玉乃 九華
玉乃九華(1797~ 1851)名は惇成、字は祐甫、また松雪洞と号した。通称は小太郎。岩国藩士。初めは荻生徂徠学を修めたが、のち朱子学に帰した。寛政九年、侍医森脇玄令の長男として誕生し、森脇嘉全と称した。幼少より文学を好み、医術を好まんかった。文政三年、官もその才を認め、儒を兼ねさせた。同九年、二宮錦水・森脇君風を伴だって筑前福岡に亀井昭陽の門に遊び、半年ばかり就学した。

天保五年、通称を斗南と改め、同十二年儒の専業を命ぜられた。既に講堂の会頭を務めていたが、私宅にも詩文の添削を請うもの多く、公私繁忙を極めた。嘉永二年、森脇斗南を玉乃小太郎と改称、同四年十二月六日、五十五歳で死去

晩年には旧学を捨てて、淳然たる朱子学者となった。平生詩文を好み、最も作文に長じた。著書に「風雅通儀評」「松雪洞遺稿集」。世に九華の書いた「錦帯橋記」「養老館記」「春山楼記」など広く読まれている。

      偶成
黄梅雨歇啓柴扃。     黄梅の雨歇んで 柴扃を啓く
潦水帰池砌有萍。     潦水 池に帰って 砌に萍有り
白日青天暑如燬。     白日 青天 暑 燬くが如く
痴蟆瞠目在中庭。     痴蟆 目を瞠って 中庭に在り

      秋花
胡枝桔梗暮天霞。     胡枝 桔梗 暮天の霞
那紫這紅宜駐車。     かれは紫 これは紅 宜しく車を駐むべし
最是黄衣甚情種。     最も是れ 黄衣 甚だ情種
風流呼做女郎花。     風流 呼んで做す 女郎花

      過錦帯橋
訝看晴川浸雪流。     訝り看る 晴川 雪を侵して流るるを
桜花開遍水東頭。     桜花 開いて遍し 水東の頭
五龍橋上人如織。     五龍橋上 人 織るが如し
不解春風為少留。     解せず 春風の為に少しく留まるを

      春日
子雲居処満庭苔。     子雲の居処は満庭苔なり
青翆年年寂寞回。     青翆 年年 寂寞として回る
偶有鶯児呼夢起。     偶々鶯児の 夢を呼んで起こす有り
今朝亦復草玄来。     今朝 亦復 玄を草して来る
  ◆子雲=前漢末の学者。揚雄。字は子雲。少くして学を好み、群書を博覧したが、章句訓話を事とぜず、人となり簡易佚蕩、吃で劇談することができず、深湛の思いを好み、文章を以て名をあげた。著書に「太玄経」「揚子法言」など。
  ◆この詩は、作者が自分の心境を揚雄になぞらえて作詩したもの。

      小野小町
本是紅顔易白頭。     本は是れ 紅顔なるも 白頭なり易し
開花須著落花愁。     開花 須らく著くべし 落花の愁を
不知深草因縁在。     知らず深草 因縁あるを
秋雨秋風枯髑髏。     秋雨 秋風 枯髑髏
  ◆深草=深く茂った草むら。
  ◆(ふかくさ)=京都市伏見東北部の地名。その地にすんだ深草少将は、小野小町を恋慕して百夜通いいたという。

     松雪洞集
桜花含笑引歌鬟。     桜花 笑を含み 歌鬟を引く
林下春深懶掩関。     林下 春深kして 関を掩うに懶うし
山水清音強解事。     山水の清音 強いて事を解するも
不知糸竹在東山。     知らず糸竹の 東山にあるを
  ◆松雪洞=作者の屋号。
  ◆東山=浙江省にある山名。晋の謝安が、世の俗塵を避けて高臥した処。謝安は少時より神識沈敏にして重名あり


    謝歌鬟
春霄月出映蛾眉。     春霄 月出でて 蛾眉に映ず
繊手弾来川字糸。     繊手 弾じ来る 川字の糸
誰料歌筵人散後。     誰か料らん 歌筵 人散じて後
遏雲猶在幾花枝。     雲を遏めて 猶を幾花枝に在り
  ◆遏雲=雲をとどめる。

      08/11/09      石 九鼎  著す