中国歴史紀行    (102)    
 陜西省    (やおどん)

『ヤオトン』中国黄土地帯に居住する人々と接する機会に恵まれた。窟洞で生活する彼等の環境は非常にきびしい。二日間の初日は好天に恵まれた。二日目は生憎の雨天,黄土高原の道路は雨にもろい,惨劇を防ぐ為,我々は途中,下車。徒歩で取材当たる。道は「田んぼ」のようだ、膝まで泥んこ。黄土高原の泥は、洗えば直ぐ落ちる。総てが初体験だった。

ボランテアに参加したのは,新華社新聞記者、交大教授李紅を含めて14,5名。西安で日本語を教えている人が「日本中国学童助学会」を通して参加を呼んだもの。先ず安塞県楼坪郷人民武装部に到着。楼坪郷小学校長が貧困家庭65名の生徒の名簿を李紅教授に渡した。

彼等は「ヤオトン」に住んでいる貧困家庭と聞いた。数年前から、この団体は日本で教材道具、衣類(中古衣料をも含めて)全国の善意ある人達からの寄付を集めて,学費が払えず登校できない貧困家庭に寄付をしている。

然し、金銭、教材を寄贈しても子供まで、届いていない。途中で何かの事情で届かない。今回は家庭に取材し写真記録を証拠とし教育関係者立会いの元で寄贈しようと試みられた。二日間5班に分かれ雨の中を取材と中国語通訳を兼ねて同行した。当、教育関係者の中には好意を示さない幹部もいた。黄土高原の雨の中の歩行は困難を極めた。

私たちは分散して12家庭を訪問取材した。雨の畦道,コーリャン畑の中,河を渡り野を越え,一列になり前に進む。後ろから教育委員の一人が『先生方の腕を差さえなさい』と児童に言う。幼い児童達は自分が雨に濡れるのも気にしないで私達の腕を支えてくれる。

私達のグループは李教授と李教授のご両親。他,数名「日中学童助学会」に報告書を作成する為、日本人感覚で彼等の生活状態を聞き李先生の傍で翻訳記録を書きとめて「日本中国学童助学会」に提出した。

麦,小麦、蕎麦,稗、高粱、しか農作物がない彼等は,働いて現金を稼ぐ方法もない。ヤオドンの中には裸電球一つ。室内の空気は悪い,大きな水がめが一個。茶碗と幾つかの箸が有るだけ。家財道具,文具,新聞,一切無い、。悲惨を極めた生活。オンドルの上には布団が畳んである。質素この上もない貧困家庭の共通した生活状態。

ある地域でテレビがある家庭に出会えた。娘が結婚し娘婿が婚礼祝い。結納代わりに買ったものだと言う。又,或るヤオドン家庭の門前に,着ている服装から都会から来たと思われる娘が立つていた,この村では不自然なくらい,目立つ,目立てば自然と噂も立つ。

母親が言う15歳になると娘は嫁に行く。」低い声で「事実は売られるのだ」と言う。この家庭のDemostration。だと後で判る。子供達は登校したい。しかし学費が払えない為、学校へ行けない,またある家庭では母親が3ケ月前、家出してしまった。父親一人が3人を養育している。父親は「ここでの生活が苦しくて、街に憧れて出て行ってしまった。」父親の傍に坐していた幼女は父の話しを聞きながら涙ぐんで聞いている。

日本で放映される「ヤオドン」とは雲泥の差だ。精神異常を来たした母親。健康を害した父親たち。環境が極端に悪い。老人子供を置き去りにして街に出て帰らない父親。母親。子供たちの表情も硬い。

あはたに望むものは、インタビューに対いして担任の女教師の言葉が忘れられない「子供達が将来、成長し偉大な人物になって帰って来て村の経済改革をしてほしい。」 高速道路一本あれば、その道路がここには無い。車は勿論、自転車1台が無い。あるのはヤオドンに棲む隣人同士の人間愛。外部の人と接触する機会が少ない彼等の心は温かった。

西安に帰り,『窰洞』に就いて交通大学校内のレポート提出に随分気分を使った。『窰洞』生活者も千姿満態。交大留学生寮の掃除婦さんもヤオトン出身と言う。遠慮して提出を見合わせようかとも思った。担任の教師から,『窰洞』に就いて外部に知らせることも必要。と一言を頂きレポートを提出した。


            
                 『ヤオドンの玄関・入り口』            『部屋・オンドル』



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