友達であった。寒い冬の日の夕方空が曇り雪がチラチラ飛ぶ時、この三人は打ち連れて或る料亭に上って酒を飲んでいた。

すると劇場の囃子かた連中が十人ばかりドヤドヤやって来て隣の席で同じく酒盛りを始めた。三人は席を避けて、置炬燵を抱いて彼等の様子を窺っていると、その後、妙齢な若い妓が四人連れでやって来た。

如何にも艶やかな化粧なので、一座は忽ち燦然たる光彩を放って頗る花花しくなった。暫らくすると一座の連中は楽器を手に取って奏楽を開始した。そこで三人は始めて皆な一流の音楽家だということを知った。 王昌齢が「どうだい、君達、我々は今皆な世間に詩名が響いているが、お互いに誰も甲とも乙とも優劣を決めた事がない。

今夜はこの連中が歌うのを聴いて、もし我々連中の詩であった時、その詩の沢山歌はれたものを一番優等だと決めよう」この言葉のまだ終わらない中に、一人の音楽師が節を付けて唄いだした。

寒雨連江夜入呉。     
寒い雨の降るのを侵して夜る君と舟で呉に来た
平明送客楚山孤。     
けがた君を送ろうと外に出ると楚山が唯一つ
洛陽親友如相問。     
もし洛陽に居る親友が僕の近況を聞いたら
一片冰心在玉壷。     
一片の氷が玉壷の中にあるようだと答えてくれ

と言う王昌齢の一絶句であった。王昌齢は大いに得意になって好しと言って壁に画し一絶句と題した。すると又一人の音楽師が唄いだした。

開篋涙沾臆。  
箱を開けたら君が私に寄せた手紙が見つかり覚えず涙が
見君前日書。  
君が勉強した室はそのまま残っています
夜臺何寂寞。  
君は此世を捨てて墓穴に入り何と淋しいことであろう
猶是子雲居。  
全く後漢の大襦の楊雄が居た宅のようです

と言う高適の一絶句であった。高適は満面に笑を湛えて壁を画して、一絶句と題した。更に又一人の音楽師が唄いだした。

奉帚平明金殿開。  
夜明け方、酒掃を奉ぜようと宮中に伺侯すれば
強将團扇共徘徊。  
君主の御出御の頃、妾は團扇を持ち歩きまよう
玉顔不及寒鴉色。  
玉の美顔も寵愛が衰えば寒鴉の色さえ及ばない
猶帯昭陽日影來。  
暁の空に飛ぶあの鴉でさえ昭陽殿の日影を帯び君の恩光を得て得意                  になって飛んで来るのに

と言う王昌齢の一絶句であった。王はホクホクしながら今度は二絶句と壁に題した。この様子を見た王之渙は頗る不満だった、彼は世に声名あることを自負し傲然たる態度で、王、高に向って言った。

「こいつらは落ちぶれの楽官で、歌うものは下里巴人の俗調子ばかりだ。陽春白雪の高尚な曲など、こんな奴共に解るもんじゃないよ」とその側にいた桃割を結んだ最も器量の良い若い妓を指して、「此の妓の歌うのを待つ、若し今度僕の詩でなかったら僕は一生君達には敵対しない。

若し僕の詩だったら、君達は僕を仰いでお師匠さんにすることだ」曲を唱う順番がとうとう桃割れの美妓に廻って来た。そして彼女の可愛らしい咽喉から玉を転がすような美しい音声で唄い出された。

黄河遠上白雲間。  
黄河にそって、に上流の白雲の起ちこめるあたりまでさか登って来ると
一片孤城満仭山。  
白雲の中に天を摩すばかり満仭の山山が連なり、その辺りに一つだけ                 ポツンと城が見えた
羌笛何須怨楊柳。  
折りから異人の吹く笛の音が哀切の響きをかなでてる笛の音よ、折楊                 柳の曲を吹くことはいらないのだ
春光不渡玉門関。  
この玉門関から西には春の光は渡ってはこないのだ(どうせ永離別で                 再び帰郷は出来ないのだ)

の王之渙の一絶句であった。王之渙は「どうじゃ田舎者め」ふざけ半分に意気揚々と、二人をからかって、かく絶叫したのだった。

隣席にいた連中は、この騒ぎ見て不思議そうな顔付きして「なんで皆様はそんなに大騒ぎをなさるのですか」と起って詰問した。そこで王昌齢がその理由を話したら、連中は競うて拝礼し、「いや我々俗人の肉眼で、ここに神仙の降下されたことを知らなかったは残念であった」と言い、皆が乞うてこの三人を自分達の宴席に招待した。そこで三人も亦心地よく皆と一緒に飲んで酣酔歓を尽くした。
 以上薛用弱が集異記に載せた風流の話。 
 
 7・10・00