2005年5月
熱は微熱になり、症状も軽くなりましたが、体が重くなりました。体が地球に半分くらいめり込んでいるような感じで、動きづらくてしかたありません。
まったく、光学顕微鏡でも見えないくらいの微生物に心身を支配されてると思うと、ちと腹が立ちます。いや、この発熱や痛みや憂鬱感は、ウイルスに対抗して体が分泌したインターフェロンの産物でしょうから(C型慢性肝炎の治療に使うインターフェロンで、インフルエンザ症状が出たり鬱になって自殺、という「副作用」は新聞にもでかでか出ていたからけっこう有名ですよね)、結局自分で自分を痛めつけている、とも言えるのですけどね。
【ただいま読書中】
ノルベルト・フォラツェン著、瀬木碧訳、草思社、2001年、1600円(税別)
昨日 の続編です。国外脱出後に著者が集めた情報、および、前書出版時にはまだ同僚が北朝鮮にいたためにその安全のために伏せていた事実、が書かれています。
……えっと、前書を読んでない人は、ここから下は読まない方が吉です。やはり、ものには順番がありますから。
今回は北朝鮮の民衆はあまり登場しません。そのかわり登場するのは、難民=北朝鮮から中国に逃れ最終的には韓国に亡命したいと願う人々です。北朝鮮当局に逮捕されることを怖れ中国当局の難民狩り(捕まれば北朝鮮に強制送還される)から逃げ回る彼らにインタビューした著者が聞かされたのは、強制収容所での強制労働・拷問・集団強姦・手術の練習台・殺人・暴行・公開処罰・飢餓・人肉食……
ところが、2001年の時点で、こういった話は(少なくとも韓国では)歓迎されません。なぜなら「偉大な政策(太陽政策)」の邪魔ですから。ただ、理由はそれだけでしょうか? 著者は「東方政策」(西ドイツの対東ドイツ政策)実行時ブラント首相の重要な助言者が実は東ドイツのスパイだったことを思い出します。そして、韓国の「日本の歴史教科書問題」も、韓国で感じた様々の不可解さと連動させて捉えます。
著者は、自分が強制収容所を目撃していないことを認めます。根拠は難民の話と著者が目撃あるいは治療した傷痕だけです。しかし、ユダヤ人収容所も最初はただの噂でした。「証拠がないから」と誰も行動を起こさず、連合軍が収容所で死体の山を発見して初めてそれは噂またはユダヤ人のプロパガンダから「現実」に昇格したのですが、それと同じことを再現してはならないと著者は主張します。それは著者がドイツ人で「強制収容所」に特に敏感に反応するせいかもしれませんが、本書に載っているとおりデビッド・ボウイが言ったように「私のふるさとは地球」なのですから、私にとっても完全な他人事と片づけるわけにはいかないようです。
しかし、世の中にはいろんな人がいます。中国の国境の町で「難民救済」を行なう「人道援助者」が実際にやっていたのは、北朝鮮に入って目をつけた人をこっそり越境させ、若い女性は売春宿に、少年は工場に売ることでした。人身売買の相場は数百ドルだそうです。まあ確かに北朝鮮の「可哀想な人」を「救い」出しているんだし、コストの回収はしなくちゃいけないでしょうけどね、人道を看板に掲げるのならその人道帳尻も合わせて欲しいなあ。
タイムの記者によると、著者は(良く言えば)人間的魅力があってどはずれてエネルギッシュな人だそうです。ということは、きっと敵も多いでしょう(おそらく味方の組織内にも)。「北朝鮮の病気を治すためにはこの国の政治を変えなければならない」とは医者のくせに外交官や政治家気取りかよ、という批判もあります。しかし、古代中国人曰く「下医は病を治す、中医は人を治す、上医は国を治す」。やり方が倫理的で結果がよければ、著者は上医です。
私は「歴史は過去の編集だ」と考えています。
唯識的に簡単に言うと、人は現実を自分の識でゆがめながら確認している、ことになります。超音波は聞かず可視光線以外の領域は見ず注視している部分以外は無視している上に、そうやって「現実」(の部分)を脳に取り込んだ後、その意味づけをする部分で今度は自分の偏見による色づけが加わります。
