中国歴史紀行>22>新疆ウイグル地区      博物館


                   新疆維吾爾自治区     博物館
吐魯番(トルファン)からマイクロバスで一路,烏魯木斉(ウルムチ)に向かう。中間地で異様な樹木地帯が眼を奪う,この地,特有の西高東低,狂風地帯により,樹木がみな地を這うように,ヒン曲がって生育している。と,突然,眼前に真っ白な巨体の風車が現われた。その数,数百,高さ10メートル余り,強風を利用しての風車はドイツの技術により建設された,と,傍らの現地人が教えてくれた。

早速,場所の確認,常時携帯の「中国交通営運里程地図」を取りだす,「達坂城」と言う。「東レ」のコマーシャルに出てくるような風車風景は正に圧巻である。烏魯木斉(ウルムチ)の老人は一様に顎鬚(あおひげ)を伸ばしている。新彊ウイムル出身の友人が言う「烏魯木斉(ウルムチ)の老人は」みな垂直な鬚で無く皆な鬚まで風の影響で曲がって生育している。と言う「笑い話がある」


古代、西域と呼ばれたこの地は、ユーラシア大陸への通路としてシルクロードの要衝であった。数千年來、多くの民族が集り住んで、新疆の古代文化が此に育まれた。各少数民族の歴史や古代シルクロードの文化財などの出土品、約3万点が石器時代から清代まで時代順に展示されている。

天井の高い広々とした展示室に入ると、漢・唐代の豪華絢爛な絹織物に心を奪われる。数量・貴重さ、精巧さからいっても、ここのコレクションは中国第一を誇る。千七百余年前の漢代の錦袍、五胡十六国時代の紋錦、唐代の絹、紗、錦、緞子など、今、作られたか、と思うほど色鮮やかで新鮮さを感じる。 ここには、トルファン盆地の高昌古城に近いアスターナ古墳群から土出した錦が多く展示されている。

赤、白、オレンジ、などを主に、多彩な柄や吉祥文字を織り出し、装飾性に富むものが多い。絹織物は中国で生まれたもので、養蚕製糸の開始は、三千年以上前と伝えられる。  この博物館で、15体余りの完全なミイラを確認した。丁重にガラスケースに保管されていた。

烏魯木斉(ウルムチ)はウイグル語で「美しい牧場」と言う意味、多くの少数民族が暮す。
新疆ウイルグ自治区は中国の西北部にあり、中国の全面積の六分の一を占める。首都、烏魯木斉(ウルムチ)の博物館は58年までは農業展覧館。以后、名称を”新疆ウイグル自治区博物館”と世界に知られる。三千年前の「眠れる美女」で有名。なかでも、アスターナ古墳から発見された”唐墨”は、奈良の正倉院に収蔵されている唐墨とほとんど同じものだと言う。砂漠から発見されたミイラの展示で存在感を示している。

最も目を引くのが三千年前の女性のミイラ。年齢は二十そこそこで、(哈蜜)ハミで発掘された。目も窪んでいない、眉毛も抜けていない、産毛までハッキリと見える、唇も干からびていない。金髪を何本も三つ編みにしている。爪まで完全に揃っている。それで”眠れる美女”と言う。


         

         



トルファンにミイラが集中している原因として、中国で最も乾燥した酷熱の地であること。更に地下水の水位が極めて低いこと、地下水は地表から25m下にあり、墓穴は地表から3〜5m位なので、湿気の影響を受けない。更に、ゴビは風食流砂の地で、土質が粗いので、通気性が大きい、墓穴内の水分が蒸発し易く、遺体の脱水を早める。中国専門誌は伝えている。



              

                  伏羲女か画

最も感動したのは、夫婦のミイラ。35歳の時、主人を埋葬、婦人が70歳で死亡し主人の遺体を 掘りだし一緒に埋葬したものがミイラとして現世に現れた。同族と家族愛を感じる一瞬である。新疆は土地が広大で歴史が古い、古代のシルクロードの中継地であり、地下に無数の文化財がある。将来、次々と発掘されると予想される。考古学者ならずとも魅力のある場所である。

                 休息休息!
日本人の旅行者が1人、12畳程の絨緞をしきりと眺めている。日本では見る機会も無い程、柄模様といい、素材といい、素晴らしい。 聞けば、日本企業の経営者団体で旅行中だと言う。この人、アメリカ籍を持っていると言う、15年前日本に帰国。当然、英語は堪能。 定価価格12万三千元(日本圓で約160万円)、七万900元(日本圓100万円)なら買って良い!と服務員に言う。

服務員は本気になった!彼も本気だ!4万6150元(日本圓60万円)なら買うと彼は言いだす。冗談から駒?瓢箪!。面白くなってきた。彼は2000坪の敷地の豪邸に住す、12畳の絨緞、以前も中国で買ったと言う、 ひと先ず彼と服務員,3名で商談の為,1楼の”コーヒー喫茶”へ入る、”ハッと”息を飲む。ウイグル族の美女。

彫りの深い顔立ち。 プロポーション抜群の彼女、カウンターで”ナン”を食べている、朝食だと言う。普通話もきれいだ。”美味しそうだネ””どうぞ食べてみて”美女と野獣は”ナン”を食べながら雑談。英語,中国語,日本語が入り乱れる中,彼と服務員との交渉が成立。20万以上の買い物の関税の書類やら、カードでの決済、日本への輸などなど話合いは一件落着! ”今天真是眼福不浅”    おわり。

