2005年4月
1日(金)4月1日
今日は書くことがないので、日記はお休みです。
せっかく4月1日なんだから、もっと派手に色々書いて「エイプリル・フールだよ〜ん」と締めた方がよかったかしら? ま、それは他の人にお任せしましょう。皆さん、何か面白いエイプリル・フール日記をご存じです?
私は時々貨物列車が通り過ぎるのをぼーーーーーっと眺めていることがあります。昔は有蓋車・無蓋車・タンク車などいろんな種類の貨車があったのに、最近はもっぱらコンテナばかりで面白みはありませんが、それでもごっとんごっとんという音にはなにか催眠効果のようなものがあります。先日も眺めていて「前よりコンテナが増えたな」と気がつきました。数年前はコンテナとコンテナの隙間がやたらと多くて、コンテナを運んでいるんだか空気を運んでいるんだかわからないような状態でしたが、最近はたしかに隙間が減ってきています。景気が回復してきたのでしょうか。特に今は引っ越しシーズンのせいでしょうか、カンガルーやクロネコが貼りついたコンテナがぎっしり満載状態で走っている列車もありました。
私が学生時代に荷物を送るといったら、郵便小包か国鉄のチッキでした。チッキは今もあるのかな? 旅行者が手荷物を別便で送るのを、荷物だけ独立して送るように制度を運用していた、と記憶しています。だから基本は駅から駅までで、その先は別料金じゃなかったかな。郵便は……きちんと包んで宛先を大きく書いて紐を掛けて宛先を記載した荷札を二箇所につけて……と規則がやたらうるさかったのを覚えています。しかも扱いが乱暴で包装が破れて届いたり中身が破損していたり。ですから私は今でも郵便小包にはあまり良い印象を持っていません。(郵便局でバイトをしたときに、小包の扱いの荒さには「これだったら壊れる」と納得(?)した覚えがあります。最近はきれいに届くから相当改善されているのでしょうけれど)
【ただいま読書中】
坂本卓男著、東京書籍、平成十四年、1500円(税別)
1952年生まれの著者が、自分が遊んだ遊びを中心に集めた「図鑑」です。自身の体験と当時の生活と遊びのルールや情景が本の頭から尻尾までぎっしり詰まっています。
ほぼ同世代のためか、ぱらりと一読して「懐かしい」の一言です。ベーゴマは町内での禁止令がきつくてできませんでしたが、メンコ・ビー玉・釘刺しはさかんにやってましたっけ。夢中でやってたロクムシ(ゴムボールでやるクリケットみたいなもの)が載ってないのが寂しいなあ。この本に載っているロクケンの丸を二個に減らしたものに似ていますが、微妙にルールが違います(というか、同じ町内でも子どものグループが違ったらルールが違うくらいローカルなものでした)。花ケンは、違う名前でやってました(名前を忘れた〜)。竹スキーは母親が子ども時代にやっていたと聞いた覚えがありますが、私が育ったのは雪国ではないのでさすがにやったことはありません。
しかし、この本の「正しい使用法」は何なんでしょうねえ。本にはさまって残っていた前の人の貸し出し伝票を見ると、この人は一挙に何冊もいろんな遊び方の本を借りているので、たとえば子ども会などで子どもたちに遊びを教えるために、という目的で借り出したのかもしれません。でも、本当は遊びなんて教えるものじゃないはず(強気)。環境を整えて子どものやる気を阻害しなければ勝手に遊び始める……はず(ちょっと弱気)。それとも今は「遊びも塾で教える」時代なんですか?(すごく弱気)
私はこの本を自分の過去を思い出す手段として使いました。それだけで十分です。
「昔はよかった」とか「今の子どもは」なんて偉そうに言いたいとは思いません。私はそれなりに遊びに満ちた豊かな子ども時代を過ごせたしこれからの未来をその思い出を大事に生きていきたい。その姿を見て子どもたちがあんな大人になりたいとか真似をしたいと思ってくれたら、望外の喜びですけれど。
昼と夜、夏と冬、光と影などを見ていた古代中国人は「陰陽」という思想体系を構築しました(周の時代の「易」)。中国人の凄い点は、陰と陽を対立概念(神と悪魔、正義と悪など)にせず、その両者が補完してこの世界が構成される、としたことです。
それはそうでしょう。陰陽では、天や夏は陽/地や冬は陰ですが「天の方が地よりエライ」「夏の方が冬より優れている」なんてばかげていますもの。
ところが人間は誤解をするもので、紀元前後には早くも「陽が陰よりエライ」という間違った言説がはびこります。男尊女卑思想の影響か結果かは私にはわかりませんが、ともかく男(陽)の方が女(陰)よりエライ、と言う人が多くいたのです。まあその頃は「十二支は動物のことだ」という「誤解」もはびこりましたので、「誤解」があること自体はしかたないのでしょう。だけど、あまりに単純な誤解は、その思想そのものを侮辱するに等しいのではないか、とも思えます。
もともとこの世界はもっと高次元の「太極」が低次元に投影されてできた世界で、高次元が表現しきれないから太極が陰と陽で現されている、というのが易の思想です(だから宇宙のエネルギー全てを体内に取り入れようとする「体操」が太極拳)。ですから天地や男女はそれぞれ陽と陰とされていますが、それは「総体」として陰や陽に見えるというだけで、その中身は陰と陽が複雑に絡み合っています。たとえば、この世で最も純粋な陽に近い存在である太陽にも陰である黒点があるのです(古代中国人は黒点の存在を知っていました)。それを「男は陽」なんて単純に言い切るのはねえ……男だって陰陽が混在しています。分かり易い例では、天に向かって元気だったら陽根だけど地に向かってしょぼんだったら陰茎とかね(ジョークレベルの下ネタですので、この言い回しが気に入ってもあまり人前で使わないように)。
下ネタついでに……女が陰・男が陽だと、では男女のセックスは何かというと「陰陽の和合」です。ですからセックスは宇宙の一大事なのです。中国人は熱心に研究を行い、それは房中術(現代用語で言えば、セックス健康法)に集大成されました。
日本で最初の医学書『医心方』にもこの房中術がしっかり特集されていまして(巻二十八房内篇)、日本人には(中国人にも)この部分だけがやたらと人気があったりします。『医心方』は京都の半井(なからい)家に保存されていましたが、そういえばNHKの天気予報をやっているのも半井さんですね。親戚かな?
【ただいま読書中】
川田弥一郎著、祥伝社、平成十年、1700円(税別)
検非違使(けびいし)と言えば、平安京では警察の役目をしていましたが、同時に病死や行き倒れで路上に放置された死体のお片づけも職務でした。なんだか妙な取り合わせですが「死の穢れ」が両者を結びつけると言われたら、納得してしまいます。どうせ殺人事件で死の穢れに触れる職種についでにそのへんの死体も片づけさせれば良い、という発想だったのでしょう。
日本では「死の穢れ」思想と共に「死体損壊は重罰」という律令の名残もありますから、当時の検屍官は司法解剖もできず外側から眺めるだけですべてを判断するしかなく、仕事はやりにくかっただろうと思います。
この連作短編集の主人公、坂上元継はその制限の中で「匂い」に注目することで難事件を次々解決します(といったら恰好良いけれど、実際に匂いをかぎ分けるのは元継の二番目の妻顕子で、ついでに彼女がほとんどの謎も解いてしまいます)。
短編の構成は基本的に単純で、まず死体が見つかり、元継がその匂いを採取。被害者の魂寄せの儀式が行なわれて魂が「証言」、貴族のフリーセックスが描写されて、最後に謎解きです。ときどきもののけなどの怪異現象も起きますが、すべてを超自然現象のせいにするようなアンフェアな謎ときにはなっていません。
貴族のフリーセックスとか魂寄せは、近代フランス貴族の愛人を次々取り替える性習慣やホームズの時代のイギリスでさかんに降霊術が行なわれたことを思い出せば、平安時代にそれが「常識」であるのは別に不思議なことではないように思います。現代の「常識」だって1000年後にはきっと非常識でしょうけれど。
教育におけるゆとりって、なんでしょう? カリキュラムの量が少ないこと? カリキュラムの量は多いけれどそれをこなすのに使う時間がもっと多いこと? いえいえ、そんな単純な算数の問題ではないでしょう。シンプルな問題だったらシンプルな解決法があるはずで、だったら日本の学力低下はなかったはずです。
かつて「詰め込み教育」に対する攻撃が盛んに行なわれました。だけど、日本で本当に詰め込み教育が行なわれたことって、どのくらいあるんでしょう? 私がイメージしているのは、私の大学生時代、卒業前に週に二回試験があって、その試験毎に百科事典くらいの厚みの本を読む、という生活を数ヶ月したときのことです。もっともその試験の前に数年の授業があったわけですから、読むのは大変でしたが詰め込みとは思いませんでした。もっと厳しいもの、たとえば一週間に数冊難しい本を読んで詳細なレポートを提出する、くらいだったら詰め込み教育の名に値するかもしれませんけれど。
ともかく日本では詰め込み教育は否定されてゆとり教育が始まったわけです。だけどいつのまにかそれは「カリキュラムの間引き」と「土曜日休日」にすり替えられてしまいました。こんなのゆとりでもなんでもないです。だってゆとりとは生活の態度のことなんですから。
たとえば「ある過程が身に付くまで反復練習ができる」「失敗が許される(前段階に戻って練習できる)」「各個人の到達度に合わせて教師が個別の対応ができる」といった生徒にも教師にも時間的・精神的余裕があり、制度にもそれらを認める余裕(予算や人)が存在し、社会がそれを認めることが本当の「ゆとり」でしょう。
つまり、日本には「詰め込み教育」は(少なくとも義務教育においては)なかったし、それに対する(本当の意味での)「ゆとり教育」もなかった、というのが私の結論です。
そうそう、小学校での漢字書き取り百回とか百マス計算は、詰め込み以前に教育かどうか疑問だと思っています。私にはあれは基礎訓練に見えるんです。テニスや剣道ではまず素振りをしますね。あれと同じで、実戦に出る前の型作り、基礎の反復練習にすぎません。
【ただいま読書中】
夢枕獏著、徳間書店、2004年、1800円(税別)
全四巻のとうとう三巻目、四コマ漫画なら起承転結の転の部分のはずですが……四百数十ページかけて、話は全然進みません。見事なくらい停滞しています。敵ボスキャラの名前が判明して、空海が宴の準備を始めて……あらすじについて書けるのはそれくらいです。巻ノ二までは話が急流だったのに……起/転、転、承、結の構成なのかしら。
ただ、脇道は魅力的です。特に、巻ノ一から折に触れ牡丹の花が繰り返し登場しているのですが、これは楊貴妃のメタファーなのか、それとも仏教(特に密教)を示すのか、とにかく印象的に使われています。「
オペラ座の怪人」で真っ赤な薔薇が繰り返し登場したのと同じ感じかもしれません。
それから、般若心経。「色即是空 空即是色」で全てが空であるとダイナミックに断言し、さらにその美しい完結の直後に「それがどうした」とマントラ(真言)に転じている、と作中の空海は感動します(ぎゃーてーぎゃーてーの部分ですね)。そして般若心経を空海が梵語で唱えると、空海の声に万物(命あるものもないものもすべて)が次々唱和するシーン。それはもちろん「現実」ではなくて空海の識内のできごとですが(唯識ですね)、空想とかバーチャルとかの言葉を使って簡単に片づけることはできないように私には感じられました。人は時空連続体の中に存在し、生命と非生命、さらにはリアルとバーチャルの世界にも連続して存在しているものだと感じられるのです。夢枕獏の筆力でしょう。
19世紀末、フランスにはパスツール、ドイツにはコッホという「巨人」がいました。彼らは微生物を発見しそれに対するワクチンを作ることで、微生物に対する科学的な戦いで
次々勝利を獲得しました。(実は当時のヨーロッパの強国イギリスには、仏独のこういった国際社会の中で国を代表できる医学的「巨人」がいません。「イギリスのヒポクラテス」と呼ばれるシデナムがいますが、これはイギリス国内限定の有名人と言ってよいでしょう) やがて抗生物質が発見され(チャーチルがペニシリンで治ったことが有名ですね)人類は感染症を克服できる、という明るい見通しが生まれました。
1980年にはWHOが天然痘の撲滅宣言を行ない、そのころアメリカでは「過去の病気」となった肺結核の検診を大幅に縮小しました。しかし、人類の感染症克服は間近、という当時の明るい風潮が間違った判断であったことは現実を見たらわかりますね。エイズ・薬剤耐性菌・ラッサ熱・鳥インフルエンザ・O-157・SARS・ノロウイルス……人々はそのたびに右往左往しています。
炭疽菌テロのときなど、コッホが発見同定しパスツールがワクチンを作って「解決済み」の問題ではなかったのか、と私は感じました。この百年がなかったものであるかのように感じられたのです。まったく、感染症を克服するためのこの百年の人類の努力は一体何だったんでしょう?
