中国歴史紀行  (40)

 寒 窰

大雁塔と唐華賓館の間にバス停がある。右方面か、左方面が今日、訪ねる「寒窰」は?バス停で躊躇していた。向かい側のバス停では親子4人連れが楽しそうに会話している。そこへボロ三輪車に幌を懸けた農夫兼運転手のオッサンが「何処へ行く」と聞く。

「寒窰まで往復いくらか?」「15元」値段の交渉で10元。帰り道に『秦二世皇帝陵』に行くと決めていたのでOK!後に後悔するとは思いも拠らなかった。ボロ三輪車は猛然と埃りを撒き散らし走りだす。20分で寒窰に到着。

黄土高原に見られる土砂が雨水に削り取られたような小さな窪地に着く。台地に洞窟を掘って、そこに住居にした窰洞のある「寒窰」がそこにあった。入場料10元。先ほどの親子連れが既に来ていた。

5,6歳の少女が「ハロー」と言う、ボクが「ニィハオ」と答えるとキョトンとした顔が可愛い。 父親が「何処から来ましたか」「日本からです」暫らく父親、母親と雑談。連休を利用しての親子連れの旅行だと言う。

                                           
            
         寒窰の扁額が掛る門亭             宝釧の像

後漢の王允、字は子師。献帝の時、丞相に命ぜられた。時の実力者”董卓”の野心を知っていた彼は自分の節燥を曲げながらも、機あらば、卓を誅しようと計り呂布が実行したが、後には王允は卓の部将李催に殺されてしまった。

「寒窰」にはこんな物語が伝わっている。王允には美しくて聡明な三女宝釧がいた。婿選びをして八方手を尽くしたが、相応しい青年が見つからない。有る年、十字路に櫓を作り、宝釧に櫓の上から五色の毬を投げさせて、婿になるべき青年を選ばせた。

十字路には、長安中の貴公子が集っていた。宝釧が投げた毬は、ひとりの乞食の青年、薛平貴に当たってしまった。激怒した王允は薛平貴を城外に追い出させた。宝釧は薛平貴の人柄の高潔さを知っていたので、承知せず、父母のもとを去り寒窰に向う。生まれ育った家を出て薛平貴と夫婦となった、二人が住んだのがこの寒窰である。

後になり、西涼国が唐の辺境を侵した時、薛平貴は兵卒として出陣するが、彼は辺境の戦さで捕虜になる、18年間、帰国できなかった。この時に軍隊を率いたのは、王允の次女の婿、魏虎である。彼は以前から宝釧をわが物にしようと狙っていた。薛平貴に過酷な任務を課す。

魏虎は 「薛平貴はすでに死んでしまいこの世にはいない」 と言いふらす。魏虎は王允にも、  自ら「寒窰」に出向き、宝釧に再婚をするよう説得してもらった。しかし、宝釧は、この話をきっぱり拒絶する。

十八年後、薛平貴は、数々の試練に耐えて帰国する。すでに再婚してしまっていると思っていた宝釧は、貧乏に耐えて、薛平貴を待っていた。以后、二人は生涯を終えるまで、仲むつまじく暮らしたと言うことである。

               

                    寒窰

閑静な洞窟の周りには杏の花、小鳥たちが囀りひとときを過ごした。観光客もまばらで、先ほどの親子四人は、まだ園内で観覧していた。別れの挨拶をして門外に出た。


 2007/09/09  


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