中国歴史紀行

                     
文峰塔

文峰塔は古運河ぞいに,悠然とその雄姿を見せる。塔刹は決して長くはない,イメージしていたより細い,然し,鑑真和尚最初の出家地でもある。贔屓めに見ても立派な塔である。文峰塔は揚州市の南門外,官河の南岸,古運河が江水道の三湾子に明代万暦10年(1582)の建立と伝える。

門を入ると聳え建つ塔が眼前に現れた。楼閣式を摸した磚と木からなる八角七層の塔。石積みの弥勒座の基壇に立っていた。先ず塔身内を昇る,塔身に佛像が彫りこまれていた。七層まで彫り込んだ立派な佛像は薄暗い採光のもとでも明確に確認できた。

早朝の参観でも若い僧たちは親切に対応してくれた。簡介を求めたが無いと言う,奥の執務室から2Х2m位の板版に中国語で書かれた古い看板らしき物を持ち出して来てくれた。文峰塔の由来が書かれている。庭の採光の良い場所に移してくれた,早速デジカメに写し収めた。

鑑真和尚が出家したのが14歳の時,文峰塔が最初と伝える。又,日本え渡航を試みたのが此の文峰塔前の運河からと言う。当時から地方政府機関は勝手に海外に渡航は許可していない。行けない状態であった。青年和尚鑑真は漢方医者でもあり,漢方薬草を寺の周辺に栽培し植えていた。

民衆は鑑真の病気治療に感謝していた,後,鑑真和尚が日本に渡航する際には反対だったと言う。鑑真和尚以外に名医が無かった為である。夜こっそり出航を試みたが兵隊に見つかり失敗したこともある。と言う,尤も400名の随員を従えては。夜こっそりと言う分けにはいかなかったのだろう。


2004/02


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