そういえば、インフルエンザも次の新型が登場する頃ではないか、と怖れられています。なにしろ「香港型」と並んで「ソ連型」がまだ健在なんですから、その寿命の長さは異常です(「ソ連」の消滅はいつでしたっけ?)。そろそろ突然変異で大きなモデルチェンジをしておかしくありません。そして、新型ウイルスが登場したら人類は誰も免疫を持っていません。下手すると1918〜19年のスペイン風邪の再来(全世界で2500万人の死者(日本では罹患者2500万人、死者38万人))です。SARSはなんとか押さえ込めましたが、これは一番近くにいたウルバニの優秀さと、スーパースプレッダーが北米に渡らなかった、という幸運とが大きかったので、「次回」はどうなるかはわかりません。どうかスペイン風邪ではなくてアジア風邪(1957〜58年に世界中で大流行。日本でも全人口の半数が罹患したと言われるが、死者は少なかった)の方になりますように、と祈るだけです。
【ただいま読書中】
エリノア・レビー/マーク・フィシェッティ著、曽路銘国昭監修、日向やよい訳、NHK出版、2004年、2400円(税別)
1980年頃の感染症に対する勝利ムードは早すぎた、と苦い反省を込めて書かれた本です。科学の進歩でウイルスなどへの対応は早くなり、各国政府も過去の苦い経験から制度を整備しています。しかし、環境破壊のせいかウイルスの新顔は次々登場し、人々はジェットで移動し(帆船と馬と徒歩の時代でさえ、梅毒が新大陸から日本に届くのに1世紀で十分でした)、バイオテロなんて余分なものまで考えなければなりません。
著者は、バイオテロ対策は自然界の微生物対策を強化するものでなければならない、と主張します。つまり「××菌テロの怖れ」があった場合にその××菌にだけ過剰反応してシステム全体に変な負担をかけるのではなくてシステムの運用で対処できるように最初から構築しておかなければ……ということになると、話は医学や科学ではなくて政治ですね。それも国際政治です(病原体およびその運び屋(蚊や人)は全世界を飛び回るのですから)。
1999年ウエストナイル熱がニューヨークで流行し始めたとき、まずカラスがばたばた死んだことがクイーンズの奇病と結びつけられて考えられるようになったのが、人が死ぬようになってから……後知恵であることはわかっていますが、なんともじれったい思いです。(ちなみに、ウエストナイル熱に一番近い日本の病気は、日本脳炎です) DNA解析でウイルスの正体は突き止められたから科学の勝利とも言えますが、その科学の成果の飛行機で蚊がやってきたわけですから、なんとも複雑な気持ちです。(飛行機に蚊が乗ったというのは、まだ確証はないので可能性の高い仮説です。何をもって確証とするのかは難しいですが)
ただし、人は統計の値ではありません。「○○で××人死んだ」という記載だけだったらこの本の値打ちは半減したでしょう(本文中の記載を元にした私の計算が正しければ、BSEの死者が2002年で100人を越えているのは、ショックではありますが)。この本に血を通わせているのは個人への言及です。見たこともない患者を前に悩む医者や研究者、苦しむ患者やその家族。そういった個人のドラマを後日談まで含めて描写していることで、著者は医療が単なる医「学」ではなくて人の営みであることを示します。そして、微生物が単なる「敵」ではなくて、人と共にこの世界に生きている存在であることも。
私が好きな桜の木の一本です。写真でははっきりしないのが残念ですが、まだ花は見えなくても枝はぼんやり膨らんで、もうすぐはじけそうです。
【ただいま読書中】
火葬研究協会立地部会編、日本経済評論社、2004年、2800円(税別)
社会にとっても自分にとっても絶対必要なのに、でも我が家の隣りにできると聞いたら反対運動を起こしたくなる「迷惑」施設……その一つが火葬場です。でも、自分の家族が亡くなったとき、最後のお別れ(骨上げ)のために「迷惑施設」に連れて行くのですか?
平成11年にできた火葬研究協会では、火葬場について三つの専門部会(立地、建築、運営)で研究を始めましたが、資料が集めにくいため苦労したそうです。建設した自治体でさえ資料があっさり廃棄されている有様です。しかし、具体的に資料(大切な歴史史料です)に当たって火葬場の立地を見ることで火葬場の立場が見えてきています。
明治六年、日本では太政官布告によって火葬が禁止されました。地域によって差はありますが日本では仏教伝来時代から広く行なわれていた火葬を「親の体を焼くとは親不孝だ。やめるべきである」と神道系の官僚が政治的圧力をかけたのが原因です。目的は葬式仏教の否定でした(廃仏毀釈を思い出します)。ところがそれで各地では大騒動。墓地が足りなくなったのです。結局明治八年に火葬は再開されましたが、こんどは火葬禁止の二年間に土葬された人をまた掘り出して焼くために荷車が列を作ってまたまた大騒動。
ただし政府もただでは済ませません。それまではほぼ自由に行なわれていた火葬に対して「火葬場の数制限」「建築場所の制限(居住家屋から離せ、安い土地に建築しろ)」などの制限を加えました。それまで田舎の集落ではけっこう集落から近いところで野焼きなどを行なっていました。野辺の送りがあまり長くなると大変だったからかもしれません。(地域共同体が生きている頃だったら、近くで焼いても全員が「当事者」ですから「煙が迷惑だ」なんてことは言わなかったのでしょう) それができにくくなってしまいます。
明治十年、コレラが大流行すると「コレラの死者を焼く火葬場の煙からまわりにコレラがばらまかれる」というデマが蔓延します。明治政府は東京府病院雇教師ブーケマに調査させ「焼いたら消毒される」という結論を得ます。そのため衛生上の理由からも火葬は日本中に根づくことになりました。
そして大正のスペイン風邪。あまりの死者数に棺がどんどんたまって処理が追いつかず(焼かれるまで数日間滞ったり火葬場での受付拒否まで行なわれたそうです)、火葬場の増設が行なわれました。次に火葬場が大幅増設されるのは、第二次世界大戦頃、軍が火葬場を各地に作るときです。
最近の火葬場をプロットすると、その多くは自治体の境界線近くに位置します。人里離れたところが選ばれているのです。するとその自治体の住民は自分の所の火葬場は使いにくくて、むしろ他の自治体のものの方が行きやすくて便利だったりする変な現象が起きるそうです。
面白いのは、火葬場には政府の補助金がないため逆に明確な施設水準がない、という指摘です。ということは、地方自治体が住民に生と死に関してどのようなサービスを提供したいかの明確なビジョンがあったら「良い火葬場」を作ることも可能だ、ということです。現在平成の大合併で次々新しい自治体が生まれていますが、単に「誰も注目してないから今までと同じでイイや」と先送りするのではなくて、何か新しいこと(良質な行政サービス)を始めるチャンスかもしれません。
#江戸時代、遊郭として有名な新吉原の近所には処刑場の骨ヶ原(蘭学事始に登場する腑分けが行なわれたことで有名)がありました。そこの火葬の煙が、風向きによっては新吉原をすっぽりと覆うことがあったそうです。性と死は紙一重だったのですね。
カール・ヤスパースという哲学者が言うには、今から2500年くらい前は思想的に特別な時なんだそうです。後の世界を大きく変えることになる偉大な思想家が四人も登場しているのです。ヤスパースが挙げたのは、中国の孔子、インドの釈迦、ギリシアからは……先生忘れました、ソクラテスだったかな。そして最後の一人は本当はイエス・キリストにしたいけれど500年ずれているから、予言者の……第3イザヤ……だったかな(先生ごめんなさい)。どうしてここまで時代と国家を越えて生き続ける思想がほぼ同時に世界のあちこちに登場したのか、オドロキです。同時に、そういった事柄を、自分が生きる時代と文化の制約を越えて広い視野でとらえることができたヤスパースのすごさに感嘆します。
私の学生時代、教養から専門に入っても卒業まで延々と続けられたゼミで輪読していたのがヤスパースの『
哲学入門』でした。ドイツ語のテキストのコピーをわたされて1ページくらいずつ内容を説明するのです(別に哲学ゼミでもドイツ語ゼミでもなかったのですが)。2ヶ月に一回くらいしか順番は回ってこないのですが、これが苦痛で苦痛で。ドイツ語がわからない上にヤスパースの主張がわからないという二重苦でした。これで本当に「入門」か、と哲学がすっかり嫌いに……ならなかったのが我ながら不思議です。恩師の人徳かなあ。でもたしかヤスパースはこれをラジオで放送していたんじゃありませんでしたっけ? 聞いている人が、さらには聞いてわかった人が、どのくらいいたのかなあ。
……そういえば、ドゥルーズとガタリの『
哲学とは何か』も数年前に買ったまま本棚に死蔵しています。いつ私は哲学について勉強が始められるのかなあ。気がつけば大学を卒業してもう25年。今から勉強を始めても間に合うかしら。
【ただいま読書中】
浅野裕一・湯浅邦弘編、岩波書店、2004年、2600円(税別)
「春秋戦国時代には諸子百家と呼ばれる思想家たちがいた」……これはなんの変哲もない文章ですが、厳密には間違いです。実は「儒家」「墨家」など思想家の集団が「○家」と呼ばれるようになったのは前漢初期のことであった、という指摘からこの論文集は始まります。
春秋戦国時代を終結させた秦の始皇帝は、文字や度量衡だけではなくて思想も統一しようと焚書坑儒(儒の字が使ってありますが殺されたのは儒家だけではありませんでした)を行ないます。そのため大量の文献が破壊され、かろうじて生き残った文献や壁に塗り込められていて再発見されたもの、『史記』でタイトルや内容についてかろうじて言及されているだけのものなど、漢の時代以降中国の文献事情は悲惨なものとなります。そういった事情を背景として、自分の意見を通すために「これは再発見された古い文献だ」と偽物を作って発表する輩が横行したのではないか、と、過去のテキストを知的に疑う疑古派が台頭し、過去のテキストを大切にする信古派と対立することになりました。しかしどちらも「確証」を持っているわけではありませんから、議論の多くは不毛な対決でした。
変化が見えたのは1973年です。前漢時代の馬王堆三号漢墓(紀元前168年造営)の発掘調査で大量の帛書(絹布に文字が書かれたもの)が見つかったのです。そこには偽書または後世の作とされた『老子』などが含まれていました。疑古派の立場は揺らぎましたが、それでも偽書が前漢時代に作られたのだ、と主張できました。ところが1993年に郭店一号楚墓(紀元前300年頃の造営)から大量の竹簡が発掘され、そこには老子などのさらに古いバージョンが含まれていたのです。さすがの始皇帝も、墓をあばいてまでは書を焼けなかったようです。
これによって、『史記』を全否定することから理論を構築していた疑古派の主張は「壮大な屁理屈の山」(浅野裕一さん著)になってしまったのでした。
タイトルの「掘り起こされる」は、「理論や理屈」の世界に対して文字通り発掘された資料が与えたインパクトを意味しているようです。
しかし、各論文の著者には、日本の学問の行く末に対する危機感があるように読みとれます。学問の方法論がこのままで良いのか/若い人が入りにくい状況にあるのではないか、という苛立ちがことばの端々に覗きます。後書きには「専門の研究者は10名」なんて書いてありますが、この分野で日本の研究水準の実体は、はたしてどんなものなのでしょうか。
そういえば馬王堆漢墓から出土した帛書には、戦国時代の医書も含まれていてこちらも古代医学の研究にインパクトを与えたそうです。『
中国医学思想史』(石田秀美著、東京大学出版会)にそのへんが書いてありましたっけ。
しかし、始皇帝は罪作りですねえ。本は大事にしなくちゃいけませんよ。ブラッドベリの『
華氏451度』を挙げても良いのですが、もっと「高尚」にハイネにしましょうか。1822年の『アルマンゾル』から……「書物が焼かれるところでは、結局、人間が焼かれる」。始皇帝とヒットラーの間でこのようなことを言う人がいたとは、これまたオドロキです。
逆光でわかりにくいのですが、もう七分咲きくらいです。なんか爆発的に咲いてしまいました。そういえばTVニュースで「咲き始めた翌日には満開の木があります」とも言っていました。そんなに急いで、桜の木は疲れないのかな?
