中国歴史紀行  (57)

   興教寺

長安県の小陵原の傍らにある。西安の東郊約25km、あたりは広々とした高粱畑が続く、この寺は唐代(669年)の創建、高僧玄奘法師(三蔵法師)の遺骨を葬っている所として  有名。墓塔の塔額に粛宗(在位765〜762)筆の「興教」の2字があるので、興教寺と言う。

13歳で出家、21歳で受戒した玄奘は28歳の時、煩悶したすえ佛典を求めてインドに旅たった。苦節17年、西域諸国を巡り、多くの佛典を携えて長安に戻り、太宗李世民の大歓迎を受ける。

         


唐代の後、伽藍は荒廃し、清の同治年間(1862〜1874)に戦火にかかって焼失してまう 1922年と1939年に再建された。

西側の慈恩塔院の中央にある、最も高い5層の塔が玄奘の舎利塔で、左右のものは玄奘の高弟 窺基と円測(新羅の出身)の墓塔。いずれも石刻の塔銘と泥塑像がある。

側面には玄奘の事跡が刻まれている。3塔の北の塔亭にある石刻 『玄奘 笈を負うの図』は有名である。

                   

赤茶色の土塀に囲まれた寺内には松・竹・梅・牡丹など植えられ また、日本佛教協会による記念碑は清楚に建立されていた。

園内で農作業をしているご婦人に出会った。興教寺の住人と言う。住人は全員で40名も此処で生活をしている、と話を聞く。自給自足らしい。

院内で『三蔵聖教序』と『臥佛開光記念・十八羅漢』の拓本を購入した。小鳥の囀る閑静な院内は、いっそう静寂をまし、日本人の佛教関係ご夫婦が参觀していた



2001/10/28



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