張九齢 (678~740)

字を子寿と言う。韶州曲江の人。七歳の頃から能文の誉れがあったと言はれる、進士に及第して校書郎となり、玄宗の朝廷に、中書侍郎から同平章事となり、国政を司った。性質硬直、清節を以て人に知られた。一代の賢宰相であったとされる。千秋節に群臣が皆な宝玩を献じたのに、彼は独り委曲をつくして歴代興廃の源を延べ、書五巻お作り≪千秋金鑑録≫と名を附け之を朝廷に奉った。玄宗も常に畏敬したと言う。

張九齢は相を辞してから、静かに閑居余生を送った。代表作≪感遇詩≫は晋の阮籍の詠懐詩に倣い、忠誠の情を鳥魚草木に託し述べている。張九齢は『口に蜜あり、腹に剣あり』と評判された李林甫の讒言によって排撃され、相位を抛った事に就いて、抑えがたい衷情を表わしているのを看ることができる。開元二十八年(740)に68歳で没した。詩集に 「張曲江集20巻」がある。

   感遇詩
孤鴻海上来  池潢不敢顧。   孤鴻 海上より来る  池潢 敢えて顧りみず
側見双翆鳥  巣在三珠樹。   側に見る双翆鳥の  巣に三珠の樹 在るを
矯矯珍木顛  得無金丸懼。   矯矯たる珍木の顛  金丸の懼 無きを得ん
美服患人指  高明逼神悪。   美服は人の指ささんことを患う  高明は神の悪に逼る
今我遊冥冥  弋者何所慕。   今 我 冥冥に遊ばば、 弋する者 何の慕う所かあらん

   和許給事直夜簡諸公     許給事の直夜諸公に簡するに和す
未央鐘漏晩  仙宇靄沈沈。   未央 鐘漏晩れ  仙宇 靄として沈沈
武衛千廬合  巌扃万戸深。   武衛 千廬 合s  巌扃 万戸 深し
左掖知天近  南窗見月臨。   左掖 天の近きを知り  南窗 月の臨むを見る
樹揺金掌露  庭接玉楼陰。   樹は揺がす金掌の露  庭は接す玉楼の陰
他日聞更直  中宵属所欽。   他日聞く更直して  中宵 所欽に属せしを
声華大国宝  夙夜侍臣心。   声華 大国の宝  夙夜 侍臣の心
逸興乗高閣  雄飛在禁林。   逸興 高閣に乗じ  雄飛 禁林に在り
寧思密抃者  情発為知音。   寧ぞ思はん密かに抃つ者  情発するは知音の為なり

    石九鼎漢詩館   08. 07. 18