【ただいま読書中】
テッド・チャン著、浅倉久志 他訳、ハヤカワ文庫、2003年、940円(税別)
SFマガジン5月号、山本弘の短編「メデューサの呪文」の解説に「言語テーマに二人称の語りとくれば、テッド・チャンの傑作「あなたの人生の物語」を連想しますが」とあったので文庫本置き場から引っ張り出して1年ぶりに再読することにしました(我ながら妙な心の動きです)。
いや、「メデューサの呪文」も面白いんですよ。ただ、「呪文」そのものの作動メカニズムを言語学的(かつSF的)に説明しようとした作品じゃないかと言ったらそれまでで、テッド・チャンはさらにひねりと厚みがある分もっとすごい、というだけです。
この短編集の表題作『あなたの人生の物語』は、地球にやってきた異星人ヘプタポッドの言語をルイーズ・バンクス(博士)が解析するところから始まるように見えるような見えないような……なにしろ二つのエピソードがモザイク状に入り交じっているようで、しかも各部分の時の矢印の向きがばらばらになっているように見えるものですから、なかなか一言では説明しづらいのです。しかも、ヘプタポッドとの交渉には登場しない「あなた」が話全体では重要な位置を占めていて……ああ、もう! 「わかっている」のに説明しづらいというのはストレスですね。でも、最初から最後まで説明しちゃうと、未読の人にネタバレになっちゃうし……
鍵になるのはヘプタポッドの言語です。リニアな構造を持つ人類の言語とはまったく異なった構造を持っている彼らの言語(たとえば文はすべて遂行文)を学ぶことで、ルイーズ・バンクスもまた変容していきます。しかし、言語で描写することはその対象物の全てを描写すること、というアイデアをこんなにリリカルに処理してしまうとは……もし私がこのアイデアを思いついたとしてもきっとリニアに書いてしまってもっと良くなるべき作品を台無しにしてしまったことでしょう。ことばを操るというのは難しいことですねえ。
壮大なビジョンと他人の日記やアルバムを覗き込むような個人に密着した精細な描写の両立。甘さと苦さ/熱さと冷たさが舌の上で味のオーケストラを奏でるように、異なったレベルの描写が私の認識を無理矢理拡張してくれます。SFの核である「センス・オブ・ワンダー」をじっくり味わえる作品たちです。
お気に入りの木はほぼ満開になったようです。咲いたばかりですからまだ風が吹いても散りませんが、もう少し経ったら斜面に沿う風に乗って、下から吹き上げる花吹雪が見られます。それがまた凄絶なくらい美しいんだなあ。
ふと気がつくと、mixi日記の容量が1.0MBになっていました。一文字2バイトで計算したら約50万文字分。何枚もの写真で増量していますがそれを差し引いても4ヶ月でよく書いたものだと我ながら少し感心しました。
「フロッピーディスク1枚あれば個人の日記くらいなら一生分保つんじゃないか。それ以上の高容量メディアが個人レベルで必要なのか?」と雑誌に書かれていたのを読んだのはたった十数年前のことだったように記憶しています。ハードディスクが一般に普及し始め、フロッピーは5インチから3.5インチに移行しようとしていた頃ですが、2HDフロッピーの容量は1.44MB(NECの98は1.2MBだったかな)で、情報の見通しを良くするためにフロッピーにディレクトリを作ったりもしましたっけ(WIN3.1以前を知らない人には死語でしょうね)。
1980年代前半、APPLE][のフロッピーは1DD(片面だけ使用)で400KBだったかもう少し少なかったか。それだけの低容量でもプログラムでさえ十分収納可能でしたが、フロッピーが高かったのでデータ保存するためにひっくり返して無理矢理裏も使用しましたっけ。
ギガどころかテラバイトの情報を個人で蓄積している人達から見たら「1メガバイトくらいで何感慨に耽っているんだよ」でしょうけれどね。
【ただいま読書中】
藤沢周著、徳間書店、2001年、1500円(税別)
『
藪の中』ならもちろん芥川龍之介です。今は良い時代で、青空文庫で簡単に読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/179_15255.html
検索したついでに再読してみましたが……やっぱり良い作品だなあ。「真実」が二転三転し、最後にやっと解決したかと思うと納まりの悪い謎が読者の胸に残る……単純明快が好きな人には耐えられないかもしれませんが、複雑な人間が絡み合うこの世界は複雑怪奇なものなのですから、この程度の複雑さには慣れないとね。ただ、私は多襄丸を多情丸と読みたくなって困ります。
映画の「
羅生門」(黒澤明監督)も忘れてはいけませんね。小説を映画化したらほとんどは小説の世界が矮小化されてしまうのに、これは見事に料理されていました。謎は謎のままとして、それとは別に最後にかすかな救いが用意されていて、これで観客は映画の世界から現実に戻ってくることができます。
……で、『藪の中で・・・』ですが……木曜の朝、ゴルフコースを回る薬品会社のプロパー(営業)山根と病院長葛木、そして院長夫人の翔子。葛木は自分の浮気が妻にばれているかどうかを山根に探らせようとし、山根はショットのたびに過去の女との思い出を蘇らせつつ初対面の翔子に惹かれていき、翔子は翔子でなにやら魂胆が……と三者バラバラの思いが交錯します。二者同士の組み合わせが三種類ありますが、それぞれの組み合わせでなにやら妖しげな企み(?)がばらばらに進行するところが『藪の中』と通底します。
設定は無理矢理です。葛木はせいぜい診療所か小病院の院長といった人物造形なのに「呼吸器科」がある病院で(内科と呼吸器科と婦人科がある総合病院)、しかもそこは木曜日が朝から休み……たしかにそんな病院は探せばあるかもしれませんが、なんだか私の感覚にはしっくりきません。それと、自分の浮気が妻にばれているかどうか、妻と初対面のプロパーにゴルフ場で探らせようとします? 球を打とうとするたびに立ちのぼる山根の性的な妄想は面白いんですけどね。
結局「藪の中」は「ゴルフで藪に球を打ち込むこと」と性的な隠語とをかけているわけで、最終的にその二者が合体しますが……うーん、葛木が最後に使う小道具、できたら伏線を張っておいて欲しかったなあ。いや、タイトルが伏線なのかもしれませんけれど。
「……のために協力をお願いしたい」というフレーズはあちこちで見聞します。今朝の新聞にも外務省が日本アニメを海外文化交流に使いたいから値段を安くして欲しいという文脈でこのフレーズを使っていました。だけど、私は違和感を感じるのです。だって口では「協力をお願いしたい」ですけど、真意を直訳したら「ディスカウントしてくれ」でしょ。だったら最初からそう言って具体的な交渉を始めればいいんじゃないの? 予算をオーバーするのならそれは買わずに他の安いものを購入するという選択肢は購入側が持っているのですから。
そもそも「協力」とは何かの目的のためにお互いが力を合わせることです。それが「お前は俺のために力を尽くせ。俺はお前のためには何もしない。ちなみにお前のおかげで目的が達成されたら俺は嬉しいがお前には何のメリットもない」ではずいぶん偏った「協力」に見えます。ここで私が知りたいのは、外務省がアニメ業界にどのような「協力」を持ちかけたのか、です。それ無しでは「協力」ではなくて「一方的要求」です。もちろん商取引ですから自分を有利にするように要求はしなくちゃいけませんが、それを「協力」と言うのは言語学的に問題でしょう。
次に「お願い」が待っています。
「お願い」の定義はけっこう難しいので「差違の比較」を用いてみましょう。「お願い」の意味を明確にするために、その対極に位置しているように見える「強要」と比較します。「強要」の特徴は、「自分の主張を言い立てて相手の主張を無視する(交渉がない)」「自分の要求を通すために強制力を使う(相手を自分と対等の存在とは認めない)」「個人レベルでは、相手に自分の要求が断られたら、最低不機嫌になって、そういった感情の力で相手を動かそうとする(論理より感情を重視する)」などです。これをひっくり返せば、お願い(の近似値)になるはずです。つまり、こちらの要望は要望として相手との交渉のテーブルに提出するが、それを受け入れるか条件交渉をするか断るかは相手の権利として相手の言い分を冷静に認め次の策を考える、のが「お願い」でしょう。つまり、相手にも選択肢があるのです。それを「自分にとって一番都合がよい」決定だけしか相手に「選択」することを許さないぞ、というのは「お願い」ではありません。自分のわがままの垂れ流しです。きれいな言葉でくるんでいるから実体は見えないだろう、というのは甘い期待です。
【ただいま読書中】
アンドリュー・ドルビー著、樋口幸子訳、原書房、2004年、2900円(税別)
この本では「スパイス」を「通常の食物や祝宴のごちそう、薬などに使われる香料のことである。天然の産物で、長期の保存や遠路の旅に耐えるように、伝統的な方法で処理されたもの」と定義しています。ここでポイントは「長期の保存や遠路の旅」の部分で、生で新鮮なほど価値が高い「香草(ハーブ)」は「スパイス」から除外されます。次に著者は「遠路の旅」すなわちスパイス交易に注目します。交易路あるいはその交差点として、モルッカ諸島・アラビア半島・西アフリカ・シルクロードなどをまずとりあげ、具体的にいくつものスパイスがどのように歴史の曙から世界を駆けめぐっていたかを論じます。たとえばジンジャー(ショウガ)に注目したら、紀元前4000年から始まった、中国南東部や台湾からマダガスカルやイースター島へのオーストロネシア語族の大移動が見えてきます。
約60種類の「スパイス」が登場しますが、食べるものだけではなくて、バルサム・麝香・樟脳まであるのには笑ってしまいます。
しかし著者は博識で広視野です。様々な史料を取り上げるだけではなくて(それだけでも凄い分量なのですが)、植物学・言語学などの知識も駆使して、スパイスがどのように使われ人と共に移動したかを実証的に論じます。砂糖(これもスパイスです)が世界に普及するのに中国が重要な役割を果たしたなんて、私はこの本で初めて知りました。ただのスパイス辞典ではありません。
これと似た雰囲気を持つ日本の本として『
東西生薬考』(大塚恭男著、創元社)を私は思い出しました。こちらは洋の東西医学で使われた生薬をいくつも比較することで、双方の医学の異同を浮き彫りにした労作でした。『スパイスの人類史』にも何回も登場するディオスコリデスの『
薬物誌』はこちらでは『ギリシア本草』と表現されてやはり何回も引用されていますが、こういった文化の結節点とも言える重要な本を人類は何冊くらい持っているのでしょう?
