★★曹操★★ (155~220)

     現存する曹操の文は百五十,詩三十篇,曹操の詩は「槊を横たえて詩を賦す」慷慨し,壮大な気象に
     あふれる.建安十三年(208)丞相となり,十八年に魏公となる.二十一年には魏王となり,天子と同じ衣冠・
     車馬を用いる事が許される.娘を献帝の皇后にし,自分は義父となった,近い将来に天子から位を譲らせる
     禅譲の計画があった.然しその動きに劉備元徳が攻撃する.今,一歩のところで皇帝になり損ねた.

     建安二十五年(220)病死する.享年66歳.許劭は『治世の能臣,乱世の姦雄』と称している,曹操の
     少年期に物凄い話が残されている.陳寿の『三国志』に有る中牟県の長官・陳宮は董卓に刃向う曹操の
     心意気に感じて,自ら官職を捨てて曹操と共に旅立つ.

     ○ 三日間旅を続け,成皋迄来ると日が暮れかけた曹操は陳宮に言った,「此のあたりに姓は呂,名は
      伯奢と言う人がいる,私の父の義兄弟だ,そこで,一晩泊めて貰おう,どうか?」「結構です」.二人は
      屋敷の門前に馬を下りた

     二人は呂伯奢に挨拶した,呂伯奢は「朝廷から,御触れが廻り,お前を緊急逮捕しようとしているそうだ」
     曹操は,細を話し「もし陳宮令でなければ,今頃は体をバラバラにされているところでした」.呂伯奢は
     陳宮に頭を下げて陳宮に向って「うちには良い酒がありませんので,西の村まで行って一樽買ってきて,
     ご馳走します」そそくさと驢馬に跨って出かけて行った,曹操は陳宮と共に暫らく坐っていたが,ふと屋敷
     の奥で刀を研ぐ音がした

     曹操は言った「呂伯奢は私の本当の親類ではないし,さっき此処から出て行ったのも怪しい,こっそり様子を
     見てみよう」足音を忍ばせ居間の奥え廻ると「縛って,殺したらどうだ」と言う声がする,曹操は「やっぱり
     そうだ,今,先にに手を下さなければ,捕まるぞ」と言うや刀を抜き,陳宮と一家皆殺しにした.生き残った者
     は居ないかと台所に来ると,,なんと豚を一匹縛り上げている.陳宮は「孟徳(曹操)殿,あなたは気を廻し
     悪気のない人々を間違って殺してしまったのだ」二人して屋を飛び出した.

     二里も行かないうちに.呂伯奢が驢馬の鞍に酒甕を二つぶら下げ,手に果物や野菜をさげてやって来た
     「甥御どの,県令どの,どうして行ってしまわれるのか」「お尋ね者の身ゆえ長居は致しかねます」と曹操.
     「すでに家の者に豚を一匹 さばかせています一夜の宿を嫌がれるのか?」曹操は呂伯奢に構わず馬に
     鞭を入れ先え進んだ,数歩進んで剣を抜き後戻りし「そこえ来るのは誰だ」振り向いた呂伯奢を驢馬から
     切り落とした.天した陳宮が諌めた,のあと,曹操の残忍さに愛想をつかした陳宮は熟睡した曹操を殺そう
     としたが果たせず其の侭袂を別かち去った

    梅林止渇
     魏武,有行役失汲道,,三軍皆渇.及令曰,及令曰,前有大梅林り,饒子,甘酸.可以解渇,
     土卒聞之,口皆出水,乗此得及前源

     魏武,行役して汲道を失う,,三軍皆渇す.及ち令しt曰く,前に大なる梅林有り,子饒にしてr,甘酸なり.
     以って渇 解く可し,と,土卒之を聞き.甘酸,口皆な水を出だし,此れに乗じて甘酸なり,を得及前源
    .以って解渇を解く可し.此に乗じて得及前源の及ぶを得たり

     曹操は行軍の途中,水のあるところに通じる道を失った,全軍の兵士たちは皆咽喉が渇いた,すると,
     曹操は言った口の中に唾がわいてきた,その御蔭で前方の水源まで辿り着く事が出来た.


    陽眠
       魏武帝常言.我眠中不可妄近.近便劯人,亦不自覚,左右宜深慎此,後陽眠
    ,所幸一人窃以被覆之.因便劯殺,自爾毎眠,左右莫,敢近者.

