中国歴史紀行  135             石九鼎の漢詩館 
       晋 祠

晋祠は山西省の省都太原市の市街西南25km懸甕山の麓にある。古い祠堂で一見,何処にもありそうな祠堂に感じられる。然しこの祠堂は春秋時代の晋の始祖,周の武王の次子叔虞を記念して北魏代に創建されたもの。叔虞は唐に封ぜられたが、晋水に因んで晋を国名としたんで、祠の名称とした。

以降歴代にわたり改築,拡張が行われ,重要な文化財,古建築の宝庫となり,その専門家たちの注目するところである。その中でも最古最大なものが聖母殿と呼ばれ,内部には表情豊かな北宋時代の彩色塑像が現存する。堂のそばに「水母楼」があり,伝説に登場する「水母娘娘」がまつられている。

殿内には宋代の彩色の塑像43体ある。一見の価値はある、素晴らしい造型に暫し佇み参観する。殿前には難老亭がある、北斉の天保年間{550年〜559年}の創建と称される。明代に改修され八角宝形造りの造型美。晋水の主要な水源地として年中水枯れが無く、水底が見えるほど透き通る

水温は常時17℃と伝える。宝翰亭が鎮座する。貞観年間「1627年〜649年」建立。唐太宗の撰・筆の晋祠之銘並序碑があり、見ごたえ有り。祠内には柏樹と槐樹が聳える。柏樹は周柏、槐樹は隋槐とそれぞれ呼称されている。聖母殿の左に周樹があり、関帝廟内に隋槐が聳える。

現在も生気が有り鬱葱と生い茂り、枝が縦横に伸びる。難老泉・宋代の侍女塑像と共に「晋祠三絶」と称されている。
                                                                           

晋祠には水母娘娘の故事が残る。廟内には神仏が祭られている中に,若いお嫁さんがゴザの座布団に座して,櫛で髪をといている像がある。真に迫った出来ばえが人々の興味を引く。昔,晋祠村に春英という娘が住んでいた,彼女は童養[女 息」(息子の嫁にするために,小さい時から,もらって育てる女の子(養童子)

彼女は朝早くから夜おそくまで,一時も休まず働き続ける,それでも姑は気に入らない。手をあげる,殴る,罵る,春英にとって一番辛いのが水運び,この村には水が少なく,飲み水は何里も離れたところから運ばなければならない。ある日のまだ暗い時,村の入り口で一休みしようとした時,一人の老人が一匹の馬を引いて近づいてきた。老人は水を所望し馬にも水を飲ませた,ところから物語はハッピーエンド。


参考資料
晋祠故事。山西人民出版社
晋祠風景名勝。山西人民出版社
中国名勝詞典。

.2003,2,02


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