安井 朴堂 安井朴堂(1858~ 1938)。明治・大正の漢学者。名は朝康、通称小太郎、朴堂と号す。父は島原藩北有馬村の郷士中村孟達。久留米藩に仕えた。母は安井息軒の長女・須磨子。父孟達が息軒の門に入って結婚した。 父孟達は勤皇の志を持ち、清川八郎を匿った理由で捕えられ獄死した。母は八歳になった小太郎と長女糸子を連れて日向飫肥の安井家に帰る。小太郎は祖父安井滄州の養子となって安井家を継いだ。後、京都の草場佩川に招かれて草場塾の塾頭になつた、更に二松学舎に学んだ。学習院に招聘され教壇に立ち、以来長く第一高等学校教授をし、退官後は大東文化大学に教えた。 文章の大家である。詩は「曵尾集」がある。学者で文章家で、詩というものが良く解り気韻の高い詩を作っている。 吉水院 満目芳山紅幾叢。 満目 芳山 紅 幾叢 翆幃零落古行宮。 翆幃 零落す 古行宮 三朝五十年天地。 三朝 五十年の天地 都在飄香飛雪中。 都べて在り 飄香 飛雪の中 ◆吉水院:吉野山に在り。建武三年足利利尊氏によって京都花山院に幽閉されていた後醍醐天皇は、十二月京都を脱出され吉野に入れられて一時吉水院を在所とされた。 吉水川 花落花開五百年。 花落ち 花開くこと 五百年 渓声響枕尚潺湲。 渓声 枕に響いて 尚を潺湲たり 遊人漫説興亡恨。 遊人 漫りに説く 興亡の恨 誰為君王唱旧篇。 誰れか 君王の為に 旧篇を唱えん ◆興亡恨:此の場合の興は帯字である。一旦緩急という場合の緩と同じ。 ◆君王旧篇:御醍醐天皇の御製 『花にねて、よしやよしのの吉水の、枕の下に岩走る音 』を指す。 夜登将軍塚 歌吹東山紛若雲。 歌吹 東山 紛として雲の若し 一杯誰又酹将軍。 一杯 誰れか又 将軍い酹がん 月明来弔墳三尺。 月明 来り弔う 墳三尺 只有松風不耐聞。 只だ 松風有りて 聞くに耐えず ◆将軍塚:京都東山上に在り、延暦十三年長岡の京より平安遷都の際、帝土で八尺の土偶を造り鉄の鎧冑を着せ鉄の弓矢を持たせて、東山の峰に西向きに立てて埋蔵、平安の守護神としたという。 ◆墳三尺:三尺の墳という意。平仄の関係で此のようにしたもの。 夜 話 春雲催夜暖。 春雲 夜暖を催す 歓語似児時。 歓語は 児時に似たり 旧雨他年恨。 旧雨 他年の恨 明朝又別離。 明朝 また別離 ◆旧雨:旧友のこと。雨と友とは同韻語。故に友のことを旧雨という。 小鈴山 白首帰郷国。 白首 郷国に帰る 相逢先問年。 相い逢うて 先づ 年を問う 小鈴山色美。 小鈴山色 美しく 依旧送鮮妍。 旧に依って 鮮妍を送る 08/11/12 石 九鼎 著す |