2011春

弥生

 二月は二八と言って昔から不況の月と呼ばれているらしい。ところが、何故か俺のバイト先は仕事が忙しかった。リーマンショックから完全に抜け出せていない状況でたいしたものだと思う。それは良いが、バイトの俺にさえも動員がかかる始末。給料は弾まれたがその分休みが削られた。やっと休みにありつけたら昔の義理の野暮用で少々旅に出ていた。さてさて漸く本当の一休みと家に帰ってみると妙にだるい。熱が有る。何てこった。普段は流行に疎いのに、一体何処で貰ったのだろう。例の豚インフルエンザとや。そんなこんなで二月はとうとう全くパチンコ玉を弾いていない。まあ俺は、生まれたばかりの赤ん坊が小学校を卒業するくらいの時間をパチンコに費やした度し難い奴だ。それはそれで良い傾向だ。このまま足を洗うのも手だと思う。だがもう二度とパチンコ無職にもどることはない。また、打つ店も打つ台も随分減ってきた。望むと望まぬとそう遠くない時にパチンコとお別れをする時が来る。それは確実なことだ。ならば今ある時を精々楽しむのも手だ。さてさてインフルエンザも完治したことだ。迷惑をかけることもないだろう。リハビリを兼ねて恋しいあの子に会いに行こうか。

 今日もバイトが遅番だから精々粘っても4時半まで。期限付きなんて、パチンコ無職時代は煩わしくて打っていなかった。だが、遊びのパチンコに徹するのも悪くないものだ。さて、先客は1番台にこの頃よく見る若者で下にちょろちょろ。7番台には朝一からやってくる小柄なご隠居で只今出玉はゼロ。10番台には凄く動きが緩慢なパンダに似たおじいさん。通称パンダさんが一箱という程度か。ざっと釘を見たところ9番台が最右翼、次は8番台、微妙な台が6番台。4番台は厳しいだろう(と思ったら後ほど作業服の兄さんが出し捲くり)。で選んだ台はまたしても6番台。役デキにかけるから。打ち始めると鳴きはあるが拾わない。だが、拾った球はいい感じでXに寄り左3発目で早くもXに来て8R。1k投資した直後のことだった。さて、それから右1左1、左1右1、右SPルート一発でXと似たような感じで三連荘。3R3Rと来て16Rが決まって早くも出玉は1200発位か。だが、流れを切られると嵌ってしまう。5回目は左21発SPルート3発目が漸く決まってくれた。残り400発位だが、16Rが決まってくれてほぼ元通りになってくれた。
 さて、辺りを見回すと1番台のお兄さんが諦めて、目をつけていた9番台、8番台を打つがあまり粘らないうちに去っていった。7番のご隠居は結局箱に溜めることなくいつものコース海物語にご移動。出ないと思った4番台は作業服来た兄さんが16Rを三連荘させ下に箱を置いたと思ったらまた連荘中。4番台は出来が良いから出始めた時の爆発力をでかい。とりわけ16Rを絡めた時は大爆発をする。10番台のパンダさんも俺同様一箱で減らしたり増やしたり。
 俺の方は、次は早くて左4発で16R。1,800発位か。しかしこの1800発が今日の最初の壁だった。嵌っては早いのが来て、嵌っては16Rを繰り返ししばらく1800発の攻防。17回目に一寸嵌って16Rの後、左3で16Rが連荘した時初めて1800発を超え下に下ろすが、すぐに捕まってしまった。短い間隔とはいえ、3R四連荘をやってしまい。次の24回目が少々嵌ったので再び800発に舞い戻った頃漸く16Rで1,600発。田山さんが何個落ちというパターン認識を提唱していたが、その真偽はともかくとして確かに決まって壁にぶち当たる個数と言うのが存在する。その後SPルート1発で8Rが決まり1800発強になったが、何度もその前後の個数で言ったり着たりした挙句時間が来た次第。このまま続けていたら増えたのか減ってしまったのか。少々後ろ髪を引かれる思い出退店。
4番台が下に三箱を置いたころだった。
 6番 16R・8R・3Rの比率 11・9・9 SPルート44発中18当・左250発中11当 
使った玉250発。出玉1788発。  



 


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