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   敦煌莫高窟 NO・2

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第45窟。 迦葉・菩薩・天王。菩薩。觀無量壽経変。商人が盗賊に出会った図。
迦葉・菩薩・天王。45窟西壁龕内北側の三尊立像、迦葉は背丈1,75m穏健で自重。菩薩は背丈1,85m、顔色に艶があり、眉が濃く目が際立つ、天王は背丈1,79m、眉を引き締め両眼は怒りを仗めて前方を見つめ、勇壮で威厳に満ちている、三尊の塑像は敦煌石窟盛唐時期の最も優秀な作品であり敦煌石窟盛唐時期塑像の代表作と伝えられる
菩薩。

                


しなやかな菩薩一尊。背丈1、85m、髪を高く結い、錦刺繍の衣服を身に着けスカーフが斜めに垂れ、肌は清らかで潤いがあり、動きが軽々しく、愛らしく麗しい。商人が盗賊に出会った図 ある商人が重宝を持参し途中で危険に出会う。彼等は一心不乱に観音経を念じたので、盗賊から逃れた。当時の実情に違いない。

第57窟。説法図。観音菩薩。説法図(北壁中央)。菩薩。
観音菩薩。図上の観世音菩薩は唐代の菩薩の最優秀な代表作とされる。観音の秀麗な顔形 細長い眉、目は僅かに開き、鼻が通って赤い唇、しなやかな肌、淑やかで上品なタイプである。衣やスカートのシルクが薄くて奇麗だ。

第320窟。 双飛天。  
飛天は香音神とも称し、敦煌壁画には”飛天の無き所非ず”と称される。二組四尊が相対して飛んでいる、前の一尊が飛びながら花をちりばめ、後ろの一尊は続いて追いつき、左右対称し相い呼応、敦煌唐代壁画の代表作と讃えらるる。

第17窟。 近侍女。
近侍女とは家で五戒の教養を受けた子女のこと。唐代以前は”優婆夷”と呼ばれ、唐代以后は ”近侍女”と呼んだ。菩提樹の下に立っている。右手に杖を抱え、温和で上品、純朴で安らかな顔つき、晩唐時期の傑出した人物画である。

           

      商人遇盗図                 第45窟西壁全景

                      

                  觀無量壽経変中          

第41窟。
第158窟。 臥佛。北壁涅槃変中(各国の王は哀悼する)。瓔珞を持つ飛天。笛を吹く飛天
仏が涅槃に入ると「海水が波立ち、大地が揺れ動き、山崖が崩れ落ち、諸々の樹木が折れて・・・」本図は各国の王子が哀悼に来た生きいきとした場面を描いている。図の筆跡が雄渾で、哀悼の場面が真実に生き生きと精密に描かれている。

第112窟。 觀無量壽経変中(舞楽)
これがかの有名な”琵琶を逆さに奏でる”と言う踊り。 ”反弾琵琶”。図は主尊阿弥陀仏の座前は舞楽の情景。



             

                   反弾琵琶

  後記 
敦煌莫高窟,王円シャクからペリオが買いとった文章がパリ・フランス国立博物館蔵に「結婚した男の求愛秘法」がある。結婚した男だけでなく,未婚の男,また,夫の愛情を取り戻す妻の求愛術も加えられ,12ケ條にまとめられている。傑作なのは,結婚した男の場合,妻の愛情を取り戻す法,髪の毛を20本取る,焼いて灰にする。酒に混ぜて飲むと効き目がある,と言う。

敦煌研究院によると、敦煌文書を所蔵するのは、中国を始め、イギリス・フランス・ロシア・ドイツ・アメリカ・インド・日本・デンマーク・フィンランド・オーストラリア・スウェーデン・韓国。数量は中国=26570件。ロシア=19000件。イギリス=13300件。フランス=6000件。日本=728件。一国の国綱が疲弊し、死に体状態になると、列強国の略奪・破壊が始る。

☆参考文献。
敦煌石窟珍品。(香港広彙貿易有限公司)。
敦煌の伝説。(中国・新世界出版社)陳 ト 著。
中国歴史博物館「敦煌」展図録。
敦煌仏教物語・中国・甘粛教育出版社。
2000/09/20




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