中国歴史紀行        (136)
    中国・開封 相国寺


相国寺は河南省開封市自由路西段にある。昨夜宿泊した『○○招待所』から僅か100mの距離の所にあった。黄土高原をブッ飛ばし午後7時、開封に入った。運転手の朋友・劉海が『宿泊』捜し、部屋を確保する、一人40元。遅い夕食は上等の食堂で長旅の疲れを癒す。一人15元。

開封の古称はべん梁・べん京・東京と称した。北宋時代は中国最大の都市と政治、経済、文化の中心を為した。宋代画家・張択瑞の『清明上河図』は当時の社会各階層の生活を生き生きと描いいる。

相国寺寺址は戦国時代食客3000人を擁したと伝える魏の公子無忌・信陵君の邸宅であったと伝える。北斉の天保六年{555}茲に仏教寺院が建てられ建国寺と名付けられた。唐の睿相『則天武后の子』が相王から即位したのを記念して、延和元年「712]寺を再建し大相国寺と改称した。盛時期、寺内に禅院・律院が64あったと言う、規模宏大さが想像できる。

『水滸伝』の舞台に出て来る魯智深、あだなを『花和尚』は相国寺の野菜畑の役僧になる話が第6回に出てくる。然し、宋代以後は衰退し明代には度重なる黄河の氾濫によって泥土のなかに埋没した。

寺門を入ると南から北へ、大門・天王殿・大雄宝殿・八角瑠璃殿・蔵経楼と配置されている。現存する蔵経閣と大雄宝殿は重檐入母屋造り、持ち送りの斗構が層をなし、黄色瑠璃瓦葺きが荘厳であり、大雄宝殿とテラスの周囲に白色の欄干をめぐらす。

最後部の楼は「空海記念館」。立像が凛として素晴らしい。受け付けに老婦人2名がいた、私が日本から来たと言うと、それまでの冷淡な態度が変わり愛想よく話題に応じてくれた。

売店では『清明上河図』の巻き画・ハンカチ・カレンダー・扇子などレプリカのオンパレードに驚く、其の中で偶然に『清明上河図全釈』の小冊を見つけ入手した。
                                    
                                        
                             (大相國寺)
                                  
              空海の立像


参考資料
中国仏教名寺古刹「大相国寺」
開封・大相国寺

11.19.2007



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