中国歴史紀行     (34)

   峨眉山

峨眉県の県城西南7`にある。四川盆地の西南隅に聳える。海抜 3,099メートル。峨眉山は浙江省の普陀山。安徽省の九華山。山西省の五臺山。とともに中国仏教四大聖地の一つで今も中国全土から訪れる参拝客で絶えない。年間20万人の巡礼者、仏教信者が集る。

古来神々の宿る山として神聖視てきた。曽は、多くの人々が羽化登仙を願い、此で捨身したので その下には白骨が重なっていたと伝える。山には多くの伝説があり。 日本では芥川竜之介の 「杜子春」の仙人鉄冠子の修行場所として描かれている。

             
                   案内板

               

                         山頂からの展望  (雲海)

駐車場から登山すると「駕籠屋」が見つかる。竹竿二本でゴザを一枚敷いた物。二人が前後肩に乗せる。一人50元。暫らく進み、突然(休息!休息!”有85公斤!)休もう休もう85キロもある重い重い!と叫ぶ。体重65kにサンドバッグ20k。チョット気の毒になる。笑うに笑えない。

又担ぎ屋二人は坂を登攀する。終点に到着、担ぎ屋はフーフー言いながら「帰りも乗るんだろう」 「金頂景区滑竿抬運収費収据」 雷洞坪=接引殿。 長い長い名前の乗車券の半券を渡す。 「考えておくよ!」と答えて スタコラ スタコラ登山を始める。”50元は高くないな”と思った。

「峨眉は天下の秀」と称えられている。麓から頂上まで50`余りの曲がりくねった石径が通じている。ロープウェイ発着場に到着。日本の技術援助で設置されたもの。切符売り場では一人ずつ部屋の椅子に坐らせる。何だろう?乗車切符の半券に自分の記念写真が写し込まれていた。

ロープウェイの昇り乗車券40元。下りの乗車券30元。上下の乗車券の違いに中国式の考えに頷いた。ロープウェイが上昇途中、乗客から歓喜の声が上がる。ブロッケン現象。瞬時のことで残念。山の上で稀に見られる光学的現象。人の影が前方の雲霧にうつる時、その影の頭のまわりに七色の美しい輪が見える。”御来迎”とも呼ぶ。

峨眉山は気候の差が大きく、山麓は亜熱帯、中腹は温帯、頂上は寒帯に属し、麓と頂上の温度差は約15度Cと言う。頂上の金頂の7-8月の平均気温は11度C前後。酸素欠乏症を心配したが頂上付近で観光客数人の異常がみられただけであった。前方遥か彼方に氷河の山脈が認められた。昨日の雨で今日は空気が澄んでる。峨眉山の野猿は雨天の翌日には出てこないと言う。
                                               山頂にある一群の名碑


峨眉山は「四大奇観」で有名。第一の奇観は「日出」(ニッシュツ)で山頂にいると、太陽は足もとから昇ってくる。第二は「佛光」(光背)で午後2時から4時ごろ、山頂でのぞくと虹現象で、自分の影に光背がついているように見える。第三は「雲海」晴れ間にはチベットの山々が雲海の彼方に見える。第四は「神燈」多分、リンの鉱石が有るのであろうと伝える、夜になってそれが下から湧く鬼火に見えると言う。峨眉山の一年間平均天候は、三分の一が晴れ、三分の一が雨、三分の一が雲りと言う。快晴に恵まれ正に天の恵みと感謝。

唐の大詩人、李白は若い頃に四川で暮らしていた。青年時代、李白が好んで遊んだのは峨眉山で、李白は一時期、道教に凝る。李白が詠じた”峨眉山月の歌”は「唐詩選」にも収められているこの碑を金頂で見つけ記念に撮影する。

  峨眉山月半輪秋      峨眉の山月 半輪の秋
  影入平羌江水流      影は平羌 江水に入りて流る
  夜発清渓向三峡      夜 清渓を発して三峡に向う
  君思不見下渝州      君を思えども見えず渝州に下る

内容から言って李白が故郷、蜀を出る時の作、李白24歳ー26歳の時の作であろうと推定されている。李白は故郷を出て以后、長い遍歴の生涯にあり、再び帰る機会を持たなかったが、峨眉山にかかる月の光はことのほか、忘れ難いものがあったらしく他の一首に、我れ巴東三峡に在し時、西の方 明月を看て峨眉を憶う    ・・・・・・・・・と詠じる。 


 2008/15

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