横山耐雪
横山耐雪(1868~ 1923)島根県松江市出身。名は重国。字は士静。通称は大蔵。耐雪と号す。家は代々・松江藩の医で、耐雪が九代目。年少、雨森精翁に就き学ぶ。のち、内村鱸香に就いた。二十三歳、岡山医学校を卒業してから(現・島根県大原郡木次町)に開業する。特に眼科に優れていた。

詩は年少時代から作詩したが、永坂石埭に就いてから詩調が変わった。三十六歳の時、森塊南を松江に迎えて、『剪松吟社』を興し終生「松社」の提挈に当たり、郷土の古い詩人の刊行に努めた。耐雪の詩は永坂石埭の流れをよく承けて流麗である。(島根県文化人名鑑より抜粋)

漢詩隆盛時。各地に吟社は多い中で『剪松吟社』は加盟者数。最も多く、作者の詩風が格調高く流暢あったこと等で特色のある吟社であった。

   春夜
一篙春水月盈盈。     一篙の春水 月 盈盈たり
無限離愁笛裏生。     無限の離愁 笛裏に生ず
聞到夜深吹入破。     聞いて夜深に到れば 吹いて破に入る
梅花如雪満江城。     梅花 雪の如く 江城に満つ
  ◆雅楽の調子の緩急高低を現わす語に、・有り。物事の初・中・終の意に帰納するを知るべし。

   須賀宮
喬木乱山形勝雄。    喬木 乱山 形勝雄なり
当年開国憶英風。    当年の開国 英風を憶う
霊地巨蟒今蔵影。    霊地の巨蟒 今 影を蔵し
窈窕雲迷古殿宮。    窈窕たり雲は迷う 古殿宮
  ◆巨蟒(きょぼう)大蛇。やまたのおろちは頭も尾も八個ある大蛇(だいじゃ)。素戔鳴尊が之を退治して櫛名田姫(奇稲田姫)を救い、その尾から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を得たと伝える故事物語。

   哭大久保湘南
詩人埋骨是台南。    詩人 骨を埋むるは 是れ台南
数巻遺編世尽諳。    数巻の遺編 世ことごとく諳んず
長似梅花為供養。    とこしえに梅花を似って 供養をなさん
年々春冷古僧龕。    年々 春は冷かならむ 古僧龕

   避暑山中旧宅
衣上紅塵二十年。    衣上の紅塵 二十年
草堂剰有竹便娟。    草堂 剰し有り 竹の便娟たる
清風今夜檀欒影。    清風 今夜 檀欒の影
話尽平安共不眠。    平安を話し尽して 共に眠らず

   石埭先生、招飲祭詩龕余及裳川・霞庵・碧堂・鉄石・抱生・同賦
   石埭先生、祭詩龕に余及び裳川・霞庵・碧堂・鉄石・抱生・を招飲せられる同じく賦
此杯喜与故人偕。    此の杯 喜ぶ らくは 故人と偕にするを
連榻春風散客懐。    榻を春風に連ねて 客懐を散ず
酔出詩龕月痕白。    酔うて詩龕を出ずれば 月痕白く
梅花乱点石苔階。    梅花 乱点す 石苔階

   碧雲湖棹歌
残夜湖光碧欲飛。    残夜 湖光 碧 飛ばんと欲す
看看祠樹帯朝暉。    看す看す 祠樹の 朝暉を帯びるを
扁舟容与尋碑入。    扁舟 容与 碑を尋ねて入らば
一棹松風満客衣。    一棹の松風 客衣に満つ
  ◆碧雲湖:島根県北東部にある宍道湖の雅名。
  ◆此の詩は、永坂石埭の『碧雲棹歌』の詩に次韻いている。
  ◆永坂石埭の『碧雲棹歌』 
          美人不見碧雲飛。
          惆悵湖山入夕暉。
          一幅湘浪誰剪取。
          春潮痕似嫁時衣。
  ◆耐雪の詩を閲読して「王漁洋」を『宗』としている事が窺える。『剪松吟社』社中の名簿を見て驚いた。
    若槻礼次郎(号を克堂という)若槻克堂は昭和の初期に”総理大臣”の経歴のある人で、
    「昭和七百人絶句」にも選ばれている。機会があれば若槻礼次郎の詩を紹介したい。

       08/11/10     石 九鼎  著す