  ☆所在地 新疆ウイグル自治区烏魯木斉市西北北路131号
  ☆交通   2路のバスに乗車、明圓で下車
  ☆休館日 日曜日・祝日
  ☆開館   8時〜17時

                 

    ☆ 五一夜市

ウルムチ市内に”五一夜市”があると聞いた。期間は5月〜10月。夜8時〜朝2時まで。夕食後、タクシーで(3`まで6元)現場に到着。料金6,5元、市内の中心の交差点、東西南北、人々おおよそ数千人。露店が道路1杯に溢れている。夕食を外でする習慣、人の熱気で圧倒されるシシカバブを焼く煙で街中、濛々としてスモッグと見間違えるほどの凄さ。

車道両サイドに「刀削面」の露店が何十と並ぶ、これまた蒸気が濛々と立ちこめる、大声で客寄せで喚く、刀削面の具が気になる。魚に肉みそやあん、野菜何種類。果物の夜市バザールでホテルに帰っての休息用にマンゴーを買う、果物なら何でもあり! 50メートル先がモヤッとしてる。”刀削面”と”ナン”と”シシカバブ”に”ビール”お祭りと間違う喧騒に圧倒される。トイレ捜し、「普通話が解りそうな」若い人に聞くことが第一と心得る聞かれたウイグル族の乙女の方が恥かしそうだった。トイレ出口で中年女性が呼び止める

ポケットから小銭(5元)を、落としたョ!と言う。今度は、こちらが恥かしい。小銭は ポケットにと、中国の旅は常識になっていたのが幸い?然し5元の小銭を・・・・・・。ありがとう!漢民族と少数民族一種混同。同行の彼女とシシカバブとビールで一路平安を祈り乾杯!

     ☆参考文献・新疆美術出版・ウルムチ交通地図案内・人民中国雑誌社(中国博物館)

                                              8・17・2000   
   ◆新疆のロプノールで大量のミイラ発見(ウルムチ 2・23・01)
中国のさまざまな専門家で構成された科学研究調査隊は先ごろ、新疆ウイグル自治区のロプノール西側の砂漠砂丘で大量のミイラを発見した。中国社会科学院の楊レン(金へんに廉)研究員は「1カ所の墓地から、これほど多くのミイラが見つかったのは、世界でも例がない。現在の段階ではミイラが合計で何体あるのか、はっきりしていない。砂丘表面に散在しているのは十数体だが、棺の一端だけが露出しているもの、砂礫に覆われているものも多く、総数は100体以上に達するだろう」と語った。

新疆文物考古研究所の王炳華研究員は研究結果を踏まえ、「すでに砂丘のようになっているこの墓地は、長期間にわたって埋葬が行われ、徐々に高く積み上げられてきた可能性が高く、底の方にあるミイラほど年代的に古いだろう」との考えを示した。

ミイラが見つかった砂丘の面積は2400平方メートルで、最も高いところで約7メートルある。墓地に近づくと、目の前の景色は非常に奇異に感じられる。6、7歳にみえる少年のミイラには、信じられないことに、数えられるほどはっきりとした、まつげが残されている。柔らかい黒褐色の髪の毛が頸部を覆っている。皮膚は黒く変色し、唇はふっくらとしており、やや腫れているようにも見える。

中国科学院新疆生態・地理研究所の夏訓誠研究員は、「棺の中のミイラは牛革で包まれているだけで、防腐処理は施されておらず、この点がエジプトで見つかったミイラと大きく異なっている」と語っている。

考古学者は1881年、エジプトナイル川西岸のディール・アルバフリー遺跡で初めてミイラを発見した。湿潤気候のナイル河畔では、専門の職人がファラオ(エジプトの歴代の王)や裕福な人々の死体を、専門的な工房で比較的長い時間をかけて複雑な防腐作業を施してからミイラにしていた。夏研究員は「ロプノール砂漠の年間降水量はわずか13ミリだが、蒸発量は4000ミリにも達しており、この極度の乾燥気候が死体の水を急速に奪って腐敗を防ぎ、天然のミイラをつくった」と説明した。

                      
                  日本円¥230万円のダンツー(10畳)

専門家は、これらのミイラは大きな研究価値があり、文字記載の乏しい時代の自然と社会に関する多くの情報をわれわれに提供してくれる、と述べている。かつて夏研究員は、ロプノール北部の「太陽の墓地」で発掘された3800年前のミイラ「楼蘭公主」について突っ込んだ研究を行ったことがある。解剖の結果、肺から砂塵が見つかり、ロプノールが4000年前に、すでに乾燥し砂漠化していたことが分かっている。

王研究員は「顔と体の特徴からみて、新たに発見されたミイラはインド・ヨーロッパ語族に属すると思われる」と語った。この墓地の約100キロ東に位置する「楼蘭古城」と、約200キロ北の「太陽の墓地」から、人種的特徴が大体一致したミイラが見つかっており、約4000年前のものであることも確認されている。専門家によると、科学的な機器を使って、今回発見されたミイラの年代を測定するという。
                       

王研究員は「これほど多くの先人のミイラが、今日まで完全な状態でわれわれの前に姿を留めていることは驚きだ。これらミイラの発見は、世界の考古学史にとって非常に重要だ」と語った。
65歳の王研究員は、中国で最も権威のある新疆の歴史研究と考古学の専門家の1人である。王研究員は「これらのミイラに対する突っ込んだ研究は、古代の新疆から中東にかけての人種、文化の起源、文明の滅亡と継続などの問題について、さらに歴史の真実に近づくための資料を提供するだろう」と語っている。


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