江  上
此の詩は杜甫が夔州に漂泊して居るときの作。大暦元年,夔州西閣にての作。

江上日多雨。     江上 日に雨多し
蕭蕭荊楚秋。     蕭蕭たり荊楚の秋
高風下木葉。     高風 木葉 下り
永夜攬貂裘。     永夜 貂裘を攬る
勲業頻看鏡。     勲業 頻りに鏡を看る
行蔵獨依楼。     行蔵 獨り楼に依る
時危思報主。     時 危くして主に報ずるを思う
衰謝不能休。     衰謝 休む能はず


詩語解
[蕭蕭] さびしい。(形容詞)漢詩は,畳韻語,双声語,等,音韻も重要な詩語の一つである。即ち,音律を重要視される,聞いて心地好い。のも条件の一つ。例えば,双声語では,二字のそれぞれの字の始めの子音が同じであること。
しんし「参差」。らいらく「磊落」。ほうふつ「彷彿」。文字の意味も重要であるが,夫れ以上に発音の感じ,物事の状態,を表す語感が重要となる。杜甫,李白,韓愈,白居居,蘇東坡,陸遊,などの漢詩は,読んで響がよい。当然,中国語でも
音韻が好い事が解る。内容も優れ,音韻も優れ,虚字の斡旋も詩の曲折変化は使用いかんによる。
[荊楚] 地名。
[貂裘] 貂(テン)の皮ごろも。
[勲業] てがら。いさおし。老い到れば勲業を立て得るか,否かを気遣うをいう。
[行蔵] 進んで事を為すこと,退いて隠れること。論語に「用之則行,舎之則蔵」とある。
[衰謝] 謝も衰えること,二字で衰えるの意味。気力の衰えが減じたことをいう。
[休] 思いを止む。

詩意
江上には毎日,雨ばかりで,楚地の秋はさびしい。風は高く吹いて木の葉は落ちる,夜の長きによって,貂裘を引っ張り出して着ている。勲業のことが気になるので,鏡で容顔を照らしてみる,行蔵に迷い只だ一人,楼に凭り掛かって考える。時世が安泰で無いから,どうにかして君の御恩に報いたいと思うが,老衰の身ながら,その思いを止めることが出来ない。

鹵莽解字
此の詩は杜甫が夔州に居しての作,夔州という所は,瞿唐両崖と言うような懸崖の地で,前は巴峡の水流に臨み,灎澦堆という極めて危険な所もある。此の峡の水は蜀の岷山から流れ出て,此処で再び洞庭湖へ流れ落ちて,こんどは寛くなり遂に揚子江(長江)になる。此の詩の江上というのは,夔州白帝城辺の江上を指す。
夔州から蜀の境を出れば隣は楚の国境である。故に「江上日多雨。蕭蕭荊楚秋。」と破題している。そして此の荊楚の地方から吹いてくる西風には,江水も波立つ,木の葉も蕭蕭と下る,淋しい心地がする,風の声,雨の声,葉の落ちる声,等を耳にして老境の身になった杜甫は夜も眠ることができない,殊に夜更けは着物一枚では寒い,貂裘をとって重ね着する。前聯に「高風下木葉。永夜攬貂裘」と気持ちを述べる。

荊楚は屈原の生まれた土地である。其の湘夫人の賦中には「洞庭波秋兮木葉下」という感傷的な名句がある。荊楚の秋景を巧妙に描く。此の詩の前半の景は,有名な屈原の「離騒」の語を以て組み立てる。
「勲業と行蔵」に苦悩する,作法は前半四句で景を述べ,後半四句は情を述べる。此の作法を「繊腰法」と黄生は言う。

沈徳潜は「これ杜老天下を以て己の任と為すものなり」と評論する。復た宋の真宗皇帝は「杜工部詩集を読んで「勲業頻看鏡。行蔵獨依楼。」の句に到り,頻りに歎息し曰く:「杜詩多とも,朕の見る所では,此の二句に及ぶものはない」。




                      
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