○一面「衆院2補選が告示 政権運営に影響」とあります。
……はて、補選の結果政権が揺らぐような現況なんです? たとえば自民党が負けたら小泉さんが責任取ってやめるとかあるいは自民党の重鎮が責任取ってやめるとか重要法案が審議ストップになるとかの具体的な見込みがあるのでしょうか。
記事を読んでいて、ただ雰囲気を煽っているなというのは読みとれるのですが、その裏付けが見えません。ただ決まり文句を並べた薄っぺらさが目立ちます。
○社会面。また変な事件が起きています。行方不明になっていた女性二人が実は殺害されていた、というのですが、逮捕された男の言い分は……「交際している女性が友人を自宅につれてきて二人でとっくみあいの喧嘩を始めて自らの首をカミソリで切ったのでハンマーで殴って殺した。友人も口封じに殺して遺体を鋏でじょきじょき切ってみた」……なに、これ?
そういえば、朝日では被害者と被疑者の顔写真も氏名も公表されていません。これはもしかしたら4月からの個人情報保護法の影響でしょうか。私も職場で法律への対応に気を配ってはいます(普段からやっていることの延長上なのでそれほど大変とは思っていません)が、法律と関係あるかどうかは別として、基本的にこれは良いことだと思います。無意味な個人情報の垂れ流しを、うはうは喜んで知りたいとは思いませんから。
【ただいま読書中】
藤沢周平著、青樹社、1983年初版(1991年改訂新版)、1359円(税別)
先日藤沢周を読んだからこんどは藤沢周平です。好きな作家なのですが図書館で棚を眺めても「あ、これは読んだ」「これも読んだ覚えがある」と読むべき本を選ぶのに苦労するのが難点です。今回は未読かあるいは既読だけど完全に記憶がなくなっているかなので、喜んで借りてきました。
藤沢周平の短編は、人生をきれいに切り取っていることが特徴でしょう。写真がフレームで世界を切り取るように、藤沢周平は言葉で世界や人生を見事に切り取ります。「フィクションを読むことの意味」はこういったキレの良い短編を読むと、言葉で表現できなくても体の芯でわかるようになります。
導入の巧みなこと。わずか数行ですっとこちらの心が江戸時代の町屋や街道に連れ込まれてしまいます。そして事件が起きたり起きなかったり……だけど、ストーリーの起伏はあまり重要なことじゃありません。私の心に響くのは、「人生はやり直しがきく」という作者のメッセージです。男に騙され場末の安女郎に身を持ち崩して重病となった娘(『帰ってきた女』)、十手持ちに目をつけられずっとつけ回されることになった盗人(『逃走』)、まだ若いのに不本意なことで隠居させられ跡継ぎとも不仲となって本宅から離れて隠居所に住むことになったが何もすることがない夫婦(『弾む声』)……人生の袋小路にはまりこんだような状況から話は始まり、「これから彼らはどうなるんだろう」と思わせるところで話は閉じます。かと思うと『遠い別れ』のように「お前はどうしてそっちの方向にばっかり道を選ぶんだよ」と言いたくなる作品もありますし……まったく憎らしいほど上手です。素直に愉しませていただいてます。
ケーブルテレビで「新クマのプーさん」というアニメをやっていました。子どもが見ているのをちらっと横目で見ていて「ゴーファーとかラビットって誰よ?」なんて思っていましたが、ギエ〜と言いたくなったのはクリストファー・ロビンの「どうしよう、ママに叱られちゃうよ」というセリフを聞いたときです。ママ? そんなのクマのプーさんの世界の住人じゃありません。なぜタイトルがプーさんなのか、このアニメの製作者はわかっているのでしょうか。「新」がついたから別物? それなら登場人物(動物? ぬいぐるみ?)も一新してください。
「
トムとジェリー」に人間の下半身がたまに登場するのはまだ許せます。だけど、「クマのプーさん」の世界に大人が侵入したら、その世界観が無茶苦茶になるだけです。なんでそんな無頓着な「改竄」をするかなあ。
こんなのクマのプーさんじゃないよう! 少なくとも私は認めないぞ。
【ただいま読書中】
ベンジャミン・ホフ著、吉福伸逸+松下みさを訳、平河出版社、1989年初版(1997年13刷)、1500円(税別)
タイトルのタオは漢字では「道」。中国の道教と言った方が良いのかもしれませんが、「教」がつくとそれは宗教的意味合いが強いので、むしろ哲学的思想的なものとして単に「道(タオ)」と表現した方が良いでしょう。(同様に「儒教(宗教)」と「儒学(思想)」は別物できっちり分けるべきだという主張をしていたのが『
儒教とは何か』(加地伸行著、中公新書989)です)
著者は「クマのプーさんをとおしてタオイズムを解説し、タオイズムの原理でプーさんを解釈する」と述べています。正直言ってずいぶん無謀な試みだと思いますが……読みながらよくよく考えてみたら……それほど変な話ではなさそうです。
ただこの本は、『
クマのプーさん』『プー横町にたった家』を読んでいて、かつ、タオに興味を持っている人、とずいぶん読者を限定するようですが、どちらか片方しか知らないけれどこの本でもう片方に興味を持って読んでみる、というのもアリでしょう。
クマのプーさんでは様々なトラブルがおきますが、その中で、智恵・知識・考察などを駆使する人々(たとえばフクロ・ウサギ・イーヨーなど)よりも「何も考えていない」「考えることが苦手な」プーの方が人生を上手く生きているように見えるのはなぜか……著者はそれをタオで説明します。ちょっとこじつけ気味の所もありますが……(笑)
最近はあまり使われませんが、「動静」という言葉が日本語にはあります。文字通り「動」と「静」によってものごとや人の行動のありさまを示します。しかし現代社会では「動」は評価されます(結果によってプラスかマイナスかは別になります)が「静」の方はどうでしょう? 「動」のための準備(たとえば「英気を養う」とか「段取りを考えている」)ならまだ許されますが、本当に「何もしていない」場合は基本的にネガティブな評価しか受けません(会社で「静」の時間を確保するのに「○○をしています」という言い訳が必要なために手軽な言い訳としてタバコを吸う人が増えてしまったのではないか、という妖しげな仮説を私は持っています)。ちなみに、新聞の「首相の動静」欄も、書かれているのは「動」ばかりですね。
だけど、人は「動」だけで成り立つものですか?動き続けるだけで、人は幸せですか?というのがタオの重要思想の一つ「無為」でしょう。
ただ、「単に何もしない」は「無為」そのものではありません。それだったら人生を生きるよりもさっさと死んだ方が「何もしない(できない)」状態に早くなれます。実際昔の中国で道教が支配的になった世相では自殺者が増加したそうですが……これはタオの誤用でしょう。だってタオの重要思想の別の一つは、人生をまるごと愉しむことなのですから。ではタオとは一体何なのか、は……『荘子』『老子』やあるいはベンジャミン・ホフの著作をお読み下さい。
なお続編は『
タオとコブタ』です(冗談ではなくて本当)。小さくていつも何かに怯えておどおどしているコブタの方が、実はタオに近い存在かもしれない、というのは半分(だけ)嘘で、『クマのプーさん』が実に楽しい本であることをさらに教えてくれる本です(ベンジャミン・ホフの文章は『タオのプーさん』より上手くなっていると思います)。こちらもお勧め。
プロ野球の中継で「さあ、ここで一発出たら逆転です」と威勢良く言っていました。試合終盤一点差でリードを許しているがノーアウトでランナーは一塁、打順は投手なのでピンチヒッターが送られた場面です。たしかにここでもしホームランが出たら二点入るから逆転ですが……代打に指名されたのは昨シーズン一年ほぼフル出場して打率はそこそこよいけれどホームランは2本か3本しか打っていなくて、今年は故障か不調かでレギュラーを外れている人です。そういった人を監督はここで「ホームランを期待しているぞ」と送り出したのでしょうか? 私にはヒットエンドランとか送りバントとかただの安打とか、とにかくチャンスを広げることを期待しているように思えるのですが。もちろん「ホームランが出る確率」はゼロではないでしょう。ゼロではないのだから「それ」が起きることを期待するのは人の勝手でしょう。でも、その確率は高いですか?現実的ですか? 現実に起き得ることに優先順位を与えたらどうなるかを無視して数字上の可能性の有無だけ述べていればそれが「実況放送」「解説」ですか?
私だったら、なぜここで代打がこの人なのか、監督は彼に何を指示していると想像できるか、それに対して守備側は何を考えてどう対処するだろうか、そして守備陣形からその予想が当たっているか外れているか……を瞬時に考えて「解説」して欲しいのです。「れば」とか「たら」を言うだけで良いのなら、素人の私でも「解説」はできます。素人にはできない芸をプロには見せてもらいたいのです。そしてそういった予想をぶちこわして意外なことが起きたときに「ドラマ」が生じたと言えるのでしょう。
とにかく「ここで一発出たら」と言いたいだけなら(あるいは他に言う手持ちの材料がないのなら)……初回の表、先頭バッターが打席に入ったとき「さあ、ここで一発出たら先取点です」と言えば良いでしょう。いや、先頭打者ホームランが異常に多いバッターだったらどんどん言って良いとは思いますよ、確率は高いわけですから。そして、二番バッター三番バッター四番バッター、ずっと言い続ければいいのです。「ここで一発出たら○点です」。延々言い続けていればその内必ず当たります。
【ただいま読書中】
江戸川大学 土器屋由紀子ゼミ編、春風社、2004年、1800円(税別)
NHKの「プロジェクトX」でも取りあげられた富士山レーダーは1999年に稼動を停止して今は撤去されてしまい、2004年秋には富士山観測所は無人化されました。今は自動機械だけがさびしく動いているそうです。しかし、マウナロアが二酸化炭素観測によって辺鄙な気象観測所から世界的に有名な大気化学観測所に脱皮したように、富士山観測所も、ほぼ一年中自由対流圏に位置する利点を活かして世界的にも貴重な大気化学観測所にできないか、というのが(一部の)関係者の願いのようです。そんな人々(職員、元職員、研究者、大学院生など)の未来へのそして測候所の過去への思いがこの本にはぎっしり詰まっています。
……しかし、交代要員の登山を「通勤」と表現した人がいたのですが……いやたしかに仕事場に出かけるのですから通勤ではありますが……吹雪の中を五日もかけて「通勤」することがあったとは、富士山は日本国内でおそらく一番きつい通勤路ですね。これまでに四人の職員が殉職しているそうで、職場としてもアブナイところのようですが。
私は小学生のとき読んだ新田次郎『
芙蓉の人』のジュブナイル版で、明治28年に富士山頂に籠って観測をした野中夫妻の生き方に感銘を受けました。特に奥さんの、夫が単身では保つわけがないと思って体力トレーニングを秘かにやってから山頂に押し掛けていく行動力には絶句でした。そして二人で冬を迎え、薄い空気と零下20度以下の寒さとビタミン不足からの壊血病に耐えて約3ヶ月命を賭けて観測をするとは、なんという激しさでしょう。圧力釜はない時代だからご飯は常に生煮え、という描写を読んで、それだけで私は「耐えられない」と軟弱にも思いましたっけ。
私が体験した富士山は大学時代の登山で一泊二日の経験だけです。泊まった八合目の山小屋で、夏なのに寒くて震えがきたのに私は参りました。あれは人が住む環境ではありません。そこを「開拓」し、人々のため(と、自分の学術的あるいは非学術的興味のため)に山頂に籠っていた人々のすごさには、素直に頭が下がります。
ちょっと出かけた某所でひさしぶりに街宣車のがなり声の連呼をたっぷり浴びせられました。はっきり言います。私は、立場が右であれ左であれ暴力団だろうが市民運動だろうが、街宣車はきらいです。選挙カーも街宣車の親戚と思っているので、やはりきらいです。オフィスなどの前で延々とやっているのは営業妨害ですし、そもそも環境に関する法令違反でしょう。(例外は、災害などを知らせて回る消防などの車。こちらには感謝してます)
ある人の主張にスジがしっかり通っていて理路整然としていたら、それをしっかり聞いて納得した他人は従うでしょう。でも街宣車でそれだけ理路整然と分かり易く主張しているのを私は聞いた覚えがありません。
ある人にすごい人間的魅力があったら、言うことに少々難があっても「あの人のためなら」と、その人の魅力に触れてその影響を受けた人は従うでしょう。でも街宣車で……以下略。
ある人の言うことに従ったら大きな利益があるのなら、その人の主張に賛同できなくてもその人に従う人は多いでしょう。でも……以下略。
……ということは、意見が違う他人を説得もできず魅惑もできず利益誘導もできず、ただ暴力的な大音量でぎゃあぎゃあ騒いでいるだけの人は、「理」「魅」「利」のどれも欠いていて、ただ「威」のみで勝負しているだけの人、ということでしょうか。そんな人に喜んで従うのは、どんな人? 「そんな人」を集めて、楽しい? いや、集まっているのかな?
