中国歴史紀行 中華門 中華門は南京市の市街南部、聚宝山の北方にある、南京は金陵と呼ばれ古都5000年の文明史を留め幾多の歴史文化遺産を保持している。現在の中華門は1368年に完成した明朝の首都造営にともなってつくられた。秦淮河が東西に横断し、南は長干橋、北は鎮淮橋に望む。もとは聚宝門と言う。辛亥革命後、現在の名に改称された。 入場券を買う、一見して頑丈で堅固な城壁だと肌で感じさせる。南北約128m、東西118,5m、面積1万5168uと簡介に記載されている。高さ平均13m、厚さ7m余り、長方型の城壁に4個の城門、門が幾重にも重層された堅固さに驚く。長方形の石と磚を積み上げて隙間を石灰ともち米の重湯で埋めた、と説明書を見て、改めて頑強さに心服する。唐代の大詩人李白は『金陵』の詩で言う。 晋家南渡日。 晋家 南渡の日 此地旧長安。 此の地 旧長安 地即帝王宅。 地は即ち帝王の宅 山為龍虎盤。 山は龍虎が盤と為す 金陵空壮観。 金陵 空しく壮観 天塹浄波瀾。 天は波瀾を浄して塹る 酔客回橈去。 酔客 橈を回して去る 呉歌且自歓。 呉歌 且つ自から歓しむ ![]() 隧道を利用している商店 4つ目の城門の左右にそれぞれ伏兵を配する穴が3個ずつ、東西にそれぞれ7個ずつ、甕上に合計27ケ所を設置している。この27個の隧道の中に何千人の兵士が潜むことが出来たと言う。城門の多様さ、形式。規模の広さ、構造の複雑さは中国でも例を見ないと伝える。 それぞれの隧道には、みやげ物屋として利用されていた。ある隧道の店は隧道壁面いっぱいに、掛け軸が何十本も吊り下げられ、又ほかの隧道商店は新聞、雑誌、雑貨、何でもアリの様子。隧道は格好の商売場所として活用されている。此処で中華門に関係ありそうな書籍3冊を購入した。屋上は市民の憩いの場所として利用されていた。 2004/02 Copyright(C)1999-2004 by tohou AllRightsReserved 石九鼎の漢詩舘 thhp://www.ccv.ne.jp/home/tohou/ta50.htm リンクは自由です。無断で複製・転載することを禁じます |