中国歴史紀行 金山寺 金山寺は鎮江市街地西北3kmほどの郊外にある。仏教の一大聖地であり,唐代に『金』を採掘したので,以来,金山寺と呼ばれてきたと言う。清朝の康熙帝が南方を巡遊した際は天禅寺と下賜したと伝える。金山の名称は多く,古名,浮玉山,又,澤心山,伏牛山,龍遊山,紫金山,など。 曾つて金山は鎮江から七里の長江の江中の一つの島で,河の中心に一顆明珠あり,と称されていた。清遊妙絶,古人は浮玉山と称し,唐代の詩人,張祐の《樹色中流見,鐘声両岸聞》の詩句。又,宋朝の沈括の《楼台両岸水相連,江南江北鏡里天》の詩句,当時の金山の風光を描写している。高さ60m,周囲500mの島が長江の流れの変化によって,清朝に陸に接したと伝える。 明代(1472年)日本の画家・雪舟が金山遊覧し其の時の絵く『大唐揚子江心金山龍遊禅寺之図』が保存も良好,因みに『江心』とは「河の真ん中」の意味。人々に展示される。雪舟と言えば『ねずみの絵』定かでないが,この金山寺にあると言う。 金山寺の白眉は《慈寿塔》。金山の尾根にある。七層八角,高さ30m,威容を誇る。磚と木とからなる塔は鎮江のシンボルとして存在感を示している。南北に相対し双塔となり明代に一つの塔となったと伝える。現在の塔は清代(1900年)に重建され,慈寿塔外花墻上に《天地同庚》四個の大字の刻印が有る。慈禧60歳を祝賀し,8歳の一人の侍童子,李永安の為に書き写したものと言う。 塔身内は螺旋状の階段。外側に回り高欄があるが階段は急傾斜で昇り降りはかなりキツイ。然し塔に昇ると絶景な眺望が眼下に広がる。例によって「楹聯」をメモする。金山寺題する詩は王安石が有名。 金山寺 王安石(宋) 数重楼枕層層石 数重 楼枕は層層の石 四壁窓開面面風 四壁 窓開く面面の風 忽見鳥飛平地上 忽まち見る鳥の平地の上を飛ぶを 始驚身在半空中 始めて驚く身は半空の中に在るかと 挿雲金壁虹千丈 雲は金壁を挿む 虹 千丈 倚漢崢エ玉一峰 漢は崢エに倚る 玉 一峰 想得高秋涼月夜 想い得たり高秋 涼月の夜 分明人世蕊珠官 分明なり人世 蕊珠の官 2004/02 Copyright(C)1999-2004 by tohou AllRightsReserved 石九鼎の漢詩舘 thhp://www.ccv.ne.jp/home/tohou/tabi143.htm リンクは自由です。無断で複製・転載することを禁じます |