中国歴史紀行   (47)

 蝴 蝶 泉
   
雲南省「大理」は、省都「昆明」から高速道路を車でマイクロバスで約5時間。19の高い峰が連なる「蒼山」と淡水湖「アル海」に囲まれた、風光明媚な街である。街中では、少数民族「白族」の女性の鮮やかな衣装が目を引く。「白族」は北方からの騎馬民族と農耕民が融合した民族と言われ、大理の人口の8割り(約128万人)が集中し、彼らの伝統文化が色濃く残っている。

毎週月曜日に開かれる白族のバザール(市場)を歩けば、白族の暮らしを垣間見る事が出来る。

蝴蝶泉は大理市の旧城北方20km蒼山の雲弄峰の麓にある。地元のガイドを雇う。名前は「羅」さん、同行の小周が言う「少数民族の姓名には羅という名はないワ!彼女キット漢民族ヨ!。」 ガイドの羅さん、早口で語るので少々聞きずらい。  途中、農家総での稲作の取入れをみた。手で稲を叩き撞ける旧式の作業だ、同乗している西安郊外、家が農業だと言うオカミサンが言う 「此処は遅れている!脱穀機を使っていない」と30歳過ぎの息子と語り合う。

蝴蝶泉の幅は7〜10mくらいで、大理石の欄干をめぐらす。傍らに老木が一本ある。枝葉が泉上を覆う。旧暦4月に花が咲くと、彩りゆたかな蝴蝶にみえ、蝴蝶が群がりあつまって飛びまわり、さながら「鬚を連ね足を鉤けている」ようで、樹頭から泉面まで連らなり豪華絢爛な帯びのように見え、傍らの木立のなかも、さまざまの蝴蝶が飛びかい、蝴蝶の群れが寸断することもない、と言う。
    
   
           

          
                                                                             ガイドを兼ねる 少数民族の少女たち。

泉水の周囲には蝴蝶楼・涼亭・花台や郭沫若(1892〜1978)筆の『蝴蝶泉』の額を掲げる石牌坊がある。ガイドの説によれば、明代の『徐霞客遊記』と『南詔野史』にも収録されており、もとは”無底譚”と言った。封建王公が「ブン姑」という乙女を奪い取ろうとしたところ、「ブン姑」とその恋人が譚に飛び込んで一対の蝴蝶になったので蝴蝶泉と呼ばれるようになったと伝える。

ガイドの羅さんに聞いてみた。「一日の観光客はどのくらいですか?」彼女曰く「サンデンチィー」僕と小周「???」 「デン」は 「、」 3,700人だった。今は11黄金週間中。国慶節で中国中が遊覧に沸き立っていた



2006/10/08


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