もともと現実世界はあまりに大きすぎて丸ごと取り込むことは人間には不可能でしょう。ですから、口にはいるように切り分け消化できるように加熱する、に相当する認識の手続きが必要なのです。当然、取り込んだものは「現実そのまま」ではありません。
現在目の前にある「現実」でさえ、認識の過程でそのように激しく変形しています。では、目の前にないもの、あるいは過去のものは、人はどのように認識するのでしょう。そこであてにできるのが記録です。しかしたとえば書かれた記録は、「過去」という現実の一部分だけを取りあげ、一つだけの視点から文字に記したものです。個々の記録を一々全部あたるのは大変です。そこでそういった膨大な記録の中から一部だけをセレクトして矛盾がないように並べたものが「歴史」です。
個人が現実を認識するところでまずフィルターがかかり、記録を作製するところで次のフィルター、そして様々な記録をまとめるところでもう一つ、都合三重に認識のフィルターがかかったものが「歴史」です(記録がない部分についての創造は論外とします。遺物については、認識と意味づけで二重のフィルターかな)。このフィルターをかける作業を私は「編集」と表現しても良いだろうと思っていますので冒頭の発言になるわけです。したがって、私の立場からは「過去を改変していない歴史は存在しない」ことになります。意図しようとするまいと。ただ、自分を取りまく世界に対する視野が広く自分の偏見に自覚的な人の記録または歴史は、後世の人から見たら利用価値の高い資料となるでしょう。
【ただいま読書中】
新潮社編、1997年、1700円(税別)
週間新潮掲載の「読切時代小説」95年8月〜96年7月分を再編集した本です。全16編ですが、聖徳太子の一族皆殺しのサイドストーリー(『夢殿王』小沢章友)、石川五右衛門のとんでもない実像(『秀吉の枕』竹山洋)、上杉謙信が「一生不犯」を誓った真の理由(『一生不犯異聞』小松重男)、会津白虎隊の自決現場に居合わせた農民(『飯盛山の盗賊』中村影彦)、藤原道長の病気をなんとかしようとする医者(『道長の甘き香り』篠田達明)、新撰組に別の角度から光を当てたら(『死に番』津本陽、『墨染』東郷隆)……など、着眼点もストーリー展開も一筋縄ではいかない傑作揃いです。
私は週刊誌は読まないのですが、こういった小説群が日常的に読めるのなら定期購買してもいいかな、と思ってしまいました。
難点は、これらの作品を愉しむためにはある程度歴史の知識が必要なことでしょう。いや、もちろん歴史の知識が全くない状態でもストーリーを愉しむことはできるでしょう。でも、作品の背後に歴史の厚みを感じることができるために、そして作者の掌に乗って心地よく「裏切られる」ためにも、各エピソードに関する一応の予備知識は持っておいた方が良いと思います。
逆にこれらの作品を出発点にして歴史に分け入る、という手もありますが、これだともしかしたら道に迷うかもしれません。ま、それはそれで一つの生き方ですけど。
三連休が始まりましたが、病み上がりでもあるしもともと何の予定も入れてなかったし、で家でごろごろしています。この三連休とお盆の三日間は珍しく仕事は無く丸々休めるのですが、実は年末年始にお仕事が入ることとバーターなのです。ま、仕方ないのですが。
で、録画したまま放置していたアニメ「キングゲイナー」を子どもたちとまとめて見ました。いやあ、作画のきれいさと色使いの鮮やかさと人間ドラマの面白さとサブキャラまできちんとそれぞれの人生を持っているキャラの作り込みと音楽の確かさと……要するに一級のお仕事です。ここまでレベルが高いと、少々の瑕疵は気になりません。重箱の隅をつつく暇がないのです。さすがに最後は「予定のエピソードをカットした?」「ちょっと風呂敷を広げすぎでは?」などと言いたくなりましたが、ちゃんと風呂敷はたたんでくれました。
