中国歴史紀行  (52)

  咸陽博物館

朝、9時に興慶公園前(交大北門)で姚君と遇い。タクシーで西安城西高速客運站棗園路、10時。マイクロバスの呼び込みに誘われ乗車する。乾県〜西安(高速道路) 11.45分、到着。      

咸陽は曽て幾多の中国重大歴史を経過して来ている。商鞅が強国策を献じ、荊軻が咸陽宮より地図を献じ秦王を刺すことを計る、丞相李斯が腰斬に被り、宦官趙高が秦二皇帝を殺し、項羽が入関、咸陽を三ケ月も延焼する。秦始皇帝は咸陽で指揮の中心をとり、奮闘十年、六ケ国を統一し多民族の中史集約封建王朝を建立し咸陽を全国の政治・経済・文化・軍事の中心とした。   

大門を入ると正面に(一殿)『秦歴史文物陳列』両サイドに西・東・文物陳列。(二殿)は西漢帝陵文物陳列。(三殿)は漢兵馬俑館が二箇所。筆頭は 『漢参千彩絵兵馬俑』 『漢玉馬』 『漢馬蹄金』 『秦提練銅』 『楚陳爰金弊』 『秦錯金銀銅鼎』。                         

 咸陽博物館は、咸陽市中央より、やや南寄りにあった。ここには、”楊家湾漢墓”から発掘された(1965年8月)加彩の陶俑が展示されていた。1号〜3号の兵馬俑館の漢代兵馬俑群である。  

歩兵1965体。騎馬兵583体。「東ー6」から東六龕6000体、兵馬俑は少し小さい、然し、6000体もある。色彩も残っていて色彩別できる。騎馬兵は50〜68cm。歩兵は44〜49cmといずれも大きくはないが、一体一体に紅・緑・黄・白・紫など豊冨な色彩が施され、甲鎧を着た武将や軍馬の表情、姿態などの表現は「秦の始皇帝兵馬俑」とは異なった迫力を感じさせる。

                                                                        



          



「東1〜3」は乗馬が主体に展示され、色あせた朱色が古代を偲ばせる。「東4龕」は白と黒、黒色の兵馬俑とは・・・・・。初めて見た兵馬俑であり、奇異に感じた。                    


なんと言っても此処の博物館の白眉は”秦磚漢瓦”。特に四種類の拓本が特色だ。私を釘けにした。4枚一組で300元の値札が付いている。中国では価格は自分で判断するしかない。高い安いの判断は個人の文物に対しての価値観でしか語れない。基準が難しい。              

           
 

              秦磚漢瓦

2010/09/15


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