私にとっては街宣車は害宣車です。自分が社会や他人にとって有害であることを宣伝している車。
【ただいま読書中】
黒岩常祥著、日本放送出版協会、2000年、1200円(税別)
高校の生物の授業で細胞内小器官を習っていたとき教師がぼそりと「ミトコンドリアはかつては独立した微生物だったのが細胞内に取り込まれて細胞内呼吸を担当するようになったのではないかと言われている」と話したのが私の耳に残っています。どうしてそんな都合の良いことが起きたんだろう、とか、その「前」の細胞はどんな生き方をしていたんだろう、とか想像の翼が大きく羽ばたきましたっけ。当時はすでにミトコンドリアや葉緑体が独自の遺伝子を持っていることがわかっていましたが、教科書にそこまで書いてあったかどうかは覚えていません。現在の高校ではしっかり教えているようですね。
従来ミトコンドリアのDNAは裸で存在するとされていたのを、著者はミトコンドリアには核が存在することを粘菌の研究で証明し、それまで続けていた細胞核染色体の研究を放棄してミトコンドリア研究者となります。
粘菌と言って私が思い出すのは南方熊楠ですが、意外なところでいろんなものがつながっているんですね。そういえばこの本には様々な研究者が登場しますが、その中の一人の講義を聴講したことがあるのには自分でも驚きました。あの人は凄い研究をしている人だったんだ知らなかった……って、「知らない」のは私がものを知らないか人を見る眼がないからだけなんですけどね。
ミトコンドリアの祖先であるαプロテオ細菌が細胞と共生を始めてすぐに、ミトコンドリアは自分の遺伝子のほとんど(90%くらい)を宿主細胞の核に移行させました(細胞が奪ったのかもしれません)。さらにミトコンドリアの分裂装置(細胞分裂に必要な特殊な蛋白を合成する)も宿主細胞のコントロール下におかれてしまいました。
ミトコンドリアは、手足をもがれた状態で奴隷のように細胞のためにATPを作り続ける存在になったのか、それとも、生存に必要な苦役はすべて細胞に押しつけて悠々と自分がしたいことだけをする生活を得たのか……物事をどちらから見るかで表現は違ってくるかもしれません。(ドーキンスの「生物は遺伝子の乗り物にすぎない」を思い出してしまいました) ただ、世界で一番繁殖しているのはミトコンドリアですから(一つの細胞につき数千個はミトコンドリアが存在する)、進化の過程で一番の勝利者はミトコンドリアと言って良いのかもしれません。
しかし巻末に載っている最新の研究結果「光ピンセット(絞り込んだレーザー)でミトコンドリアを一個つかんで動かし、その遺伝子を取りだしてPCRで増幅させて」って……今の科学は本当に凄いことになっているんですねえ。
この本は大変面白いのですが、高校の生物程度の知識しかない人ではちょっと辛いかもしれません。ただ、わかる部分だけつまみ食い的に読んでもけっこう楽しめます(私のことです)。専門的で難解なところを一般人にも分かり易いようにするために、できたら専門家の著者と読者の間にサイエンスライターを挟んだ方が良かったかもしれませんが、リライトしたらこの本の厚みは1.5倍にはなってしまったかなあ。それはそれで困ります。
黒々とした幹/瑞々しい若葉/まだ鮮やかな桜花……このトリコロールがバランス良く揃っているのを見ると私は桜餅を思い出します。
【ただいま読書中】
詩と詩論研究会編、勉誠出版、2003年、2500円(税別)
20世紀初めに活躍し夭逝した童謡作家金子みすゞを研究する集団が、毎年一冊ずつ勉強の成果を本にまとめていった五冊目だそうです。研究会のメンバーの多彩さを反映して、17編の評論・詩・小説・短歌(21編)から成っています。
金子みすゞを知らない人のために、彼女が世に知られるきっかけになったという作品を紹介しておきましょう。
大漁
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の大漁だ。
濱は祭りのやうだけど
海のなかでは
何萬の
鰮のとむらひ
するだらう。
これを初めて読んだとき、地球がぐらりと揺れました(なぜか七五調)。ただ、そのときの自分の心を詳しく分析しようとは思いません、というか、それらについての分析や評論はこの本にたっぷり載っています。私はただひたすら金子みすゞの作品を読めたら幸せです。なんだか、評論や解釈を読み続けると、それらから逃避して生の作品を手に取りたくなります。ここまで精密に分析するのか、という驚きはもちろんありますが、そんなに詳細にやってしまったら感動が薄れてしまわないか、という怖れがあるのかもしれません。「感動」とは心が動くことでしょうが、論評は心を落ち着かせてしまいますから。だから私は、ダイレクトに私の心を動かす作品に関しては、評論はあまり深読みしません。むしろ流し読みです。
しかし一読して、色々な読みかたができるものだと感心します。「金子みすゞについて語る」ということは結局「金子みすゞの童謡によって刺激された自分自身について語る」ことなんでしょうねえ。
19日(火)夢祭りのあと
「事故」と言えば、交通事故・医療事故・航空機事故などのことばを私は想起します。(放火を除く)火災や家庭内での怪我も(「事故」という文字列はつきませんが現象としては)事故の内でしょう。できればどれにも直接関係したいものではありませんが、ずっと昔航空機事故のノンフィクションを読んでいて軽くショックを受けたのが「アメリカでは、個人の責任を追及するためではなくて、事故の原因を究明し再発を防止するために事故調査を行なう。したがって明らかな故意などがないかぎり個人の責任追及は二の次とされる(免責される)。だから関係者は正直に証言を行ないデータが集積される」という意味の文章でした。
故意に悪いことをやった場合は、それは事故ではなくて犯罪ですから論外ですが、そうではなくて、普通に業務をやっていたつもりなのに結果が誰かにとって有害なことになったのなら、罰したり改善するべきはその場にいた「人間」ではなくて「その場」の方だ、という考え方でしょう。つまり、個人的努力で対処するのではなくてシステム全体で対処しようということです。その考え方を進めれば、故意に事故を起こそうとしても不可能なくらいシステムをがっちり作ってしまえばいいということにもなります(そこまで完璧にやるのは困難でしょうけれど)。
で、日本ではどうでしょうか。事故が起きたとき、システムがまず問題にされるでしょうか、それとも個人? そもそも、それが事故か事件(犯罪)かが峻別されているでしょうか? 事件だったら起こした人は犯罪者ですが、事故だったら起こした人は欠陥システムの被害者なのかもしれません。結果だけが問題にされて過程の精密な分析は無視されていないでしょうか。以前はとにかく個人を問題にして非難する風潮が強かったようですが、それでもアメリカの影響か、システムで対応しようとするところも少しずつ増えてきたように思いますが……
私が気になるのは、最近「リピーター」という言葉があちこちで使われていることです。特定個人が事故を繰り返す、という意味ですが……これって結局「リピーター個人が悪いのだから、システムをいじっても仕方ない」と問題を個人に還元したり「私はリピーターじゃないから関係ないもんね。あいつが気をつければ良いんだ」と問題から逃避する姿勢を主張しているニュアンスが含まれてしまいません? 私はむしろ、リピーターでさえも事故が起きないような(起こせないような)システムを作ろう、という形でこの言葉を使って欲しいと思います。念のために書いておきますが、私はリピーターではありませんから、個人の保身のためにそう主張しているわけではありません。今までの人生で、幸いなことに、軽い交通事故以外は大きな事故には遭わずにこれました。それでも確率的にいつ自分が重大な事故の当事者になるかはわからないと思っているから、せめてその確率が少しでも減少するように社会全体で対応できないか、と願っているのです。
【ただいま読書中】
中村政雄著、中央公論新社、2004年、720円(税別)
著者の立場は、原子力発電賛成で、社会に拒否反応があるのは報道が不公正だからだ、というもののようです。著者略歴を見ると、元讀賣新聞記者・論説委員で科学技術全般を担当していたそうですが、そんな人がメディア批判をするとは面白いものです。
1957年、日本初の研究用原子炉が稼動し始めたとき、新聞はこぞって好意的に書き立てました。「ハイテク万歳」です。しかし、当初からあった反対運動は、1979年のスリーマイル島事故、1986年のチェルノブイリ事故で一挙に燃え上がります。日本でも「ヒロセタカシ」現象(広瀬隆著『危険な話』によって高まった原発に対する不安感および不要論)が起きますが、意外なことにその現象にストップをかけたのが日本科学者会議原子力問題研究会(この会は共産党系といわれている、と著者は記述しています)のシンポジウムでの批判で、著者は「この一撃以来、広瀬の発言は信頼を失っていった。原子力推進派の学者や役人が、にがにがしく思いながら何も出来なかったことを非体制側の学者グループがやってのけた」と複雑な思いを込めて書いています。
著者によると、日本がおかしくなったのは日露戦争の「大勝利」からで、その原因は新聞にあるそうです。本当は辛勝でロシアの極東への野心をくじけばよいという当初の目的を達成しただけだったのを、「大勝利だ、賠償金を取れ、領土の割譲だ」と新聞が国民を煽り結局ポーツマス講和条約への不満が爆発して国内では暴動やアメリカ人の教会が襲われるという事態になってしまいました。
私見ですが、新聞が国民を上手に煽り、その風潮に軍部が乗り、軍に逆らえないことを口実に新聞が国民をさらに煽る、という三竦み(煽り合う三角関係?)の連環で日本は帝国主義の道をぐんぐん歩んでいったのかもしれません。
オイルショックの時も変です。アラブ諸国の生産削減が発表されて生産量が減少したのは最初の一ヶ月だけで、実際にはそのあとむしろ増加しているのに「石油がなくなるなくなる」とパニックが煽られてしまいました。日露戦争の時と同様「真実」を報道せず雰囲気を煽るだけのマスコミに対して、著者は厳しく指弾します。
著者は「報道の目的は『社会のため』」と明快です。そしてそのために記事は客観的で公正でなければならないし、記者は現場をちゃんと取材しなければならないとします。
……しかし、公正な報道ってなんでしょう? 特に世論が割れている問題の場合、何をもって「公正」とするかはなかなか難しいのではないでしょうか。人は自分の意見に沿った報道なら「正しい」報道と感じるでしょうが、自分の意見に反対する報道だと「偏向した」報道、と感じるでしょう。単に「事実」のみを報じれば良い、というものでもありません。「どの」事実を報じてどれを報じないか、の取捨選択も一つの態度の表明です。そして、報道を受ける側の人間からは、「何が報じられたか」は見えますが「何が報じられなかったか」は見えません。それが報道に関しての判断の難しいところです。
そうそう、原子力に関して朝日・毎日・北海道新聞などの「変な記事」は本書中でばったばったと切られていますが、讀賣の記事で変な物として紹介されたのはたった一つ(と、中身はよいが見出しがセンセーショナルとされたのが一つ)です。これは讀賣新聞がよほど原子力に関してまともな記事しか載せない新聞なのか、それとも著者が讀賣に関しては片目をつぶっているのか、どちらなんでしょう? これも読者の側からは判断できません。
私自身は、広島で育ったこともあるのか、感情面では「核」に対しては懐疑的ですが、論理面では日本が原子力発電を捨てて生きていけるのか(水力発電(環境破壊)・火力発電(地球温暖化・化学資源として重要な石油をただ燃やすのはもったいない)・風力発電(不安定)・太陽光発電(これは良いけどコスト(お金とエネルギー)がペイするのか? 夜間はどうするか)など、他の方法で人類はやっていけるのか)が疑問なので原発は容認、という立場です(トータルすれば消極的容認派と言えるかな)。ついでだけど、原子力発電推進派が喧伝していた「原発は二酸化炭素を出さない」「絶対安全」というスローガンに対しては「それは厳密には嘘だろう。正直に言えよ」と眉に唾をつけてしまいます。
そうです。この「正直に言えよ」の部分が、私と著者の主張の重なる部分でしょう。
「僻地では医者が(全体的に、あるいは特定の科で)足りないから、地方自治体が医学生に奨学金を出して卒業後にその金額に応じて僻地で働く制度を拡充している」と新聞に載っていました。最初に連想したのが「前借り金で身体をしばる遊郭」のシステムです。「金を出したんだから言うことをきけ。僻地の医者以外になることは認めない。医者の中でも○○科以外になることは認めない」というのは……居住と職業選択の自由を定めた憲法違反では?(ちょっとおおげさ? 本人が認めて公序良俗に反していない契約だからOK?) ただねえ、金で人をしばるというのは、けっこううまくいかないことが多いように思うんです。「そんなことはない」と主張する人は、月々数万円あげたら私の言いなりになる人ですか?
