一月二月は諸般の事情によりほとんどパチ屋に行くことはなかった。パチンコを始めて二十年以上になるが、これほどパチンコを打たなかったのは初めてのことだ。そして三月に入り、初めて打ったのがあの日だった。震源地から遠く離れたこの地でも揺れを感じた。勿論酷いわけではないので気にせず玉を弾いていた。店内で少々声が上がった。だが、玉が零れるわけでもなく、皆気にせず弾いていた。異変に気付いたのは4時前だろうか、休憩室のテレビの元に珍しく人だかりが出来ている。いつもは飯の時間を惜しんで打ち続けるパチンコ無職のおっさん達が熱心にテレビを見ている。何事か、と気になっていた。コーヒーを買う時に序に立ち寄ってみると、こんな俺でも息を呑んだ。稚拙な俺が表現するのは避ける。凄まじい津波の映像だった。数分だろう。ほんの。だが、俺は時の経つのを忘れてそこに突っ立ってしまっていた。時を忘れる、全てを忘れるというのはこういうことを言うのだろう。我に返った俺はふらふらと席に戻り、呼び出しボタンを押していた。何が出来るわけではない。恐らく俺は怖かったのだろう。その時、今ここでこうしていることが。パチンコ玉を弾いていることが。ただ怖い。暢気にパチンコ玉を弾く勇気が俺にはない。家に帰ってその後のことは良く覚えていない。それから数ヶ月パチンコを打っていない。自粛ではない。パチンコ無職で生活をしていた身だ。今更こんな時期にパチンコが悪いとは思わない。いや、散々パチンコを打ってきた身、世間が悪とみなしても、する気ならば非難されてもする。人に非難されるから打たないということこそ恥だからだ。だが、正直パチンコを打つ気分になれなかった。その理由は分からない。だが、事実である。どうしてパチンコから離れてしまったのか。未だに良く分かっていない。
昔話で恐縮だ。俺は卒業後パチンコ無職生活を続けていた。だが、俺をパチンコ無職に誘ったスーパーコンビははるか昔に去っていた。完全に生活費を稼ぐため、そのために続けていた。何も社会に貢献しない生活。固より半端物の俺。だから今更と続けていた生活だった。だが、日常の中、大当りのアツさは希薄になっていた。嵌っても大当りが続いても確率の戯れ、所詮期待値に収束するだろうと醒めていた。完全な惰性。決まった時間にパチ屋に向かい、決まった時間まで打つ。リーマン以上に単調な生活。それ以上に無意味な生活。あのアツさが去った以上、パチンコを続ける理由がないはずだ。だが、結局俺はやめられず数年ずるずると続けた。決然とやめられなかった。
終焉はあっさりと訪れた。俺は大学入学後からとある古い昭和の香のするアパートに住んでいた。それを建て替える由を告げられた。パチンコ無職の身、保証人がいない俺は部屋一つ借りられない。潮時だ。と考えた次第。以前から目をつけていた仕事。部屋付きの仕事が丁度募集していたので面接に行き採用された。それが今から十数年前の六月のことだった。
荷物を送り、東海に旅立つ前日俺はお世話になったパチ屋に向かった。最後に打ったのはギンギラパラダイス。可もなく不可もなくてほぼ確率どおりに当っていた。そして夕方過ぎ、やめようとした時のことだった。忘れもしない、サメとカメのダブルリーチが掛かった。泡もまして魚群も出ない完全ノーマルリーチだった。当然外れると思っていたが、サメが1つ前で失速しサメが三つ揃ってしまった。画面のサメが三匹目を大きくして驚いていたが、俺も驚いた。驚いたわけでないだろうが、もたついている内に、アタッカーが閉じてしまった。画面は何もなかったように次の保留を消化させ始めた。権利物はデジタルが揃っても当り出ない。権利穴に入賞して権利が発生する。俺はノーマルリーチの当りをパンクさせてしまった。結局デジタルが揃ったのはそれが最後だった。俺らしい。最後の当りをパンクで逃すとは。妙に納得した気分で店を後にしたのを覚えている。