江 亭 成都の浣花草堂の江辺の亭に居て春の気持ち述べたもの。上元二年。近体詩。 坦腹江亭暖。 江亭の暖なるに坦腹して 長吟野望時。 長吟す野望の時 水流心不競。 水流れて 心 競はず 雲在意倶遅。 雲在り意倶に遅し 寂寂春将晩。 寂寂として春は将に晩れんとす 欣欣物自私。 欣欣として物は自ずから私す 古林帰未得。 古林 帰ること未だ得ず 排悶強裁詩。 悶えを排わんとし強いて詩を裁す ○故林以下末二句。 一本作江東猶苦戦、 回首一顰眉。 ○坦腹 腹を平らにすること。 [晋の郄監が、王導の子の中から婿を選ぶに、門生に王導の家に赴かせた。王導の子は装いを凝らして待ち受けたが、ひとり王羲之のみは『坦腹臥、如不聞』であったと世説新語、雅量篇に言う。 『晋書・王羲之伝は、[坦腹食、獨若不聞]に作る。』] 『陶淵明・帰去来辞』 木欣欣以向榮。 [詩語解] [長吟] 声長く詩を吟ずる。 [野望] 田野を眺める。 [不競] 心の流れるに任せて之と競わず。 [雲在] 雲がひとりでに存在している。 [遅] ゆったりとしたさま。 [寂寂] この世界は音もなく推移するという感じ、春に就いて慣用される。 [欣欣] 悦ばしげなさま。 [物自私] 私とは自己の生を遂げつつあるをいう。 [帰未得] 「未得帰」と同じ。 [排悶] 心中の悶えをおしのける。 [詩意] 暖かな日差しの注ぐ川べりの亭で大の字に寢そび乍ら、詩を声だして長く口ずさみつつ野良を眺める時、水は悠悠と流れているが、私の心はそれと競争しようとせず、雲はじっととまっている。気持ちもゆったりとしている。静かに春は暮れかかっている。どの物を見ても、それらは嬉しそうに自己の生活をエンジョイしている。この時、自分は一人まだ故郷に帰る事が出来ずにいる。私は心の悶えを払い除けようとして、むりに此の詩を作ってみた。 Copyright(C)1999-2011 by Kansikan AllRightsReserved ie5.5 / homepage builder vol.4"石九鼎の漢詩舘" |