そもそも僻地に医者が足りないのはなぜでしょう? 人はたくさんいるのに医者だけ少ない? もしそうなら医者は馬鹿です。人がいるのに医者が少ないのなら商売のチャンスでしょう。なのにせっかくのビジネスチャンスを捨てているのですから。
そうではなくて、地元で育った人間さえも「ここには住めない」と出て行っているのなら、つまり人が減る結果として医者も減っているのなら、その流れに逆らって医者だけ増やそうとするのは、それは至難の業でしょう。「聖職なんだから行くべきだ」……素晴らしい主張です。ではその主張をする人が身をもって態度で示してください(ご自身が田舎で医者をやってください)。まだ医者ではないのなら、医学部に行って医者になってから田舎に移住しましょう。新聞によれば僻地の医者になるための良い制度があるそうですから、それを活用しましょう。(これは皮肉ではありません。人はモデルを求めます。素晴らしいモデルを身近に見たら、その真似をしようとします。ですから「素晴らしい主張」をただ口で言うだけではなくてモデルとして行動してみせれば周囲の人の行動に変化が生じ、結果として社会が良い方向に少しずつ変革されていく可能性が高くなると私は考えるのです。みすぼらしいモデルだったら無視されるだけですが……一番みすぼらしいモデルは「言葉は立派だが行動は立派ではない人」かな(言葉も行動もみすぼらしいのは、言動一致だからそれよりまだマシ。行動が素晴らしいのは、言葉はどちらでもいいです))
家制度が機能していたころは、跡継ぎは残りそれ以外の人が都会に出る、ということで、田舎の維持と田舎からの都市への人的資源供給が両立していました。しかし今は跡継ぎもどんどん流出しているわけですから田舎での人口維持はできません。都市への供給も先細りです。ということは、こんどは都市から田舎へ人口の供給をしないといけないわけです。
さて、どんな手があるでしょうか? 今こそ政治の出番なんじゃないでしょうか。政治家が何らかのビジョンを示し、それをマスコミが大々的に報じれば、これも一つの社会的モデルになるかもしれませんが、ただ単に「困った困った、誰か行けよ(俺は行かない)」は、逆効果しか生まないような気が……
ちなみに私は、過去に田舎ではけっこう頑張って働いて燃えつき気分なので、よほど良い条件が示されないと今は移動する気になれません。
【ただいま読書中】
半村良著、文藝春秋、1996年、1500円(税別)
将軍家治が毒殺され、将軍の後ろ盾を失った田沼意次亡き後、汚名をこうむった田沼家は当主が次々毒殺され没落していた。徳川家斉は子沢山で、息子娘を次々大名家に入れていったが、時には邪魔になる正規の跡継ぎを毒殺することも厭わなかった。それらを画策・実行していたのは、「影の大御所」と呼ばれる一橋治済(家斉の父)だった。影の大御所は他の御三卿も断絶させてそこに家斉の子を入れ、最終的には徳川家を一橋政権として日本の全てを支配しようとしていたのだった。
……という世界解釈の上に成り立っている時代小説です。たしかに史実をそう解釈するのもアリだな、と浅はかな私はつい思ってしまいます。特に、田沼意次を単純な悪者にするのが嫌いなひねくれ者にとって、田沼家を「被害者」とするストーリーラインはなかなか魅力的。(ついでですが、私は吉良上野介を「悪役」とする見方にも反対する立場です)
そういった時代、数年前に江戸で女がらみのしくじりをやらかして逐電していた刀研ぎ職人勝蔵が、上方での修行を終えて帰ってきました。迷惑をかけた人々にきちんとわびを入れ、また刀研ぎの仕事ぶりで名を上げていき、良いかみさんにも恵まれ、表面上は順風満帆と見える人生を送るのですが、実は……
一橋家と反一橋家の暗闘に巻き込まれた勝蔵が、その戦いの中で見つめる自分の心の中にとぐろを巻く闇の深さ……なんともすっきりしない終わり方の物語ですが、こんなタイトルが付いた物語ですから、すっきり爽やか、とはいかないですよねえ。
私が半村良を初めて読んだのは、『
石の血脈』(1971年)ですが、「伝奇SF」というジャンル名のインパクトやないようのおどろおどろしさよりも、純真な高校生にはあの中途半端なエロさがたまりませんでしたっけ。名前をカタカナにしたら「イーデス・ハンソン」になるのも不思議でしたが、1975年に『
雨やどり』で直木賞を取ったのはある種の衝撃でした。SF作家が直木賞を取って良いのか……
まあ、対象作品がSFではなかったからなんとか自分を納得させることができましたけど、やっぱりSFは日陰者でないといけませんよねえ(と、誰にともなくつぶやく)。
バイクで通勤中、空を鋭く切り裂く影を見ました。あのシルエットと飛び方は燕でしょう。そうか、もうそんな季節なんですね。見えたのは一羽だけで群は見えなかったので、先遣隊なのかもしれません(そもそも、じっと見ていたらバイクの運転が危ないのです)。あの小さい体で海を越えてやってくるとは、大したものです。どんなGPSが体内に仕込んであるのか知りませんけれど。
空は青く晴れ渡っていますが、見晴らしの良いところから見れば市の反対側が霞んでいます。「おお、春霞」と言いたいところですが、あの色合いはスモッグでしょう。もうすぐ黄砂もとんでくるでしょうか。おやおや、風情の欠片もない春の日です。
【ただいま読書中】
A.M.ハンスン著、喜多尾道冬・稲垣孝博 共訳、音楽之友社、昭和63年、2800円(税別)
「ウィーンと音楽」と言えば、ワルツや「会議は踊る」を私は思い出しますが、著者は19世紀初め、ナポレオン戦争から三月革命ころまでの約30年間にウィーンで栄えた文化を、音楽に注目して分析します。
ナポレオン戦争で貴族たちは破産したりして支配力を減じてしまい、そのかわりに台頭してきたのが中産階級です。劇場の運営は貴族に変わって実業家たちが行なうようになり、1920年頃からは中産階級の家庭ではピアノを買ったり音楽のレッスンを子どもに受けさせることが流行するようになりました。
そのあおりを食ったのがベートーヴェンです。ベートーヴェンは貴族を支持基盤として名声を得ていたのですが、その貴族たちが没落してしまったので困ってしまいました。1924年に彼が自主興行した演奏会は、準備段階からトラブル続きで演奏も不出来、結局彼が最初に期待したような収入は得られず、ベートーヴェンはそれ以来演奏会を開催しなくなりました。自分が時代に見捨てられたことがわかったのでしょう。
かわりにウィーンの人々の人気を博したのはパガニーニやヨハン・シュトラウスです。当時のポピュラー音楽、と言っても良いでしょう。でも観衆は移り気です。少しでも集客しようと、名人芸を誇ったり(幻想曲とその変奏をヴァイオリンのG線だけで弾いたり)子どもを使ったり(モーツァルトとその姉はそれらの一例にすぎないそうです)新しい楽器を開発したり(ペダルつきハープ、弁つきホルン、改良されたピアノ、など)と涙ぐましい努力が続けられます。(なんだか、現代でも似たことが起きているような気がします。はたして人は進歩しているのでしょうか?)
