中国歴史紀行>27>蘆溝橋

   蘆溝橋

北京の西南15Km豊台区の永定河に架かる。北京の現存する最古の連続アーチ石橋、永定河はもと蘆溝河と言ったので蘆溝橋と命名された。架設は金代の大定29年(1189)で明朝の正統9年(1444)に改修、清朝の康煕年間に洪水に流され、同37年(1698)再架設された。

全長266・5m、幅7・5m橋げたの間はアーチ状で11のアーチに支えられた橋の姿は美しい。マルコポーロが旅行記『東方見聞録』でこの橋を絶賛していることで有名。両側の石造りの欄干には、それぞれ140本の親柱がある。北京には『蘆溝橋の石の獅子』

 『その心は?』『数えきれない』と言った謎遊びもあるくらい多くの獅子が欄干に飾られている。 石獅子はすべその姿態が異なる。調査によると、華表の上に4頭、東側の最初の欄干に大きな 獅子が2頭、橋の欄干に281頭、子供の獅子が198頭、合計485頭最近、橋梁から1頭見つかり現在のところ486頭が正式の数字になっている。

天安門を始め中国の主要な建物の門には、どこでも石の獅子が置いてある。東詰めの碑亭には乾隆帝筆の『蘆溝暁月』の漢白玉石の碑が鎮座している。「燕京八景」の一つ。

昔、旅人を送って家族、知人が蘆溝橋まで来て共に一夜を過ごし、残月を見ながら川辺の柳の枝を折って離別を惜しんだところから付けられたと伝えられ、蘆溝橋は北京城の外門にあたる。

1936年7月7日夜、この地で夜間演習をしていた日本軍と橋の東に駐屯していた中国軍との間銃撃事件が起こり、これが原因となり日中戦争が始った。所謂、蘆溝橋事件。中国はこの歴史を残す為に橋のたもとに蘆溝橋史料陳列館を建てて1981年に公開した。

さらに1640年創建の橋東の宛平城を修復し城内に中国人民抗日戦争記念館を建設し、1978年、蘆溝橋事変50周年の記念事業とした。中国人民抗日戦争記念館を見学した。寒い冬の時期でもあり参觀者は同行の日本人と只二人、館内は寒ざむとして、殺気迫るものを感じた。

展示場は侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館と大同小異。此には南京屠殺記念館と異なり髑髏の展示が無いので”ホッ”とし、救われた気持ちがした。86′初冬、蘆溝橋を訪れた。90年再度訪問した。 「蘆溝橋事件五十周年」 は先師に批正を請う、全圏詩の会心の作とは思い乍らも心境は複雑だった。日本戦没者御霊、中国人民の犠牲者の方々御霊の安眠を祈る。

          蘆溝橋事件五十周年感を賦す

 
国 是 由 來 宣 大 猷。   国是 由来 大猷を宣ぶ
 濫 竿 得 意 劇 蚩 尤。   濫竿 意を得て蚩尤よりも劇し

  肝 義 胆 空 文 耳。   忠肝 義胆 空文のみ

 欲 弔 英 霊 与 楚 因。   弔わんと欲す 英霊と楚囚と


註釈・国家の正しい方針だとして由来、大きなはかりごとを、のたまう。
無能の者が才能が有るように見せかけ得意になる。兵乱を好み、黄帝に
滅ぼされた(黄帝時代の諸候の名)蚩尤よりも、甚だしい。
忠義肝胆とは名ばかり全く空言に等しいものだ。
いま、蘆溝橋を訪れ日本軍兵士の英霊と中国人民犠牲者の御霊を弔いたい。
               
     
早朝・初冠雪の蘆溝橋 (欄干の石獅子だけが歴史の重みを知っている)
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