対 雪
雪に対して感慨を述べる。製作時期は至徳元載の冬の作。冬は深まり、その後の戦況も家族の安否も伝わらず心を晴らす酒も無い。ただ廻風に舞う雪に対して憂愁のうちに坐してばかりであった。此の年の十月には房琯が陳陶斜に敗軍『悲陳陶』詩に見える。

戦哭多新鬼。    戦哭 多くは新鬼なり
愁吟獨老翁。    愁吟するは 獨り老翁
乱雲低薄暮。    乱雲 薄暮に低れ
急雪舞廻風。    急雪 廻風に舞う
瓢棄樽無淥。    瓢は棄てられ 樽は淥無し
炉存火似紅。    炉は存して 火 紅を似す
数州消息断。    数州 消息 断ゆ
愁坐正書空。    愁へて坐し 正に空に書す


[瓢棄]一作瓢弄。[一に瓢弄と作る有り]。
[書空]晋の股浩が官を辞めさせられた時、終日「咄咄怪事」の四字を空に書いたという『世説新語、黜免篇』の話にもとづく。
[沈佺期、玩雪詩] 颯沓舞廻風。


詩語解
[新鬼] 新しく戦死した者。鬼は亡者。
[老翁] 作者自身をさす。
[廻風] 吹きめぐる風。
[瓢棄樽無淥] 樽の酒が無くなってしまったので、それを汲むひさごも棄てられたままになっている。
[淥] 緑に通じ、酒の色が緑なので、酒というのに代えて用いる。
[火似紅] 楊倫註:「正無火謂」生活の苦境を示すもの。
[書空] 晉の殷浩。字は深源。老子・易,を好み清談の徒の間では尊敬されていた。建元の初,徴されて建武将軍となるが庶民となり永和中卒す,[咄咄怪事](思いがけず急に起こった奇怪な事。)
晉の殷浩 が左遷されて、その怨みを言葉には出さないで、ただ「咄咄怪事」という四字を空に書いたという「晉書‐殷浩伝」晉書,七十七。に見える故事による)驚くほどあやしいできごと。

[詩意]
戦場で哭する声がしているのは、多く最近戦死した人達である。愁えにみちた心で吟じているのは、獨りぽっちの此の親爺だ、乱れ雲は低く垂れ、吹きめぐる風に舞って、雪は激しく降りしきる。樽に緑の酒も尽きて、瓢はうち捨てられ、炉は空しく残って、僅かに紅い光があるように思われる。最近、数州の消息は断絶してしまった。家族を思い、為す術もなく、自分は愁うて坐して、晉の殷浩 が左遷されて、その怨みを言葉には出さないので手で空中に文字を書いたように、やるせない心を訴えている。

鹵莽解字
杜甫の詩は後世より詩史と言はれる位,詩語で書いた唐の歴史と謂はれている。彼の詩によって唐の裏面の史実を知ることが出来る。故に杜詩を読むには唐代の歴史と,杜甫の境遇とを,良く知り,其の背景を了解する必要がある。その詩の真の価値,叉その詩の真の趣旨,等悟る事。其の時代と場所を如何にして詳解するかが必要となる。

この「対雪」の詩は禄山乱後に杜甫が賊中に遭遇した時に出来た詩で,禄山の賊軍が長安に侵入したのは,玄宗の天宝十五載の六月,玄宗は其の七月に「蜀」に蒙塵した。併し蜀の辺鄙の地にいては,中原を統治することは困難であるから,太子を監国として都ちかくの霊武に御坐所を定めて,其処に太子を残して置いた。併し太子が単に監国と言うことでは人心の離散を防ぐことができない。

七月太子は直ちに霊武で即位した。之が粛宗皇帝で改元して至徳元載となった。
杜甫は此の禄山の戦乱の前後は長安に居していたが,至徳元載の五月に奉先から白水へ旅をした。白水には叔父の崔少府が居たので,妻子は已に其処に預けて置いたが,事情あって落ち着かず終に妻子を携えて鄜州に赴き其処に居を定めた。
この時,杜甫は太子が霊武で即位したことを耳にし,一刻も早く霊武の行在所に赴き,中興の鴻業を建て粛宗の補佐をし,皇室に忠愛の志を示さんと,妻子を鄜州にに置き,卑賤の者に扮装して行在所に急いだ,不幸に禄山の兵士に見出され,遂に賊軍に捕らえられ長安に送られた。

翌年の至徳二載の四月まで捕虜として艱難辛苦を嘗めた。至徳元載の十月,玄宗の大命により大将房琯が霊武に来て粛宗を補佐し,十月出兵して長安を回復しようとし,十一月に自ら師を率いて進み,長安近郊なる「陳陶斜」に於いて禄山の賊軍と接戦し,敗績して二萬の兵士を失い,官軍は一敗地にまみれて,霊武の中興の士気を全く喪失した。

此の「対雪」の篇は,杜甫が賊中に在って,官軍陳陶斜の敗北の話を聞いて,痛憤の余りに出来た,感情の極めて高調した激越の作とされている。まして房琯は彼の布衣の友人であった。

 李子徳は此の作を批評して,『苦語写し来たって枯寂ならず,此れ盛唐の長を擅(ほしいまま)にする所以なり,正に善く画く者,古木寒鴉一倍の致 有るが如し。』と。


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