中国歴史紀行

                     揚州唐城遺

揚州唐城遺址は揚州市の市街・西北部3qの蜀崗にある。春秋末期、呉王夫左(?〜前473)揚州に築城した。呉王夫左は江淮に通じる運河を開鑿した。代々改修を重ねてゆき、唐代には麓の平地まで拡張そいたと伝える。

この地域は戦国時代の楚の国、広陵城。漢代の呉王の広陵城から、三国の呉、江南の諸王朝えと受け継ぐ、隋の大運河開鑿を経て唐代にには、中国第一の都市となり「揚一益二」と言はれるほど栄えた。

城址は子城と羅城とが相い接して、2つの部分に分かれる。子城は蜀崗上に位置し、一名を牙城とも呼ぶ。当時の役所的な存在するものが集中していた。羅城は蜀崗の麓に位置し、大城とも言う、当時は住宅、商業地域であった。

現存する城址は子城で、緩やかな勾配の坂道を上ると山門の前に左右に石造の「狛犬2頭」が迎え入れる。子城の城壁は版築で、高さ2m〜5m位が東西北の三面に現存している。磚を積んだ門口も僅かに残形を留める、南面は宛ら天然の障壁を思わせる崖になっている。



揚州唐城祉に入るには、東門、南門、西門、北門とある。城址内に「揚州唐城遺跡博物館」がある、一名を「延和閣」と言う、一階と二階に遺跡文物が展示されていた。唐代の三彩陶磁器、特に唐三彩三足炉、唐三彩魚、唐駱駝傭等は残色とは思えない色鮮やかであり、墓誌、石刻の仏像、唐杜佑題名八角石柱、崔致遠史料陳列室の出土品は唐代の揚州の文化、経済の状況が窺い知れる。白眉は「唐三絶碑」三絶とは文章、書法、石刻が優れているという意味で唐代の書家、柳公綽の書。ガラス張りの大きなケース入り。偏光フイルターを持参していないのが恨めしく思った。


2004/02



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