さて、休みはあと二日。もう一回最初から見ようかな。それともゴジラの古いビデオテープでも発掘してみようかしら。
【ただいま読書中】
佐藤雅美著、文藝春秋、2004年、1600円(税別)
江戸時代の安楽椅子探偵もの兼人情話、といった趣の短編集です。
お役目をしくじって評定所留役をやめ現在は大番屋(現在の代用監獄ではなくて本来の意味での留置場にあたる施設)の元締めという閑職に就いている拝郷鏡三郎が、毎日持ち込まれる相談事の数々を鮮やかにさばく……のではなくて、ああでもないこうでもないと知恵を絞って、配下や知人にその線を探らせると意外な真相が、という物語群です。
高価な釣り竿をしっかり握りしめた土左衛門を釣り上げた人が釣り竿だけ頂いてしまったら、という変なオープニングから、目立たない人物造形のはずだったのにいつの間にか妙に存在感が増してしまった主人公の娘婿の話まで、バラエティに富んでいます。気楽に江戸時代が楽しめると言えるでしょう。
参考図書も著者は色々読まれたらしく江戸時代の風俗について細かく書き込んであって面白いのですが、敬語が変だったり(食事は「いただかれる」ではなくて「召し上がる」でしょう)庶民が小判を使ってそのへんの店で買い物をしていたり(市井の店で小判にお釣りがあるとは思えませんし、そもそもまず庶民用の両替商を使うはず)隠居が職に就いていたりと、ちょっと変なところも目につきます。本当に些細なことなんですけどね、せっかく読者を「騙す」ために世界を構築してこちらも気持ちよく「騙される」つもりで読んでいるのに、惜しいなあ。興醒め、とまで強く言う気はありませんけどねえ。
マーガリンの蓋を見たら、以前はでかでかと書いてあった「植物油100%」の文字列表示がずいぶん小さくなっているのに気がつきました。よくよく見たら「(原料油脂中)」がその下部にさらに小さい文字で書かれています。
で、原材料名の表示をじっくりながめると……「粉乳」を発見。これは牛乳のことですよね。おそらくバターの風味をつけるために添加されているのでしょう。
もちろん詐称ではありません。「使った油は100%植物性」で、ただ工場でそのあといろいろ添加しただけでしょうから。
だけどたとえばそそっかしい親が「子どもが牛乳アレルギーだけど、食べさせて大丈夫なものはないかしら。あ、『植物油100%』だったら大丈夫よね」とこのマーガリンを買ったら、食べた子どもはしっかりアレルギー症状が出るでしょう。アレルギーの場合食べた量よりも食べたか食べないかの方が重要な問題ですから。
こういった表示には法律か行政指導での厳しい制限があるはずですから、このメーカーがやっていることは違法ではないはずです。そして親には注意義務があるでしょう。だけど人間はミスをする動物です。できることならこういった表示、ミスを増やす方向にではなくて減らす方向に使えませんか? それが上手くできたメーカーは「我々は消費者一人一人を大事にしています」とアピールができて、結局お得だと思うんですけど。
【ただいま読書中】
佐々木稔編、吉川弘文館、2003年、7500円(税別)
「1543年中国船でポルトガル人が種子島に漂着、火縄銃をもたらした。刀鍛冶の技術によって直ちに国内生産が始まり、戦国の世に変革をもたらした」と私は日本史で習った覚えがあります。それは本当に本当か?と、理工系と歴史系の研究者が数年にわたって共同研究した結果です。
〔伝播〕後期倭寇(実際は中国人の密貿易者)は東アジアから東南アジアまで貿易ネットワークを作っていました。それはインド洋のイスラム貿易ネットワークと接続しており結果としてヨーロッパにまでつながっていました。種子島は、後期倭寇が行き来する経路であると同時に琉球国の貿易路でもあり、一種の貿易中継基地の役目でした。つまり、ポルトガル人が種子島に「漂着」したのは、ただの偶然ではなさそうです。
また、当時の倭寇の船には、海賊対策として数丁の火縄銃が搭載されていることが一般的でした。つまり、ポルトガル人来航前には日本人は火縄銃の存在を知らなかった、というのは無理がありそうです。
