中国の文体の特徴

賦。中国の韻文に於ける文体の一つ。漢代に形成された。抒情詩的要素が少なく、事物を羅列的に描写する。六朝文は文芸上、秦漢と唐文の間に位置する文体として、賦ジャンル、前漢、後漢に流行したもので。『漢書・芸文志』に『歌わざじて謂す、これを賦と言う』とる。漢詩が歌謡から生まれたのに対して「賦」は朗読されるものであった。中国文学の美文体として六朝時代を代表する四六駢儷体がある。4句と6句を共に「対句・典故・平仄」を用いる形式。駢文。四六文。又、賦について大きく分けて、1,手紙ジャンル。2,書簡ジャンル、に分けられる。
書簡ジャンルには1,文学的側面。2,芸術側面、3、実用側面。があり
賦には「序」が付けられ、作った動機などが説明され、「乱」「訊」は賦、全体の大意が要約されている。賦ジャンルは、ユーモア文学。仮託。漫才的なものが主流となっている。
例えば、揚雄の「逐貧賦」はアンバランス、滑稽さ。屁理屈。擬人化したユーモア。「安貧楽道」総じて喜怒哀楽は荘子から学んだものでは無いが。特徴は、貧賦は自嘲性を主としている。
手紙ジャンルとしては、書儀(手紙の、お手本)。実用的な模範文例としては「月儀」がある。時候に応じて風流韻事を盛り込んだ書儀。中国―文選の編者、昭明太子、蕭統。「十二啓」は一年十二ヶ月、全体を3段階に分けて説明している。1段階、書き下ろしは気候、季節感を述べる。2段階に、きれいごとで表現の上では対句、典故、四六、平仄、で飾り付ける、お世辞を述べる。3段階では、自分を卑下し、謙る。文体が特徴であり。
古来文章以彫辱成体。『文心彫龍序志』に言う。対句、典故、四六、平仄、にし内容も飾りたてる。真実で無いことを言っても「悪」で無い。飾り立てることが良いと言う風潮。美文スタイル。「恐ろしい王朝」と書くことが出来なかった。最大の原因が此処にあった。
然し、内容を信じるか否かの判断が必要では有るが四六駢儷体は読んで楽しい。文章を書く上で非常に役立つ。長年、求めていた『四六駢儷体』の入り口に立ち、この講義を受講した意義があった。即ち、十数年前、中国語作文を『添削』して頂いた中国人教師から返却され、真っ赤に書き直され、四六駢儷体の文面(典故、平仄、4,4,6,6の成句〜を鏤めた作文を受け取り「後頭部をブン殴られた錯覚に卒倒しそうだった。「これぞ!我が求めていた文章。然し厳しい!」。以来「四六駢儷体とは?捜し求めていた。」この教師こそ中国語の我が恩人。「shiqiao!!」の声。2年前、20年ぶりに広大で再会。彼女は光り輝いていた。

前漢末の揚雄の作品には,「甘泉賦」「河東賦」「長楊賦」「羽猟賦」等の賦があり,基本的に司馬相如の「子虚賦」「上林賦」の模倣であるといってよい。しかし,形式面において「甘泉賦」をはじめとするいくつかは対話形式を用いておらず,また司馬相如の作品にはあまり見られない三字句で構成される表現があって,激烈さを表すのに効果的に使われている。難解な文字の多用と併せて揚雄のこうした特徴は,相如の作品を継承するとともに,それを超えるべき対象として強く意識するがゆえの,必然的な変革の志向に由来するといえる。「逐貧賦」等には『詩経』をはじめとする儒家の典籍中の語句や表現が,原型に近い形で取り込まれている。
これは揚雄と同時代の劉 や後漢の崔篆の賦にも共通する特徴であり,賦以外の著作にも見られる。その根底には,創作者の身
分が宮廷文人から学者的性格をもつものに変わったことと,儒学が古典として確立したこととが存在しよう。この時期は文学史観の形成においても大きな意味をもっている。劉向らの『七略』に代表される図書の分類,目録の学の出現は,儒学の成立と不可分の関係にあり,しかも『史記』太史公自序などの「序」が,歴史的視点から書物等の特質を記述しているのとも共通する。こうした著作に文学史観が見られることはそれを裏付けているし,文学史観の形成を促進したものとしてはさらに,過去の作品の理解の上に立ってその系譜上において作品を書くようになる創作法があげられよう。

逐貧賦-揚雄-?代辭賦選  逐貧賦      揚雄

揚子遁居,離俗獨處。左鄰崇山,右接曠野,鄰垣乞兒,終貧且窶。禮薄義弊,相與群聚,惆悵失志,呼貧與語:“汝在六極,投棄荒遐。好為庸卒,刑戮相加。匪惟幼稚,嬉戲土沙。居非近鄰,接屋連家。恩輕毛羽,義薄輕羅。進不由コ,退不受呵。久為滯客,其意謂何?人皆文?,餘褐不完;人皆稻粱,我獨藜?。貧無寶玩,何以接歡?宗室之燕,為樂不槃。徒行負笈,出處易衣。身服百役,手足胼胝。或耘或?,沾體露肌。朋友道?,進宮?遲。厥咎安在?職汝為之!舍汝遠竄,昆侖之顛;爾複我隨,翰飛?天。舍爾登山,岩穴隱藏;爾複我隨,陟彼高岡。舍爾入海,泛彼柏舟;爾複我隨,載?載浮。我行爾動,我靜爾休。豈無他人,從我何求?今汝去矣,勿複久留!”

貧曰:“唯唯。主人見逐,多言益嗤。心有所懷,願得盡辭。昔我乃祖,宣其明コ,克佐帝堯,誓為典則。土階茅茨,匪雕匪飾。爰及季世,縱其昏惑。饕餮之群,貪富苟得。鄙我先人,乃傲乃驕。瑤台瓊?,室屋崇高;流酒為池,積肉為?。是用鵠逝,不踐其朝。三省吾身,謂予無?。處君之家,福祿如山。忘我大コ,思我小怨。堪寒能暑,少而習焉;寒暑不?,等壽神仙。桀蹠不顧,貪類不幹。人皆重蔽,予獨露居;人皆?タ,予獨無虞!”言辭既磬,色事レ張,攝齊而興,降階下堂。“誓將去汝,適彼首陽。孤竹二子,與我連行。”

  余乃避席,辭謝不直:“請不貳過,聞義則服。長與汝居,終無厭極。”貧遂不去,與我遊息。