フランス革命やナポレオン戦争の余波が押し寄せ、産業革命は少しずつヨーロッパ大陸に波及し、「文化の中心」であるウィーンには外国人が流入し続けていました。そこで「活躍」したのが警察です。思想を統制し革命を起こさせないために、たとえば検閲や集会の制限を厳しく行ないます。しかし、音楽には検閲はなかなか難しく(歌詞やタイトルは制限できるでしょうけれど)、結局人々の鬱憤晴らしは制限が緩やかな音楽に向かいます。それが当時のウィーンで音楽文化が花開いた一つの原因であると著者は指摘します。ワルツ一つを踊るにも、なかなか深い理由があったんですね。そういえば当時の演奏会は観客の反応がずいぶん荒っぽく、時には暴動騒ぎも起きていたそうですが、これも庶民の鬱憤晴らしの一つだったのかもしれません。
そうそう、当時の舞踏会や演奏会の決算もこの本には載っているのですが、そこで目を引くのはロウソク代の多さです。下手すると支出項目のトップです。昔を描いた映画でロウソクがやたらと並んでいるシーンがありますが、あれは実はとんでもない贅沢だったんですね。
「モーツァルト!」という叫び声で幕が開いたのは映画の『
アマデウス』でしたっけ。この映画には、タイトルで思いっきり意表を突かれました。内容もなかなか楽しめましたけど。モーツァルト役の人が以前観た『
アニマル・ハウス』(だったと思います)にちょい役で出演していたのを劇場で思い出したときには、「をーをー、出世したもんだね」と一人笑いをこらえるのに忙しくて、きっと周りからは「なんでここで笑うんだ?」と不審がられたことでしょう。
同様に人名で遊んでくれたのが、劇団四季のミュージカル『ハンス』です。ハンスなんて名前の人はたくさんいるでしょうに『アンデルセン』ではなくて『ハンス』にしたらタイトルっぽくなるのが不思議です。特に印象に残ったナンバーはないのですが(作者の人にはごめんなさい)、童話の作者の人生は、人生であって童話ではない、という当たり前のことと、でもやっぱり夢は大切だよね、というこれまた当たり前のことを再確認しましたっけ。こんど観に行ったらまた別の感想を持つことができるのかなあ。
【ただいま読書中】
アンデルセン著、山室静訳、岩崎ちひろ画、童心社、昭和41年初版(昭和62年62刷)、850円
あるものとないもの。
タイトルとは違ってこの本には絵があります。消費税はこの時代にはなかったんですね。
内容については書く必要はないでしょう。空から眺めたいろんな人の人生の一コマを月が毎夜著者に語りそれを著者が書き留めた、という体裁の掌編集です。新潮だったかな、文庫本で出ているのも読んだことがありますが、あちらよりこちらの方が日本語が上手です。
「物語」とは、世界や人生の一部分に明るいスポットライトを浴びせて際だたせているもの、と表現することができるかもしれません。そうすれば皆がそこに注目しますから。
しかしこの本に登場する物語は違います。夜の闇の中、月の光だけが照らすことのできるかすかな物語……朝の光がかき消してしまう淡い色調の物語です。ヤマやオチや素晴らしい感動は期待しない方がよいです。刺激が欲しい人には無意味な本です。だけど、静かな心で読めば、その静かな表面に月光による光圧で少しずつ波紋が広がっていくでしょう。
もしできることなら、月光浴をしながら読めば良い本かもしれません。ちょっと人間の視力にはつらいかもしれませんが。
カラスの鳴き声で目が覚めました。外はまだ暗いのに、気の早い明け烏でしょうか。二声鳴いてはちょっと休みまた二声鳴く、と繰り返しています。場所はおそらく我が家の真ん前の電柱のてっぺん。以前から電柱の根元に糞のあとがありますが、犯人はお前だ、ですね。
そういえば、ここに引っ越してきた頃には春には雲雀の鳴き声が盛んに聞こえましたが、昨年からあまり聞きません。開発が進んで子育てをする場所がなくなってしまったのでしょうか。
「もうちょっと寝たかったなあ」とぶつぶつ言いながら起き出して出勤すると、こんどは遠くから「ホーホケキョ」。そうそう、目覚ましにするのならこんな鳴き声が私は好きです。「烏差別主義者」と誹られてもかまいません。鳥の鳴き声の好みを表明する権利を私は強く主張します。
【ただいま読書中】
坪井幸生著、荒木信子協力、草思社、2004年、1800円(税別)
大正2年に生まれた著者は、父親の事業の失敗から苦学して高校をやっと卒業し、運命に導かれるように京城帝国大学を受験します。
この大学には朝鮮全土から進学志望の英才が集まりますが、入試で東洋史ではなくて日本地理や日本史が出題された年度は合格者中の内地人(日本人)の割合が高まった、なんて、ちょっと悪い冗談のような気がします。で、著者はそこを総代で卒業して高等行政試験にも合格するのですが、これまたすごい。
そもそも大学生が当時の日本ではごくごく少数のエリートです。当時帝国大学は7つだけで、その中の京城帝国大学は文系理系各2クラスずつしかありません。で、その卒業生の中から志望者が東京で高等文官試験and/or司法試験を受験してさらに厳しく選別されるのですから、この試験を通過した人間は本当の意味でのエリートと呼ぶに価したでしょう。その名残は現在の「キャリア」と「ノン・キャリア」の差別に残っているようです。
著者は結局朝鮮の警察に配属され高級官僚への道を歩み始めます。キャリアの常であちこち配属されますが、主な仕事はソ連が国境を越えて浸透させるスパイの摘発でした。スパイ小説によく書かれているような活動を実際に体験していたわけです(この本に書かれていることは、フォーサイスやフリーマントルの小説とも重なっています)。ゾルゲ事件についての本(タイトルは失念)でも、暗号や無線を活用するゾルゲたちvs摘発しようとする警察の闘いが書かれていましたが、同じようなことが朝鮮でも行なわれていたんですね。ちなみに満州国では治安関係は警察ではなくて関東軍が直轄していたそうです。ソ連の圧力がそれだけ強かったということかも知れません。
日韓併合の経緯についてはややこしいですね。朝鮮内部は、親ソ派・親中国派・親日派・独立派と分裂しているし、日本だって一枚岩ではありません(日韓併合反対論者としては伊藤博文が有名ですね)。で、細々と活動をしていた共産党系のレジスタンス(朝鮮義勇隊)の生き残りは戦後金日成にあっさり粛正されてしまうし……まったく何が何やら。
そうそう、この本の中ではごく自然に「植民地」という言葉が使われています。「日韓『併合』なんだから対等だ。朝鮮は植民地ではない」という主張を所々で見ることがあるのですが、当時の日本人の感覚では朝鮮は植民地だったのでしょう(タテマエとしては「対等」合併した会社でも、合併後の内部では力関係で醜いことが……も良く聞きますし、耳に触りの良い言葉はあまり信用しない方が良いのかもしれません)。もっとも植民地の定義を「ある国が利益を得るために支配している他国または地域」としたら、少なくとも収入よりは日本の支出の方がはるかに大きくて「植民地」というよりも「経済的には失敗した植民地」になってしまうでしょうが……非・経済的な視点(政治や軍事)からは意味のある支配だったのでしょう。
そして八月一五日。前日に玉音放送の情報を得ていた著者は、混乱を少しでも押さえるためにあちこちに根回しをしますが、地区の軍司令部から防衛召集がかかったのには驚きます。そんなことをしたら暴動が起きるかもしれません。召集は軍の権限ですが朝鮮ではその実施事務は警察に委任されていたため、著者は召集にストップをかけます。日本人対朝鮮人だけではなくて朝鮮人同士にも対立と混乱が生じ流言飛語は横行し治安は悪化の一途です。少しでも治安を維持し混乱を鎮めようとして、不眠と疲労から著者は血の小便をするようになります。やっとの思いで残っていた日本民間人を送り出し最後に著者たちは「難民」の姿で引き揚げます(軍隊は民間人より早くさっさと引き揚げていました)。
日本人エリートで朝鮮警察官僚、という点でバイアスは相当かかっているでしょうが、それでもそのバイアス込みで貴重な「回想」だと思います。ただ、著書に登場する人達はもうずいぶん亡くなっています。もっと多角的に「時代の証言」を保存しておきたいものです。さりげなく触れられている朝鮮での日常生活も、たとえば著者の奥さんからは別の見方があったことでしょう。さらに、朝鮮の人達からはもっと違った日常生活が見えていたでしょう。そういったものも読んでみたいと思います。
……著者は終戦(敗戦)二ヶ月前に保安課から忠清北道警察部長に転出したため、捕まえて転向させた二重スパイたちの末路については「興味はあったがまったく関知しなかった」と書いています……これは本当なんでしょうか。いや、たしかに大混乱だっただろうし、38度線以北の情報は流れてこなかったでしょうけど、いろいろ伝聞情報はあったはず。何か「書けない事情」があるのではないかなあ。
夜明け前にポケベルが鳴って起こされました。呼び出しではなくて「電池が切れたよ電池が切れたよ」と騒いでいます。やれやれ、そんなことで叩き起こさないでよ。
このポケベルのボタン電池、なぜか深夜に切れることが異常に多いんです(一度頭にきて数えたことがあるのですが、3回に2回は睡眠中でした)。確率的には起きている間に電池が切れることが2/3以上あるべきじゃないかと思うんですけどねえ。マーフィーの法則かしら?
ちなみに今朝はカラスは騒ぎませんでした。
25年前、私が就職したときに手に入れたポケベルは現在の一般的な携帯電話よりも大きくて重くて、一晩充電して一日充電池が保つかどうか、という代物でした。腰が重かったなあ。レンタルの保証金は一万円か二万円でしたっけ。それにひきかえ現在のは、クレジットカード数枚を重ねた程度の大きさで軽いし電池も一ヶ月以上保つし液晶もついているし文明の進歩は実感できるのですが、電池切れだけはどうしようもありません。
そういえば精神障害の妄想の一つに「頭の中に電波が命令してきて支配される」というのがありますが、ポケベルや携帯に行動が支配されるのも文字通り「電波に支配されている」の一種でしょうか?
さらにそういえば、そういった電波妄想を持つ種類の人は、マルコーニ以前にはどんな妄想を持っていたんでしょう? その時代には電波という概念がないはずですから。
さらにさらに……将来頭にインプラントして電波を皆が直接受信している世界になったとしたら電波妄想はどんな形になるのでしょう? だって「頭で電波を受信している」はその世界では現実であって妄想ではないのですから。
【ただいま読書中】
ピーター・J・ボウラー著、岡嵜修訳、平凡社、1995年、3689円(税別)
ヴィクトリア時代の歴史観を扱ったTV番組「過去の発明」に製作協力をした著者は
「ヴィクトリア時代の人々は『現在』を説明するために自分たちにとって都合の良い『過去』を作り出した」という概念を発展させてこの本を著しました。
22日にここに書いた『
音楽都市ウィーン ──その黄金期の光と影──』には「18世紀は、世俗政権が教会から既得権益を取りあげたり制限を加えることに成功した世紀」とありました(19世紀になっても宗教色はまだ色濃く残ってはいましたが)。そして19世紀は、科学が発展し産業革命が進むことによって生活はどんどん改善され、人々は「自分たちは時代の黄金期にいる(黄金期に向かい続けている)」と自覚していました。つまり、19世紀のキーワードは「進歩」だったのです。そこで「進歩」をメインにすえたホイッグ史観が時代を支配します。「昨日よりは今日、今日よりは明日の方が良い。そのためには努力をし成長をし人類は進歩し続けるのだ!」です。
人は生物的な存在であると同時に社会的な存在です。また、ダーウィン以前にも進化論は議論されていました。したがって、人の生物的進化と社会的進化を「進歩」という観点から統一的に説明できる理論があれば非常に都合がよいことになります。
当時の人類学研究によって世界中に「野蛮人」が存在することがわかりましたが、ではなぜ彼らは野蛮人でヨーロッパ人は文明人になれたのか、それをきちんと説明できる理由が必要です。「環境」「人種による先天的な差」などが仮説として用いられましたが、ともかくヨーロッパ人は地球上では最も進歩している、は自明の理とされました。
ヨーロッパの伝統として古典教育が重要視されていたため、古代ギリシアや古代ローマは偉大な帝国とされていました。しかし、考古学によって過去はそれほど偉大ではないことがわかりました。たとえばシュリーマンが発掘したトロイアはホメロスが歌ったような巨大なものではなくてせいぜい3000人が立てこもれる程度の砦都市でした。すると、人類は過去から現在まで少しずつ進歩してきたと考えられます。考古学が先史時代まで「歴史」を拡張すると、そこは「原始人」の世界です。やはり「進歩」がキーワードのように見えます。
19世紀後半、ダーウィニズムが世界に拡がる過程で、「進化」を「進歩」と混同させる(あるいは勝手に誤解するに委せる)というテクニックが用いられました。ダーウィンの主張の骨子である唯物論的主張は隠蔽(無視)され、目的論的なところが強調されたのです。唯物論的な部分が「復活」するのは、20世紀半ばです。
言語学もやはりホイッグ史観の影響を受けていました。ただ「言語の変化」を「進歩」とするのはやはり無理だったようで、(私から見たら)奇妙な主張が横行しました。
「進歩」は魅力的な言葉です。ヴィクトリア時代人は「進歩」の観点から過去を眺め、自分たちに都合の良い証拠を集めそれによってさらに自分たちの考え方を「進歩」させていったのでした。……笑えませんね。21世紀の現代人も「進歩」の魔力にしばられているようなのですから。
ホイッグ史観は、個人の成長をアナロジーとして社会に適用しようとした試みのように見えます。しかし、人は永遠に成長し続けるわけではありません。成長し成熟したら次に訪れるのは衰えと死です。ホイッグ主義の人達もそれには困ったらしく、世代交代の概念をそこに持ち込みます。しかしそうすると「現在栄えている我々は将来衰退し他の人種に取って代わられる」ことを受け入れなければならなくなります。さあ、困りましたね。
丸山圭三郎は『
ソシュールを読む』か『
ソシュールの思想』のどちらかで「19世紀を20世紀に転換させた四人」として、ソシュール・マルクス・ニーチェ・フロイトを挙げました。私はこの四人の共通点として「『神』抜きで、人/社会/世界を説明したこと」を見ていましたが、もしかしたら「進歩主義抜きで」の方が良いかもしれません。特にソシュールの思想は後に構造主義を生むわけですから。あ、ニーチェの立場がちょっと微妙かな?