当時の火縄銃は、形式からヨーロッパ型(銃床が肩づけ式=現在の小銃のと同じようなもの)と東南アジア型(銃床が頬づけ式=手で握る程度の大きさ)に大別されますが、日本のいわゆる「種子島」タイプの火縄銃は東南アジア型です。
〔生産〕製品を輸入するのではなくて国内生産するためには、原材料の入手と生産システムの構築が必要です。
ちなみに、火縄銃を完成するためには以下の材料が必要です。
鉄:日本刀とは違ったタイプの鋼が必要です。
鉛:弾の材料です。平安時代以降国内生産はなく、16世紀末に生産が再開されました。(銭などの同位体検査の結果だそうです。銅山や銀山ではよく鉛が同時に出るので、そちらを用いたと私は考えていたのですが、どうも最初は輸入するしかなかったようです)
真鍮:発射装置のバネの材料。当時の日本では銅は輸出できるほど産出しましたが亜鉛はほとんどありませんでした。そのため、輸入に頼りました。銅と亜鉛の合金にするのは現在でもけっこう難しい技術ですので完成品の輸入だったと考えられます。ちなみに戦国時代には真鍮は刀の鍔の象眼などに使われ、金や銀と並ぶ貴金属扱いでした。
綿:火縄の材料です。
黒色火薬:特に硝石は輸入が必要でしたが、明では禁輸品でした。正確な調合比、およびそのノウハウ(特に湿気対策)という知識も重要です。
以上の材料を眺めてみて「輸入品だらけじゃないか」と感じます。ただ、前述しましたが、種子島は貿易の中継基地です。輸入に頼ること自体はそれほど問題ありません。
そうそう、「漂着した船に、偶然技術者が乗っていた」のも不思議です。むしろ、最初から技術を伝えるために乗船していた、と考える方が無理がありません。種子島氏から技術導入の申し入れがあってそれに応える人がいた、ということでしょう。
そして種子島には各地の技術者が集結、数年後には日本各地で鉄砲製作が始まります。ということは、話の始めに日本各地に「パトロン」がいて、種子島(日本)への技術導入を支援した、ということかもしれません。
火縄銃の伝来は、戦法に影響を与えただけではなく、日本社会そのものにも影響を与えたことでしょう。たとえば、鉛や硝石の生産が始まりました。鉛は銭の材料にもなります。そして流通。いくら作っても製品として流通するシステムがなければ、売れません。残念ながら本書には触れられていませんが、火縄銃は日本の商業システムにも大きな影響を与えているはずです。
そうそう、面白いことも紹介されています。鉄砲足軽への号令は「構え」「撃て」で「狙え」がありません。さて、それはなぜでしょう? 回答は「命中率が低かったから」(狙っても意味がない)。銃の口径ぴったりの弾を使えば命中率は高かったのですが、実戦・乱戦では弾ごめに時間がかかったりトラブルが生じるのは文字通り致命的です。ですから普通は銃の口径より小さめの弾が用いられました。これだとすっと銃口から中に入りますから。しかし中でがたつく分、銃から飛び出した後どこに行くかは弾にしかわからなかったのです。
4日−2 ナルニア国物語
今日の新聞のど真ん中、見開き全面を使って
ナルニア国物語(ライオンと魔女) の宣伝が載っています。よくよく見ると、予告編の予告です。明後日TVで、8日にYahooで、そして劇場版は28日から。これを見て劇場に予告編を見に行こうと思う人は……いるかもしれませんね。
で、肝腎の映画の公開は、今年の12月で日本は来年の3月ですか。ディズニーもリキが入っているなあとは思いますが、大丈夫かなとちと不安にも思います。ま、現物を見るまであれこれ考えるのはやめておきます(とりあえず観に行くことは確定)。
もしかして、予告編だけでも商売になりませんかね。「
ニュー・シネマ・パラダイス 」のキスシーンだけ集めたフィルムみたいに、いろんな映画の予告編だけ集めて一挙上映するのです。懐かしい映画のだったら、ちょっと観たいと思いませんか?
