中国歴史紀行>5>中山陵

  南京 中山陵

南京駅から9路バス終点。南京市の東郊、紫金山中部の第2峰茅山の南麓にある。

緑樹が生い茂り、此では新鮮さを感じさせる空気と静寂感。『天下為公』三民主義の孫中山の陵墓。1926年に着工・29年に完成。同年6月1日北京・碧雲寺から遺体を移し安置した。

陵墓は木鐸形で・南から北へ山肌沿いに墓道・陵門・牌亭・平台を配し、最高部に祭堂と墓室を設置。墓室は海抜158m・墓道の入口から700m余りの場所に位置し・花崗岩で築いた392段の石段がある。祭堂に孫中山の石造全身座像を安置し・周囲には孫中山の業績を描いたレリーフが一段と輝いて見えた。

又・四方の壁に著書『建国大綱』が彫られていた。此の著書・建国大綱は1924年4月表したもの。祭堂の背後は球形の墓室になっている。中央に大理石造りの壙(あな)があり・其中に長方形の墓穴を穿ち・棺上に永眠する孫中山(1866−1925)の臥像を彫り・極めて静謐にして厳粛である。陵園の総面積は3000ha余り・そのうち山林が1200ha余りを占める。

全山が青あおとした松柏に覆われている。陵墓の前方は広大な平原に臨み・背後には巍峨たる山脈を負い・配置が厳正かつ雄大。中国の伝統的・民俗的風格を漂わす。

ここ中山陵の後方に『梅花山』がある,中国では”売国奴”して最も忌み嫌われている。汪精衛⇒中日の傀儡政権樹立のターゲットして活躍した人物。死去後、南京に死体を空輸、梅花山に埋葬された。

しかし1946年1月、当時の陸軍総司令官、何応欽は蒋介石他と会議、『“漢奸”を孫中山陵にあるのは許し難い。』1・15夜、コンクリート建造の墳墓は木っ端微塵に爆破して汪精衛の遺品は一切残らずこの世から抹殺された。使用した爆薬150キロTNT烈性炸薬。


§参考資料§ 中国国家文物事業管理局編・ 南京市区交通図・


            Copyright(C)1999-2004  by tohou AllRightsReserved
                      石九鼎の漢詩舘
                thhp://www.ccv.ne.jp/home/tohou/tabi5.htm
             リンクは自由です。無断で複製・転載することを禁じます