中国歴史紀行 (48)
   大理三塔

正式には「嵩聖寺三塔」。大空に聳え立つ白い三つの塔。大理市の旧城北1kmにある。もともと嵩聖寺の一部であったが、嵩聖寺は早くに廃滅したと伝えられる。蒼山の麓、ジ海(シ+耳の字)の湖畔に三基の(佛塔)磚塔が鼎立し、雄大、荘厳で気迫にあふれる。

大塔(2)(3)は中央にあり千尋塔といい、西安市の小雁塔のような形で、方形16層、高さ70m塔内は中空。中国の古塔の中では最も層数が多い。第8層から上が徐々にせまくなっている。各層の正面の中央にアーチ形の佛龕を設置し、白い大理石の佛像を1体ずつ安置し、塔頂の四隅に青銅鋳の金鵬が1つずつある。唐代文化の南詔の影響を考えさせる。 

       
                
                
                 大理三塔

建立年代については定説がない。南詔の第10代王豊祐の保和年間(824〜839年)とみられている千尋塔の南北に、ともにほぼ70mを隔てて小塔、八角形の平面をもつ10層の佛塔が建つ。この両塔の間隔は97mあり、高さ42,19m。心が詰まっている。塔身に白色の漆喰を塗り、毎層にそれぞれアーチ形の佛龕や佛像、蓮花、瑞雲、花瓶などを彫っている。華麗にして荘重。塔頂に青銅製の葫蘆を3こ安置している。五代(903〜960)の建立と考えられている。


三塔は千年の風雪に耐えてきた。1925年、大理に大地震がおこり、99%の家屋が倒壊した時も千尋塔の塔頂が落ちただけであった、と伝える。しかし度重なる地震により、正面の山門から入り右に位置する小塔が60°左の小塔は80°に傾いていると言う。

                       
                      

雲南省の旅を12日に終えて西安に帰った。二週間過ぎた10月27日13時35分、雲南省麗江地区永勝県に6・0級の地震が発生したとテレビで報道された。文物・人々の平安を祈ること切なり。



2001/10/09



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