昨日映画についてちらっと書いたので、今日はさっさと読書日記を始めます。
【ただいま読書中】
小此木敬吾著、彩樹社、1992年、2330円(税別)
60本以上のいろいろな映画を狂言回しに使って、精神分析用語の解説をし、また精神分析の観点から映画の解釈をした本です。
「
禁じられた遊び 」でのお葬式ごっこは、対象喪失とモーニングワーク(喪の仕事)とされます。殺された愛犬や両親のお葬式を、遊びに替えて繰り返し続けていたわけ。
「
風とともに去りぬ 」。スカーレットは、アシュレーがメラニーと結婚したとき一度外的な対象喪失を経験しています。そしてメラニーが死んだときアシュレーの心はやはり自分にはないことを知って内的な対象喪失を体験します。その姿を見てバトラーは自分の妻が愛しているのはアシュレーであることを知り内的な対象喪失を体験します。バトラーが離婚を決意したためスカーレットは夫も失う対象喪失です。つまり、ここで全員が対象喪失の体験をするわけです(アシュレーは妻を失っている)。そしてラスト、喪失と再起のダイナミズムがこの映画の感動を呼ぶのですが……
「
ホテル・ニューハンプシャー 」では、同性愛・近親姦・レイプされた過去・自殺などが「明るく」描かれます。それはフロイトが言う「抑圧と断念」に対する原作者アーヴィングの「挑戦」と著者は捉えます。
「
イヴの総て 」は中年の大スターの座を若い女性が乗っ取る映画ですが、若い立場と中年の立場で違った見方ができる、と述べた後、ジェネラティビティ(世代性)について解説します。若いときは目上にエディプス心理を向けていた人が、親や上司になって若い世代を教え導く立場になっても、急に心の転換を図ることは難しいことです。しかも今度は若い世代からエディプス心理を向けられます。ここを越えて次のジェネレーションをつくり育てる心(ジェネラティビティ)の段階に成熟できるためには、若い世代への羨望を乗り越えることが必要、だそうです。(M.クラインの「親らしさ」の定義は「息子・娘の成功を妬まない(羨望を向けない)」だそうです)
……年齢に関係なく、「羨望」を人生の原動力にするのはやめた方が良いと私は感じます。まるっきり羨望無し、というのも不自然でしょうから、「人生のスパイス」くらいにしておくのが、心の健康には良いんじゃないかしら。
そういえば、広島大学の心理学の講義で映画を教材に使っていると聞いたことがあります。どんな授業か、ちょっと受けてみたい気分です。
今日は新聞の休刊日。読むものが減って困っています。
しかし、新聞の休刊日、どうして休日の翌日なんでしょう? もし休刊日の目的が販売店に休みを与えるためだったら、休日に休刊にした方が喜ばれるでしょうに。こちらは休日に読むものが減って困りますが、偶にだったらかまいません。
そういえば休みに休めない人……警察官・消防士・商業施設の職員・電車やバスの運転士や駅員・酪農家……皆様に最敬礼です。
【ただいま読書中】
橋本治著、角川書店、平成六年、1165円(税別)
橋本治は一筋縄ではいきません。軽い文体でやたらと饒舌に細部に拘り続けるように見えて、実は重たいテーマが見え隠れする。どこかの対談で「一つのテーマについては一冊で書き尽くすから、二度とそれには触れたくない」といった意味のことを語っていて、フットワークが軽いのか重いのかわからない人だ、と思いましたっけ。ともかく頭が良くて自分が知っていることを知らない人に伝えるための努力を惜しまない人だ、と私は感じています。
私は著者のファンではありませんし、本も数冊しか読んでいませんが、20年くらい前に重大な影響を受けています。え〜っと、本棚のどこかにその本があるはずなんだけど、ちょっと探してみようかな、季節はずれですけど。
で、『生きる歓び』です。全九編の短編集ですが、そのタイトルを並べると……
にしん/みかん/あんぱん/いんかん/どかん/にんじん/きりん/みしん/ひまん
……ふざけてる?
