中国歴史紀行

                   隋煬帝陵

隋煬帝陵は江蘇省揚州市北郊外槐四鎮境内の雷塘北側に在る。隋朝第二代皇揚廣の為に皇后蕭氏と合墓されている。大業14年,彼が最も信頼していた臣下,宇文化及,宇文士及,宇文智及らに殺された。煬帝の人生ほど変転の激しい人生は珍しい。隋煬帝は天の頂点まで登りつめた瞬間,奈落の底に落ちた。六道輪廻!隋煬帝ほど,その人生を体現した人物は少ない。

華北と華南を結ぶ大運河の建設,数回に渡る高句麗への大遠征等等,民衆の困苦に関係なしに無謀強行する。やがて全国各地で反乱が立ち上る,ついに臣下に殺され,隋王朝は滅びる,しかも僅か三十数年。隋煬帝は一件,暴君のように言はれている,然し,律令制度の整備,大運河の開鑿など後世に残した功績は大きい。

殺略された遺体は当初見付からなかった,清朝時代,考古学者に依って《土饅頭の粗末な土葬》が発見され,結果,隋煬帝と解り現在のような立派な陵墓となった。大学士,金石家,阮元が改修し書道家の伊秉綬筆の《隋煬帝陵》の四字を大きく彫った墓碑を建てた。

隋煬帝陵の占地は3万u,石稗坊による,陵門,雷塘(歴史遺存)石橋,祭台(歴史遺存)新道,城垣(歴史遺存)側殿,墓塚(歴史遺存)等構成されている。其の中で,石稗坊,陵門,は《阮元建稗石》明朝の風格が漂う,

揚州民間故事に拠れば,揚州で臣下に殺された煬帝の棺木は,始め宮内流珠堂に置かれ,以後,揚州城北に葬られた,葬られるその日は天気良好,万里雲無く,みんなが寄り集って運び棺桶を置いた時,突然天気が急変し,天空に真っ黒な雲,沙が飛び石が飛び雷が轟き稲妻が走る,落雷が棺桶を炸裂した,地上に炸開し大深塘を作す,一瞬にして風は止み雨も止んだ。部下達はみんな顔面蒼白,棺桶を
整え,場所を変えた
                           
場所を変え,正に棺桶を置くと,雷電一閃,暴雨盆を傾るが如し雷声と共に又棺桶を炸裂し地上に又炸開し大深塘を作る,3度目も同じ,部下たちは恐ろしくなり,只,顔を見合す,話し合う内に古老の一人が「煬帝の邪気が重いのだ,棺木では安らかに葬るこが出来ない,言い伝えでは鉄佛は能く邪気を鎮めると聞く,何処かへ鉄佛を建造したら如何かな」,

みんなが寄り集って早急に《鉄佛寺》を建設し棺木を置いた。平安時に煬帝の葬ることが出来た。雷作によって三個の深堤の場所はみんなが区別して,上雷堤,中雷堤,下雷堤とを言うのである。煬帝の親不幸を怒かった天が雷を打ち鳴らしたものだと言う。


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