中国歴史紀行>20>アスターナ古墳墓

    阿斯塔娜古墓区(アスターナ古墳墓)

火焔山下の道を東に折れて進むと高昌故城に達するが、アスターナ古墳群は、その途中にある。6〜7世紀に繁栄した高昌国時代の貴族の古墳群で、その数ざっと500を超えると言う。アスターナ古墳群は高昌故城の東北約4km、前方に火焔山を見上げる。

アスターナは、ウイグル語で『首府』と言う意味。また当地のガイドは「休息」と「安眠」の意味とも言う。三つの古墳を見学した。古墳の中は洞窟のようで、どの古墳も裸電球一つだけ、採光に注意している。幅1,5mほどの墓道が約15度程度のスロープ状で20mばかりの地下にある一つ目は、その先が墓の入口になっていた、そこから先に墓室がある。

墓室は高さ3m、四方3,5m。奥壁につけて高さ50cmほどの土台が築かれ、そこに棺が安置されていたと言う。夫婦のミイラが完全な姿のまま残っていた。その温和な表情をみて「幸せな夫婦」と直感した。二つ目の古墳、ガイドの説明によれば、遠く離れて古里を想い画家に描かせた壁面に繊細な色彩を保存したままの花鳥画。(洞窟内は全部撮影禁止)。

三つ目の古墳は、壁面を六つに区切り六曲の屏風ふうに描かれ四人の衣冠を着けた人物を描く。この四人には漢字で名前が書いてある。それぞれ「玉人」「金人」「石人」「木人」と名ずけられている。NHK取材班の記録には『それぞれ特有の人格を表していて、(玉人)は白い衣を着て、きわめて清廉高潔な人格を表し、(金人)は三緘といって三重の口を封じている。

それは、その昔、孔子が周公廟で見たものだと言い、言を慎むべきことを意味している。

(石人)は石の如く寡黙にして、市井に混じては物に動ぜず信念を変えないことを意味し、(木人)は愚直なほどに正直な人格の持ち主であると言う。これらは、いずれも儒教の教義を絵解きしたもので、曽て各地の孔子廟には四聖人として銅像に仕立てられて置かれていたと言う』とある。

多数の文物は数日後、新疆ウイグル自治区博物館に収蔵され展示されていて拝観出来ることになる。

               

                     

             古墳洞窟の 8・16・00




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