中身は、「何をしたらいいかわからない」「自分がナニモノかがわからない」「他人とどう接したらいいのかわからない」「自分が生きていることの意味が見えない」といった人々を主人公にして橋本治流のぐじゃぐじゃした記述で話は進みます(あるいは進みません)。
たとえば「あんぱん」。70歳の女性が、腰痛で鍼灸院を訪れた帰りに、あんぱんを一個買って、ベンチで割って食べます。行儀良く半分に割って食べ、残りをさらに半分に割ってぱくり。残った四分の一をじっと見つめます。これだけのお話です。本当です。ただ、まるで煙幕のように、彼女の人生に関する細かい記述が次々繰り出されます。
あんぱんが人生の象徴、と気づいて私は「やられた」とつぶやきました。彼女の人生の大きな節目は(明記されていませんが)思春期、更年期、そして老化を意識する現在のようです。更年期までが人生の(そしてあんぱんの)半分、残りのさらに半分が更年期から現在まで。その途中で塩漬けの桜は食べてしまいましたが、それでもまだ彼女の手には四分の一個のあんぱんがぬくもりを保ったまま残されているのです。
私は勉強が好きだったから25歳まで子どもと学生をやってました。そしてそれから25年社会人をやってました。それぞれがあんぱん四分の一個分だとすると(なるべく少な目であることを願います)、私の手にもまだ温かみを残したあんぱんが半分残っているはずです。桜の花が付いているかどうかは見えませんが。
子ども時代にはけっこう家の手伝いで忙しい思いをしました。留守番も立派なお手伝いでしたが小さいときにはこれは寂しかったなあ。お使いで瓶をぶら下げて醤油を買いに行ったり紙袋に入った卵を落とさないようにドキドキしながら持って帰った思い出もあります。楽しかったのは、障子の張り替え。普段は禁じられている障子破りをこの日だけは盛大にできます。逆に退屈だったのは、毛糸のカセをほどいて球に巻く作業の手伝いです。カセを両手にかけて捧げ持つ恰好になるのですが手は疲れるしもう退屈で退屈で、でも相手に合わせて手を上げたり下げたりしなくちゃいけないけどなかなか思う角度にならないので母親が焦れて、数年後にはカセをかける器具(こうもり傘の布を取って骨を二重にしたようなもので、卓袱台に固定して毛糸をセットしてくるくる回す)を買ってくれたのでこの作業からは解放されました。今は毛糸はほとんど玉で売られていますから、あんな思いをする子どもはほとんどいないでしょうね。逆に、稀にみるカセ、あれは皆さんどう処理しているんでしょう? 自分の膝にかけて巻きとっている?
ということで、めでたく話は毛糸に持って来れましたし、昨日から探していた橋本治の本も見つかりましたので……
【ただいま読書中】
橋本治著、河出書房新社、1983年、880円
はい、手編みセーターの本です。セーターなんぞ編んだこともない人間に、毛糸の買い方から始めて編み込みセーターを完成させるまでちゃんと導いてしまおうという、とんでもない本です。で、ちゃんとその目論見は成功しています。少なくとも私はこの本を参照しながら編み込みセーターを数着完成させましたから。
まずは買い物です。どこに行って何を買うか、店の人とどのようなやり取りをするかまで懇切丁寧にガイドされます。
道具は最低限揃いました。ではさっそく編み始めます。20目×20段、詳しく図示されているとおり棒針を動かしてとにかくちくちく編みます。編んだらメジャーを出してサイズを測ります。一目の縦横がわかります(実際には10目10段の大きさを測ってそれを10で割ります)。それが「私のゲージ」です。そのサイズで方眼紙を作ります。大きな紙に縦横の目の大きさ毎に平行線を引いて、そこに編みたいセーターの実物大の外枠を書き(今自分が着ている服のサイズをそのまま使え、というアドバイスがあります)、一目ずつ自分が編み込みたい模様を塗りつぶします。あとはその設計図に従って編み始めるだけです。
