春夜喜雨
上元二年(761)春の夜、雨の降ることを喜んでの詩。、五十歳の時、成都の草堂での作。近体詩。

好雨知時節。    好雨 時節を知り
当春乃発生。    春に当って乃ち発生す
随風潜入夜。    風に随い潜に夜に入り
潤物細無声。    物を潤して細にして声なし
野徑雲倶黒。    野徑 雲倶に黒く
江船火獨明。    江船 火獨り明かなり
曉看紅湿處。    曉に紅の湿う處を看れば
花重錦官城。    花は重からん錦官城

○乃、 一作及。
○発生、 万物を生じさせること。
○錦官城、 西都の西城。漢代、錦官が置かれたことからいう。
[何遜・詩] 澄江照遠火。(澄江 遠火を照らす)


詩語解
[知時節] 春になり、降るべき時節を知る。
[乃] いまこそ。
[随風] 風のままに。
[潜] 音も立てずに。
[物] 一般の植物、広くは万物を意味する。
[野徑] 野のこみち。[徑]はただ、人が通れるこみちをいう。
[雲倶黒] 雲黒く雨もまた黒い。
[火] 船夫の焚く火。
[重] 雨に濡れた花は、萎れて重そうに見える。
[錦官城] 成都の城のことをいう。
[曉看紅湿處、花重錦官城] 感覚的に色彩を言い、その後の句で何物であるか、を判断し得る句法。之は眼前の景のみを述べるだけで無く、明日への期待として歌われている。

詩意
好い雨はその降る時節を心得て、春の時節をはずすことも無く、今やその発生の営みをはじめた。さまざまな物を湿らしはするが、細かな霧雨で少しも声はしない。雨の色は野の小道に雲とともに黒ずんで見えるが、江に浮いている船の辺りは、焚き火だけが、明るく見える。曉になって紅の湿って居る所は何処ら辺りかと眺めると、それは錦官城で花がしっとり濡れている姿である。

鹵奔解辞
此の詩は杜甫が蜀の成都に入り浣花草堂幽居時代の製作である。春夜の雨を細密に描いたもので,写実の妙境に入っている。その雨の模様を写して前聯には「潜」「細」とかの虚字を出し,春雨がシトシト静かに降って万物を発生し育てる意味を,巧みに言葉の上に現している。造句が極めて自然で,かざりの彫刻をしていない。天地万物の生育を言葉では言いつくせない捉え方をしたような感じがする。
造句と一致した名句と古来より絶賛され所以である。
後聯は前に夜に入る,とあるが,只だ雨の模様であるから,夜の雨の印象を明白にする爲に,野経の雲と江船の火を以て,其の明暗を対照して夜雨の景情を示し,側面から写して神わざかと思われる程,技巧を筆致に見せている。「
」「」の字は此の句の眼字である。
最後に雨と夜という題意を已に説明し尽くしたので,筆法を更に向上させ一歩を進めて,錦官城の雨後の曉景を想像して,百花が一時にパット開いて蜀都の錦の様に春景色を色彩的に眼前に彷彿させて,絵画を看る思いをさえる。ヨーロッパでは我が国の版画風景作家 『広重』 を 『雨の画家』 と称呼している所以である。

静寂を極めた此の自然の形象は杜甫の版画の傑作でもある。此の収束は律詩の作法の所謂 『一歩推開法』と称するものである。
然もそれは雨の爲に,此の様に美しい景色となったと言う意味の印象を深くさせる爲に,「花重」と言う文字を拈出してきた。そして此の 「重」と言う一字を点じて,如何にも見える様に春の雨景色を写し出した。

『杜臆』は 「重きの字 人のよく下すなし」 と批評している。前人が頻りに此の詩を嘆賞する。殊に「春夜喜雨」と言う題意を直接に文字に表さず,喜ぶと言う至情が自然に現れて総べて喜ぶと言うことを四十字中にさせているのは,杜甫の杜甫たる所以である。
猶を此の詩は前聯は耳の働き後聯は眼の働きから来た句である。詩学の研究には精思精読を必要とする。と前人は教え示す。


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