この四月から、高速道路でバイクの二人乗りが解禁されました。なんでも今までは「高速での二人乗りは危険だから禁止」だったんだそうですが……もちろん事故ったら一人ではなくて二人が死傷するわけですからたしかに一人のときよりは「危険」と言えなくもないのですが……でもその理屈は本当だったのでしょうか?
たとえば私が……
1)高速道路を走れるバイクを所有していて
2)たとえば家内と二人乗りで長距離ツーリングをしたいと思った
とします。(1も2も仮定の話ですけど) で、たとえば青森から下関まで本州縦断をしようとしたとして、高速道路を走るのと下の一般道を使うのと、事故を起こさずあるいは事故に遭わずに無事ゴールできるのはどちらの方が確率が高いでしょうか?
道路上の「危険」や「安全」が「無事目的地に到着する確率」を根底におくとしたら、私には、信号も踏切も歩行者も対向車も(原則として)存在しない高速道路の方がはるかに「安全」に思えるのです。下の国道四号〜一号〜二号を通してバイクで走るのはしんどいでっせ。若い頃、岡山〜栃木を高速を使わずにバイクで一泊二日で走りましたが、最後には死ぬかと思いましたもの。後日会津若松〜広島を高速を使って一日(13時間くらい)で走った時の方がはるかに楽でした。
【ただいま読書中】
『JAF Mate 2005年5月号』
社団法人日本自動車連盟(JAF)監修、(株)JAF Mate社、平成17年5月1日、90円
JAFに入会してもう四半世紀。飽きもせずに毎月この雑誌を読み続けています。でも、今回書誌情報を書こうとじっくり眺めて、初めて定価があることに気がつきました。いや、第三種郵便なんだから定価があるのは当然なんですけどね。
この雑誌で一番のお気に入りは「危険予知」のコーナーです。道路上のある状況が写真で示されてそこから数秒後に何が起きるかを考えるのですが……今月号の雨の高速道路は「正解」は出せましたが、よくこのタイミングで写真が撮れた、とそちらの方に感心しました。これ、実際に体験した人には簡単なクイズですが、写真を撮るのは大変ですよ。
JAFといったらロードサービスですが、最近ライバルも増えたようですね。私が入っている自動車の任意保険にもロードサービスがついていますし、昨年自動車用品店の会員になったら会員カードに1年間の無料ロードサービスもついていました(結局使いませんでしたからもう権利はなくなりましたけど)。
今年から二輪もロードサービスが受けられるようになって、ちょっと安心感が増しました。ただ、考えてみたら使ってないんですよね。サービスを使ったのは今までの人生で3回だけかな(うち2回はガソリン切れ……ああ、恥ずかしい)。まあ、保険だと思って会費は納め続けていますけど。
昨夜は、咳の連発で一度、くしゃみ連発で一度覚醒しました。頭の芯に鈍い痛みを感じるし(私は肩こりや頭痛には縁がない人間なので、これは珍事です)、どうも風邪をひいたようです。昨日は職場でA型インフルエンザが一人発生したそうですし(検査結果を聞いて本人はさっさと早退したので、あとから噂で聞かされました)、子どもの学校でもインフルエンザや風邪で先週はクラスの7〜8人が休んだそうですし、もしかしたらインフルエンザかもしれません。熱が出るようだったら検査に行かなくっちゃ。幸い今日は休日。ぐうたらと過ごすことにします。
【ただいま読書中】
吉川茂著、日経サイエンス社、1997年、2000円(税別)
戦前に「猫が弾いてもピアニストが弾いてもピアノは同じ音が出るか」という議論があったそうです。この本の冒頭に紹介されている兼常清佐(かねつねきよすけ)がピアニストにふっかけた議論だったのでしょうが……たしかに物理的にはピアノの音はハンマーが弦を叩くことで発生するので、何が鍵を押そうがハンマーも弦も関知したことではないでしょう……でも、ホロビッツとアシュケナージと私と猫が、同じフレーズ(猫と私が弾けるくらい簡単なもの)を弾いて四者が同じに聞こえるとは思えません。タッチが違いすぎます。
では、その「タッチ」とは何か、を科学的に追究しようとしたのがこの本の第1章です。ところが追究してもなかなか「タッチ」はその正体を見せません。
ピアノではなくてシンセサイザーだったら、先の4人(?)でそれほどの差は出ないだろうとは思います。鍵盤はただのスイッチとして扱えますから。それでも全く同一かどうかは実験してみないとわかりませんね。問題は鍵盤を弾ける猫が見つかるかどうかでしょう。
筆者は水中音響学が専門で、だから潜水艦に絡む音響の話が何回も出てきます。さらに、水中で楽器を鳴らす思考実験は目から鱗です。
尺八もたしなむそうで、だからでしょう、管楽器の章は本当に楽しそうに書いています。尺八ではピアノとは違って「タッチ」の問題は生じない理由とか「首振り三年」の科学的解釈とかには感心しました。しかし、クラリネットの中にはカオス的な音が存在している可能性があるとか、尺八やフルートではジェットの流れからどのように音が生まれているかの根本課題が未解決とか、なんだか面白そうな話が楽器には多いんですね。ただし、物理の専門用語がびしばし出てきてついていくのは大変です。
そして最終章。バイオリンで本来の開放弦の一オクターブ下の音を出す(つまり、バイオリンでビオラやチェロの音域の音が出せる)バイオリニストが登場して、科学がそのメカニズムを解明しようとする話も興味深いものです。弦のねじれが上手く生じるように弦の特定の場所を特定の力でボーイング(ボウイングと書く方が私にはしっくりくるのですが、この本の表記に従います)するとこの現象が生じるそうで……ギターだったらこの奏法は絶対無理ですね。どうしても低音が欲しかったら、十弦ギター(ナルシソ・イエペスが使ったことで有名)とかあるいはハープギターでしょうが、弦の数を増やして音域を広げるのは実用的だけど美しい手法とは言えませんし、ネックが太くなりすぎて見た目も美しくないんだよなあ(私の美的感覚限定)。ハーモニクス(倍音成分だけを響かせる)を駆使して上に音域を広げる手はありますが、これは音に力がないし……むう。
楽器には限界があるから、作曲家はその限界を念頭に置いてその楽器用の作曲や編曲をします。しかし科学的にその限界を拡張する手法が開発できたらまた新しい芸術が生まれるかもしれません。それを思うとなんだかわくわくします。
四月末だというのに、インフルエンザです。解熱剤と抗ウイルス薬使ってますがまだ熱は7度6分。頭が十分働きません。今朝職場に行ったら「さっさと帰れ」と言われました。私も普段は「職場に感染症が拡がったら困るから、さっさと帰れ」と言っていますから、逆らうわけにはいきません。
本を読んでも面白くありません。文章書いても……ちゃんと意味が通るものになっているかどうか自信がありません。困ったものです。と言いつつ、寝ているのも退屈なのでコンピュータに向かってこんなことを書いているとは……まったく私は困った野郎です。
【ただいま読書中】
ノルベルト・フォラツェン著、瀬木碧訳、草思社、2001年、1800円(税別)
著者はドイツのNGO緊急医師団〈カップ・アナムーア〉の一員として1999年に北朝鮮に入ります。そこで見たのは、とんでもない現実でした。
著者は医者ですが、北朝鮮自体を病人と見立てます。病人を治療するには正しい診断が必要です。正しい診断を得るためには病人について丁寧な観察と病人の背景も含めた理解が必要です。それができて初めて正しい診断が得られ有効な治療が計画できるのです。
著者は「医学援助」を錦の御旗として、監視と盗聴と行動制限の中でもできる限りあちこちに出かけようとします。
そこで見たのは……冬には室内外とも摂氏マイナス15度になるホテル・麻酔薬が足りないため麻酔無しで手術を受ける患者・フィルムはなくしょっちゅう停電するレントゲン室・どんな症状でもまずステロイドと抗生物質を複数つかう医療・ビール瓶で行なわれる点滴・援助されたが使えない薬の山(用法用量がハングルに翻訳されていない)・人力で砕いた石が敷き詰められた「高速道路」(だからパンクがとっても多い)・孤児院で、笑い声だけではなくて泣き声さえたてず黙ってうずくまり続けている幼い子どもたち……
ある日全身火傷患者への皮膚移植が行なわれました(これはけっこう日常的に行なわれているそうです)。病院の職員がためらいもなく列を作って自らの皮膚を提供している姿を見て、著者は同僚とその列に並びました。それが北朝鮮のマスコミに大々的に報道され、北朝鮮友好メダルを授与されます。このメダルを「葵の印籠」として使うことで、著者は以前より自由に人々の間に堂々と入っていくことができるようになりました。写真も「悲惨な実状を西欧で見せたらその分援助が多く得られる」と当局を説得することでけっこう自由に撮れるようになります(完全に自由に、ではありませんでしたけれど)。
そこで著者が出会ったのは、一見とっつきにくいが一度親しくなったら(外国人は敵だと公には教育されているのに)心暖かく相手をもてなそうとする市井の人々でした。文化は違っても同じ人間じゃないか、と著者は感じます。そこからぐるりと振り返ると、アジア人を見下した尊大で傲慢な西洋人の姿も著者には見え、ますますなんとかできないかと著者は北朝鮮にのめり込んでいきます。
著者が見た北朝鮮の症状は、絶望・恐怖・飢饉・停電・基本的な物資不足など。それに対する処方は、インフラ整備・物資(特に食料)の援助・教育(まず紙が必要)などですが、根本的には南北の再統一が必要と著者は考えます。そのためにはマスコミに実状を公開することが必要と、北朝鮮を訪れたドイツのマスコミを著者は当局が許可しなかったところへも案内します。それが北朝鮮当局の逆鱗に触れます(カップ・アナムーアへの寄付金は増えたのに)。活動は妨害され(地方に出られないように車が破壊されたり、通訳兼付き添い役が非協力的になったり)、とうとう2001年1月国外退去処分を受けます。
謎はいくつも残っています。やたらとしゃしゃり出てくる「水害対策委員会」とはどこの何者なのか、孤児が異常に多いのはなぜか、強制労働収容所の噂は本当なのか、国外退去後著者が述べた北朝鮮の実状が韓国マスコミには無視されたのはなぜか……これらについては続編に書かれるのでしょう。
そうそう、北朝鮮の人すべてが悲惨な状態ではありません。著者の目撃でも、週末になると北朝鮮では貴重なドル札を握りしめて中国に飛び免税店でたっぷり買い物をして北朝鮮に戻る人々で飛行機が一杯だそうです。私がTVニュースで見ていても、痩せた人々のパレードやマスゲームを満足そうに眺めているでっぷり太った人たちがいますね。支配者層は太っていて一般国民は栄養失調……そんな画面を一瞥しただけでこんな国は間違っている、と私は感じます。