中国歴史紀行  (120 )

蕭何之墓

人は言う、誠実は哀しいものである。然し美しい。
人は言う、どんなに誠実を尽くしても、理解されない。誤解される。
人は言う、理解されることを期待する誠実は、真の誠実ではない?
人は言う、神のみが知る誠実こそ、もことに美しい。

漢の高祖の宰相蕭何。曽て沛県吏掾で彼は法律に詳しかった。教養人でもあった。劉邦と往来し甚だ密であった。劉邦が起き上がり労役者引率の際、他の者が300銭の餞別に対し蕭何は500銭を贈った。誠実は美しい。秦末農民蜂起后彼は劉邦の部下となった。

劉邦に随い入漢后、秦都を攻略して咸陽后、諸大将は争うて金帛財物を奪い倉庫に走った。彼だけは一人の大政治家の風格と眼光を表していた。接収した秦朝中央政府各種機関の文書資料・律令図書・全国山河険要場所そして郡県戸籍・各地物産等社会状況をを掌握した。

蕭何の情報を得た劉邦は最終的に項羽を破って天下の主となる。蕭何は韓信を推薦する功績もあった。劉邦は使者を遣わし蕭何を労う。どんなに誠実を尽くしても、理解されない。誤解される。

劉邦は項羽を破って天下を取った、次ぎは論功行者である。我こそはと皆思っている。劉邦は蕭何を勲功第一に認定した。武将達は不満である。

劉邦は言う「蕭何は子、孫、兄弟数十人が従軍し、私を支えてくれた、おまえ達は命を賭けて戦ったと言う、お前達は猟犬だ、人間が猟犬を動かし判断しなければ獲物は得られぬ」

自分が推薦した韓信が反乱を起こした。計略によって韓信を処刑した。理解されることを期待する誠実は、真の誠実ではない?劉邦は蕭何を信じていない。誠実は哀しいものである。

蕭何は私財をなげうって軍資金を捻出し劉邦を助けた。劉邦は喜んだ。蕭何が「上林の御苑の空き地を買いたい」と言いだした。劉邦は怒って投獄する。誠実は哀しいものである。然し美しい。

恵帝二年(193年)蕭何は長安で卒。長陵陪葬区内の最も目立つ位置に葬る。東司馬門道北辺、西隣長陵。今徐家寨双塚蕭何の墓。

          
 



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