中国歴史紀行    (41)

  秦二世皇帝陵

幌付き三輪車に乗り込み「秦二世皇帝墓」と農夫兼運転手に告げる。「ハォラー」と この親爺さん上機嫌だ。来た道路を500m下だった所を左折。農道に入り、昨夜の雨で正にドロンコの田んぼ畑 を幌付き三輪車は坂道を登れない「此処から降りて歩いてゆけ」と言う。

泥ンコで足の踏み場もない。よろけながら坂道を登る、親爺さんボクの手を取りヤケに親切だ。小さな柏林が見えて来た。泥んこの道を行く。スニーカは泥だらけだ。

入場券10元を支払い山門に入る。コンクリートの階段を上ると二山門がある。内部は始皇帝の死後の秦王朝の滅亡がどうのようであったか詳しく示す図があった。二山門の奥に、二世皇帝胡亥の陵があった。皇帝の墳墓である。しかし、墓というほうが相応しい、粗末で、胡亥が気の毒に思えた。石碑は御影石で3m×1m。石碑には「秦二世皇帝陵」と隷書が書かれている。

この高台から眺望すと左方面に靄に掛った大雁塔が微かに見えた。階段を下りると、受け付けに坐していた女性が屋根付き、唐代のパノラマに案内してくれた。流暢な中国語で説明をする。

秦の二世皇帝、胡亥は凡庸な人物であった。趙高は始皇帝の崩御後、太子の扶蘇に代えて、李斯と共謀し、始皇帝の遺言を偽り、扱い易い「胡亥」を立てた。

ある時、二世皇帝胡亥の前に鹿を献上し、「馬でございます」と、うやうやしく申しあげると、二世は「丞相よ、間違ってはいけい、鹿ではないか」と笑いながらいう。左右の廷臣たちまで、みごとな馬だ、などと言いだす。何度も、このようなことがあり、その場の雰囲気としては馬という感じだった。

驚いた二世皇帝は自分の頭が変になったのだと思い、占い師にみせると、暫らく上林苑で齋戒し気を落ち着けた方が好いでしょうと言う。二世皇帝は趙高に謀られて、上林苑中の望夷宮に閉じ込められてしまう。


                    
                      (二世皇帝陵の碑)

進退きわまった二世皇帝胡亥は「丞相に合わせてほしい」と頼んだが、相手にされない。ならば、 「一郡をもらって王にしてほしい」と言い、「それがダメなら、せめて万戸候でも・・・」と訴えても、いっさい聞き入れてもらえない。絶望した二世皇帝胡亥は自殺した。享年23歳の若さだった。

趙高は最初は自分が代わって皇帝になるつもりでいたが、宦官ということで抵抗が強すぎ、不可能と解かると、二世皇帝の兄の子の公子嬰を立てることにした。趙高は公子嬰に祖先の廟で天子の印璽を渡したいので、前もって齋戒するように勧めた。

が、嬰は従わなかった。自分が祖先の廟へ行けば殺される計画を見ぬいていたからだ。趙高自身で呼びに行ったところ、嬰はその場で趙高を一刀もとに刺し殺した。

帰路に着く、ホロ付き三輪車に乗り、バス通り(雁引公路)に出た。見えた!(曲江池の表示だ!)唐華賓館前で下車し料金を支払いの精算になって、「15元だ」と言う、 「約束が違う10元ではなか」「二箇所行ったからだ」という。先程の機嫌の好さの魂胆が解かった。

(バカなことを言うな)と馬・鹿の故事を今、見て来たわけで無いが、つい言葉が出てきた、10元渡してスタスタと唐華賓館に入り手洗間でドロドロのスニーカーを清潔にする。後フロントに行き、100元を小銭に替えてもらう。唐華賓館内の茶楼でコーヒーを飲む。体中に充実感が溢れた。



2007/09/09 


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