中国歴史紀行>7>龍門石窟

     龍門石窟
古都洛陽は中原の要地に位置して石窟の名品が多い龍門石窟は洛陽から西南え13`公共汽車でも遠くない。龍門石窟は、敦煌、雲崗と並んで中国三大石窟。洛陽の南、伊水と言う川を挟んで石灰質の岩山が二つ聳えている。これが門のように見えるので”龍門””伊闕”と呼ばれている。二つのうち主に西山に北魏から唐中期まで多くの石窟が造営された。
                       
北魏とは、トルコ系の遊牧民、鮮卑族の中の一つの部族、拓跋部が建てた国。モンゴル高原に勢力を得て南下しフホホトを経て大同盆地にまで進出して『魏』と称した。いわゆる『五胡』の一つ。石窟の開窄は400年にわたり続いたと言われている。石窟と佛龕は西岸、東岸、併せて2100余。その内訳は石窟が1352.佛龕が150。佛像は十万余体。内訳は北魏30%。隋唐60%。残りはほかの時代のもの。

佛塔は40余基。碑文。題記は2870点余。このうち『龍門二十品』は特に有名。代表的な洞窟に北魏代の古陽洞。賓陽洞。蓮花洞。唐代の潜渓寺。万佛洞。奉先寺。看経寺。特に奉先寺の盧遮那佛はよく知られている。4度訪れている。

                 
1)潜渓寺。
順路の最初の大きな石窟。唐代の開窄。洞内を泉水が流れているので潜渓寺と言う。1佛・2弟子・2菩薩・2天王を彫る。主佛の阿彌陀佛は須弥壇に端坐し、バランスが良い豊満な顔つきで、英知と慈悲に溢れる表情をしている。2菩薩はふっくらとした肉体、伏し目の両眼、盛り上がった胸。唐代初期の傑作と言う。天王は甲冑を身に着け、足で鬼怪を踏みつけ、眉を立て、武士の心情を表す。洛陽の牡丹は国花(中国の国花)今も有名だが、潜渓寺も曾ては更に有名だった。

2)賓陽洞中洞。

景明初年(500)頃、宣武帝が勅願し、巨大な三窟を造営しようとしたが果たせず、24年を費やし、延べ80万2366人を動員した大工事だった。主佛の釈迦牟尼と弟子・2菩薩は清痩な顔つきで、衣文が規則正しく精密に折り重なり北魏代の造像の特色を体現しているドーム型の天上に沿い、高さ約8,40mの奥壁如来坐像。正面、左右側壁の巨像が、やや前方に傾き微笑んでいる。礼拝者を包み込むような温かさは、洞内で直面した者にしか実感出来ない。映像・写真では解らない。

洞口の内壁の両側に、維摩変、佛本生故事、皇帝礼佛図、皇后礼佛図、十神王像の4層からなるレリーフを施す。然し、皇帝礼佛図、皇后礼佛図は新中国成立以前に盗まれた。いま皇帝礼佛図はニューヨークの市立美術館に。皇后礼佛図はカンサスのネルソン美術館に所蔵されている。

(3)賓陽洞北洞。

本尊は阿弥陀仏。袈裟を着て四人の力士が担ぐ方座の上で結跏趺坐する。火焔を背にし火焔にはひょうたんの飾りがある。入口近くに浮き彫りされた二天王は鎧を纏い、金剛杵をふりあげ、両足で夜叉を踏みつけている。唐代の古い天王の形式と聞いた。

4)賓陽洞南洞。
本尊は阿弥陀仏。あまり上下の厚みのない長方形の脚部、抑揚の少ない長めの台形を乗せたような胴体と、その特徴はブロックを積み重ねたような隋彫刻に近似している。左胸前で袈裟の端を紐でつるし、両膝の間にゆるい弧を描いた衣文線を数本わたし、脚部中央に袈裟の一部を垂らす。

(5)古陽洞
龍門山の南部にある。龍門の石窟の中で最も古く開かれた窟である。見ごたえがある。『洛陽伽藍記』にも詳しく記されている。平面が馬蹄形で高さ10mほどの大窟で,奥壁に一佛二菩薩。左右壁上中下三層に大龕像。窟全体に無数の小龕像が造られている。上層の八大龕には、各一体の佛坐像。八体のうち七体までが、大衣を涼州式偏袒右肩のかたちに纏う。八大龕像と奥壁像の大衣の衣文線の間隔は狭く繊細で、薄く柔らかい布の質感が良く出ている。

釈迦が樹下に誕生する場面。山林に瞑想に耽る場面など、つながりのある物語を彫った佛龕が南壁の中段に見える。このような物語の場面は龍門の石窟では珍しい。一見の価値大なり書道家が賞賛し手本とする『龍門二十品』のうち十九品が、この古陽洞の造像題記である。この題記から、この窟が北魏朝廷周辺の貴族・高官・軍人・僧侶などの寄進により、上層の向って右側から彫り進められたことが解明されている。

(6)薬方洞
奉先寺と古陽洞の中間にある。北魏代後期に開窄を始めて、約200年の歳月をかけて(武則天の周朝。684-705)にやっと完成。洞内の主佛・弟子・菩薩。洞外の力士・八角蓮柱。多種多様な形式に富み龍門石窟の大洞窟では唯一の北斎代(550-577)のものと記されている。洞口の両側に瘧疾・反胃・心痛・消渇・瘟疫など140種余りの疾病を治療する処方箋(薬方)を彫る。唐代のもの。中国の古代医学の貴重な資料とされている。

7)万佛洞
唐の永隆元年(680)の開窄。洞内の東西壁に一万5000体の仏像を彫る。正面の阿弥陀仏は八角形の束腰の蓮花座に端座し、背後には52の蓮華が彫られ、その一つ 一つに菩薩か供養人が坐り、独特の構成。洞窟の外の観世音像は頭部が風化しているが右手に払子を持って肩に寄せ、左手に浄瓶をかるく提げている姿はなめまかしい。

(8)蓮花洞
外側の左上方に民代に彫った「伊闕」の2字があるので「伊闕洞」とも言う。北魏後期の開窄。主佛の釈迦牟尼の立像は高さ5,1メートル顔面と手が破損しているが両手を前に出し、右側の迦葉佛が錫杖を手にしていることから釈迦乞食像と思われる。

9)奉先寺
龍門山の南端にある。唐の高宗の初年に開削を初め上元2年(675)に完成。龍門石窟で最大の露天の佛龕。幅36m、長さ41mで、盧舎那佛・弟子・菩薩・天王・力士など9体の彫像がある。主佛の盧舎那佛は高さ17,14mで、ふくよかな顔つきで、眉と目が細く、口の端がそり上り、すずしげな微笑をして、あたたかく、やさしく、叡智を秘めた表情である。曽っては全身に金箔が貼られていて、燦然と光り輝いてたという。

両側に謹厳荘厳な迦葉、温順敬虔な阿難、端正矜持の菩薩、蹙眉怒目の天王、威武剛健な力士などの弟子わ配す。いずれも円熟した彫りで、唐代彫刻の代表作。盧舎那佛の顔は則天武后がモデルだと言う。彼女は化粧料2万貫を寄進した。その為に石工達は感激して、彼女の顔に似せて彫ったと言い伝えられている。

☆ 参考文献:龍門石窟研究論文選・上海人民美術出版社。中国国家文物事業管理局編。


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