    魏 武帝常に言.我が眠中に妄にだりに近づ可からず.近づけば便人を劯るも,亦た自から覚えづ,左右
    宜ろしく深く此れを慎むべし,と,後陽り眠るに,幸する所の一人 窃かに被を以って之を覆んとす.因りて
    便ち劯殺す爾る自り眠る毎に,左右,敢えて近ずく者莫し.
                                     
    『むしろ我,人に負くとも,人の我に負くなからん』と胆に命じた.青年期の曹操は鷹を飛し,狗を走らせ
    享楽の生活を送りながら猛烈に勉学に勤しんだ,特に兵法書を読破し『孫子』に注している.

    『智計は人に殊絶し,その用兵は孫呉を彷彿させる』後年,諸葛孔明は曹操をこの様に評している.法家の
    思想にたつ曹操は有能な人材は多少の欠陥には目を瞑り採用した,曹操は織田信長と比べ語られる,
    冷酷無比な点でも同一タイプと称される,曹操は読書と詩作を愛し,沈鬱にして雄健な名作を残した(短歌行・
    苦寒行・蒿里行・薤露行)然も,両者とも部下への賞賜の与え方など人心を捉える法は天下人の才たる
    ものである. 

    ★ 苦寒行 ★   
       北山太行山   北のかた山太の山によれば
       艱哉何魏魏   艱しき哉 何ぞ魏たる
       羊腸坂詰屈   羊腸 坂は詰屈にして
       車輪為之摧   車輪も之れが為に摧く

       樹木何蕭瑟   樹木 何ぞ蕭瑟たる
       北風声正悲   北風 声正に悲し
       熊羆対我蹲   熊羆 我に対して蹲り
       虎豹挟路啼   虎豹 路を挟み啼く

       渓谷少人民   渓谷 人民少なく
       雪落何霏霏   雪落ちて何ぞ霏霏たる
       延頸長嘆息   頸を延し長く嘆息し
       遠行多所懐   遠き行は懐う所ろ多し

       我心何怫欝   我が心 何ぞ怫欝たる
       思欲一東帰   一えに東に帰らんと思わんと欲す
       水深橋梁絶   水深くして橋梁絶え
       中路正徘徊   中路にして正に徘徊す

       迷惑失故路   迷い惑いて 故の路を失う
       薄暮無宿栖   薄暮にも 宿り栖まるところ無し
       行行日已遠   行き行きて日び已に遠く
       人馬同時飢   人馬 時を同じうして飢えたり

       襜嚢行取薪   嚢を襜いて行きて薪を取る
       斧冰持作麇   冰を斧りて持して麇を作る
       悲彼東山詩   悲しきは彼の東山の詩
       悠悠使我哀   悠悠として我をして哀ましむ

    短歌行 ★
        対酒当歌 人生幾何   酒に対しては当に歌うべし 人生 いくばくぞ
        譬如朝露 去日苦多   譬うれば朝露の如し 去りし日のみは苦だ多し
        慨當以慷 幽思難忘   慨いては當に以って慷るべし 幽思 忘れ難し
        何以解憂 惟有杜康   何を以って憂いを解かん 惟だ杜康あるのみ
        青青子衿 悠悠我心   青青たる子が衿  悠悠たる我が心 
        但為君故 沈吟至今   但だ君の為の故 沈吟して今に至る
        呦呦鹿鳴 食野之苹   呦呦として鹿鳴き 野の苹を食う
        我有嘉賓 鼓瑟吹笙   我に嘉賓あり 瑟を鼓し笙を吹く
        明明如月 何時可掇   明明として月の如し 何れの時か掇る可けん
        憂従中来 不可断絶   憂は中より来って 断絶す可らず
        越陌度阡 枉用相存   陌を越え阡を度り 枉げて用って相存せば
        契闊談讌 心念旧恩   契闊談讌 心に旧恩を念う
        月明星稀 烏鵲南飛   月明かに星稀にして 烏鵲 南に飛ぶ
        繞樹三匝 何枝可依   樹を繞ること三匝り 何の枝にか 依る可き
        山不厭高 海不厭深   山の高きを 厭わず 海の深きを 厭わず
        周公吐哺 天下帰心   周公 哺を吐きて 天下 心を帰せり

               石 九鼎

参考文献 :古詩源(上) 漢詩大系 集英社
        三国志演義:井波律子:岩波新書
        世説新語 :中国古典小説選:明治書院
        中国文学史:佐藤一郎:慶応義塾大学出版