中国歴史紀行>12>上海豫園

    上海  豫 園 

明朝時代に18年の歳月をかけて建設された庭園です、上海では中国の伝統文化を伝える唯一の庭園とされています。園内は龍の彫物で飾られた塀で複雑に区切られていて、それぞれ趣きの異なる表情があり、小規模な庭園とは言え、狭さを感じさせません。

面積は5haちかく、園主の潘允端は上海出身で圓名は「予悦老親」(予は老親を愉します)予は愉の意。三穂堂・仰山堂・點春堂・万花堂・快楼・得月楼・会景楼・両宜軒・魚楽てい・等があり築山が折り重なり武康石を積み上げた洞壑があり、魚楽臺から万花楼までの一帯は歩廊・渓流・山石に満ちて眼を楽しませてくれます。

古戯台:は突き出た舞台の三方は木製の欄干に囲まれ、さながら平坦な顔に下唇が長く伸びているような形。そこから『舞台唇』とも呼ばれているそうです。欄干の細部には精密な彫刻が見えます。又、幾層にもなった瓦葺の屋根や正面の檐(ひさし)が特徴的です。

南翔饅頭店:はグルメ一番のオススメ。創業から120年以上経つ老舗で豚肉を使った(秋は蟹肉)この店の小籠包(シャオロンバオ)は上海一、おいしい。と評判で、いつも長い行列が出来ます。(営業時間:7・00〜17・30.年中無休。

ただし食べようと思っても、あの長い行列を見ただけで・・・・)園内東部にある玉玲龍石は宋代の花石網(徽宗の時。珍花奇石を都に集めたと)の遺物と言います。 門外の湖心亭・九曲橋・荷花池が曽ての中心であったと伝えられています。

点春堂:圓内東北隅にあるこの”春点堂”は1853年上海 ”小刀会”の蜂起のさいの指揮所です。この記念すべき場所が此にあるとご存知ある人も少ないでしょう。小刀会に就いては(陳舜臣著・中国歴史に以下の記事があります)「”小刀会”とは一種の秘密結社でした(三合会の一派)会員は小刀を帯び、紅巾を纏ったと言うことです。

1853年9月7日、上海の小刀会は蜂起して、あっと言う間に県城を占領しました。会員は水夫・商人・職人が多数を占めて ”滅清復明・貧官剿滅”をスローガンとしました。この時代の清朝の官吏の腐敗が原因で、それに対する反抗でした。リーダー達は広東省・福建省の出身者が多く彼等は早くから外国人と接触し、新しい時代の風を感じていたのでしょう。

上海の小刀会は列強の武力干渉によって清朝がやっとのことで鎮圧しました。当然、諸外国はその代償を要求して来ました。外国人が上海の海関(海岸の関所・港の税関)を掌握したのはこの戦いの後からでした。」

上海を知る為には”外灘を歩くこと。蘇州河にかかる白渡橋”ここは租界時代”外白渡橋”又の名前をガーデンブリッジ。「外白渡」とは外国人はタダ「白費」で渡れると言う意味だった。橋の南に続く(黄浦公園)も曽てはパブリック・ガーデンと呼ばれていた。10年前中国朋友と浦東開発地区を見学した際この路堤で彼は指さし”此処です”・・・・・・・・。   


豫圓:南市区安仁街132号 (入場時間8・00〜17・00)
交通: 11路又は26路トロリーバス。又は64.66バス豫圓下車
和平飯店から徒歩で約30分。


   opyright (C) 1999-2003 石九鼎
   http://www5d.biglobe.ne.jp/~tohou21/tabi31.htm
   このページのリンクは自由です。無断コピーは禁止します。