月 夜
至徳元年。天宝十五載の八月に作者(杜甫)は鄜州より粛宗の行在に赴むこうとして賊軍に捕らえられる。(45)近体詩。杜甫は長安で捕らわれの身で月夜に賊中に居て吾が妻子眷属に寄せて作ったもの。

今夜鄜州月。   今夜 鄜州の月
閨中只独看。   閨中 只だ独り看ん
遙憐小児女。   遙に憐む小児女
香霧雲鬟湿。   香霧 雲鬟湿い
清輝玉臂寒。   清輝 玉臂寒し
何時倚虚幌。   何の時か 虚幌に倚り
雙照涙痕乾。   雙び照らされて涙痕乾かむ

詩語解
[鄜州]西安の直北に位置する。妻子の在る所。
[閨中]夫人の寝屋のうち。
[看]夫人(妻)が見る。
[香霧]秋の夜の霧。夫人の部屋(室)なので香という。
[玉臂]夫人の美しき肘。
[虚幌]虛は他に人の居ないこと。幌はとばりのまく。
[雙照]夫婦二人で照らされる。

詩意
天宝十五年八月、杜甫は鄜州から肅宗の行在に赴く途中、賊軍の中に陥る、自分は長安にあり、家族は鄜州。家族を思って此の詩を作る。今夜は鄜州での月である。今夜の月は眺めれば眺めるほど,実に冴えきった良い月だ。故郷では閨の中では我が妻がただ一人見ているであろう、自分は一人、いたいけなく思うが子供たちは未だ幼児で此の親父が居る長安の方を想うことはなど知らない。
妻の室には香霧こもって雲の鬘も潤う、月の清き光りを受けて玉のかいなも冷たく感じているだろう。何時になったら他に人の居ない窓かけに傍に寄り添うて、二人揃うて月光に照らされて照らされて涙のあと無しに眺めることができようか。


鹵莽解字
杜甫が妻子を寄せてる鄜州の家族の事を思い作った詩である。杜甫の妻は司農少卿楊怡の娘で貞淑の人で,杜甫が流離落魄している間も,家庭は常に平和であった。
此の詩の作法は実に珍しい作り方で,後世では五律の作法の一つに加えられている。叉「獨」「双」の二字が一詩の眼目であって,此の二字の照応の中に此の四十字の風趣が含蓄されている。

前聯は流水対のようになっている。長安と児女は名詞で対になり,「小」と言う形容詞と「憶う」という動詞と対になっている。後聯は艶麗の句で杜少陵の詩には珍しい。六朝詩人の口吻が有り,上品で有る。併し其の語は艶麗でも其の情は悲痛である。最後の月に対し愁いを訴えて,如何にしたら笑顔が見られだろうかと反問する,無限の情調。漢詩作詩人如何?。

以下,島崎藤村抄録一節 ”春を待ちつつ”   抜粋。
《今年は私も珍しく長煩いしてその爲に自分の枕元で「奧の細道」だの・・・・・人に読んでもらった,私はまた自分の病床で杜子美の詩集などに親しんで見る機会も多かった。「杜律集解」の古びた本が枕元に。あった,繰り返して読んでいるうちに,あれだけ豊富な五言と七言との詩の中に,恋愛に関した詩一つ身当たらない事に,私も少し驚かされた。
・・・・・・・私は,其の話を持ち出し尋ねた「それは中国の詩人だからだ。儒教の感化を受けた國の詩人は違うからの答えであった。」それなら,あの『詩経』はどうしたものだろう,と私が言い出しので彼れも大笑いした。

・・・・・・・杜子美に対する芭蕉の愛は,句作の上にも現れている。芭蕉が杜子美から受けた影響はかなり深いもののようである。杜子美は一体どんな詩人であったか。そう思って見てくると,あの中国の大きな詩人が一生苦しんだほどの底の知れない憂鬱は芭蕉には見えない。 ” 花に遊ぶ虻なくらいそ友すずめ ”  こうした自得の境地は,あの中国の詩人には身当たらない。私達の心は浣花渓の村居まで行って僅かに,あの杜子美の深い溜息に接する。

杜子美は病身でもあり,「萬事干戈裏。空悲清夜徂」という時代の空気の中に身を置いて,その爲に一層生涯を艱難にしたからだろうが,悲しみに悲しみ抜いて死んでいった様な詩人だ,・・・・・・芭蕉のような多感の人の上に深く働きかけたと思はれる。 》  云々とある。



                       
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