中国歴史紀行 焦山 《焦山碑刻》としても有名な焦山は江蘇省鎮江市の東北部、長江の中洲に立つ小さな山だった。 南岸の象山と対峙している。遊覧船に乗船し小さな山に到着。標高150m、周囲2km。地元の人達は鎮山を守る山と崇められていた。緑が深く、柏、銀杏、槐など古代以来の樹木が覆う。 大雄宝殿の近くには西安の碑林に次いで歴史の碑刻が400枚もあると聞き焦山に来た。殿内で資料集めの為、数冊の書籍を購入した。焦山の名称は多くは古名を樵山、浮玉山、双峰山、海門山、等。現在も山道の傍の岩壁上に宋代石刻の《浮玉》の2字が存在していた。 焦山東北の長江に2つの小山が有り、一名“松寥山”“海門山”と呼ばれ古来、文人墨客が此で詩を詠じている、李白題する“焦山望松寥山”の詩が有る。 石壁望松寥。 石壁 松寥を望む 宛然在碧霄。 宛然たり碧霄に在り 安得五彩虹。 安くんぞ五彩の虹を得て 駕天作長橋。 天に駕し長橋と作さん 仙人如愛我。 仙人 我を愛するが如く 挙手来相招。 手を挙げ相い招いて来る 南朝時代から清朝に至る260余に及ぶ碑刻が有る。芸術類では南朝の[エイ鶴銘] 宋代の「米フツ」の城市山林の扁額、明代に翻刻した隋代の蘭亭碑、元代の趙孟[北 頁] による蘇東坡像と《前赤壁の賦》は見応えのあるものだった。文苑類では蘇東坡の遊招隠寺唱和詩碑、明代の楊継盛と唐荊川の遊焦山詩碑、清代の《澄鑑堂法帖》42枚、叙事類では唐代の魏法師碑、 隷書から楷書に移行する岩石に刻された王羲之の書体 圧巻は隷書から楷書に移行する字体、王羲之の書体が岩石に刻された4枚。一見の価値あり。揚州大学の李先生同伴のもとに参観し説明を受けた。展刻した物、4枚で???千元。其の意中の展刻した書、1枚が、なんと2万円(日本円)と言う。李先生を介しても値段の折り合いが会わず無念ながら引きさがった。 参考資料;中国鎮江風景名勝,南京大学出版社 焦山碑林 鎮江交通旅遊図 2004/02 Copyright(C)1999-2010 by tohou AllRightsReserved 石九鼎の漢詩舘 thhp://www.ccv.ne.jp/home/tohou/tabi140.htm リンクは自由です。無断で複製・転載することを禁じます |