私は方眼紙を作るのが面倒だったので(製図板もありませんでしたし)、近所の文房具屋で入手できる既製の1ミリ方眼紙で最大サイズ(模造紙の半分くらいの大きさでした)を買ってきて、そこに自分の目のサイズの線を引いて設計図を書きました。慣れたら5ミリ方眼紙をそのまま使いました。正方形の方眼だとセーターの縦横は歪みますが、要するに段と目数がわかればいいのですから。
で、橋本治にリモコンされるように極太毛糸をざっくりざっくり編んでいたら、あっさりセーターができちゃいました。初級編では編み込みは書いてなかったのですが、上級編をカンニングして自分の名前のイニシャルを前身頃に編み込んだ、自分専用のセーターです(ゴム編みは伸びているし襟はぼろぼろでしたけど)。
著者は「男の服装は、二種類しかない」と断言します。普段している服装と「あれだけはできないな」という服装と。で、自分で編んだ下手くそなセーターは「三番目の服装」なんだそうです。そこから、導き出される結論は「社会性のない男って、ゴミだもん」。A4判四段組で2ページ丸々使ってぐちゃぐちゃ書いてあることを簡単に要約はできません。ま、そういうことです。
で、編めるようになったら、次は上手に編むこととデザインです。上手になるためには数をこなせと、読者は突き放されます。デザインの所で著者は「自由にデザインすれば良いんです」と突き放します。突き放してばかりだと拙いとさすがに思ったのか、「自由」に関連して著者は人間を以下の四種に分類します。
1)内部に蓄積もあり、外部ともうまくやってこれた人間
2)外部とうまくやれなかったために、内部の蓄積だけが重くなってしまった人間
3)内部になんの蓄積もないものだから、外部とは平気でうまくやれてきたと思っていられる人間
4)外部とのイザコザに疲れ切って、内部の蓄積にまでとても手の回らなかった人間
あと、その裏返しの表現で5)〜8)が書かれます。
……これは手編みセーターの本ですか? はい、橋本治の本です。
そして最後の超弩級編。中細1本取りで33色の編み込みを1号棒針でちくちくやって、ジュリーのポスターをそのままセーターに編み込んでしまっています。編み物やった人だとわかると思いますが、はっきり言って非常識な作品です。素人でも写真を見たら驚きます。
ここ十数年、編み棒に触っていないけれど、この本をめくっていたら久しぶりに編みたくなってきました。編みたいテーマはあります。「冬に着る春」。さて、デザインからゆっくり練り始めましょう(と書いたら有言実行でやらなきゃいけませんね。困った困った。どうやって時間をひねり出すんだ?)。
「今日は母の日だね」と家内に言ったら「私はあなたのお母さんではありません」と返されてしまいました。はい、仰るとおりです。つまりは「自分の親に対して何かしなさい」と言われたわけなのですが……さて、どうしましょう。
【ただいま読書中】
トレイシー・シュヴァリエ著、木下哲夫訳、白水社、2000年、2200円(税別)
最近映画化された本ですが、私は予告編は観たけれど映画本編は観ていないので先入観無しで読み始めることができました。
フェルメールの有名な絵「真珠の耳飾りの少女」は、呼びかけられて振り返ったような恰好をしている少女の肖像画です。頭には青と黄色のターバンのような布を巻きつけ、黄色っぽい上着で、身分はよくわかりません。大きく見開かれた目と半開きの唇が生き生きとした表情を作っていますが、画面中央で絵を見る人の視線を引きつけるのは、左耳からぶら下がる黒光りする真珠の耳飾りです。明るく光に照らされた顔の影に沈んだ真珠は、ひっそりとしかし力強く何かを語っているようです。
著者はこの絵に圧縮された長い長い物語を読み解き、それを読者のためにゆるゆると語ってくれます。まるで絵の少女が語ってくれているように。
音や色彩に関して鋭敏な感覚を持ち観察力と洞察力が優れている、でも自分の感情を隠すことが下手な16歳の少女、フリートが主人公です。腕の良いタイル職人の父親が窯の爆発事故で失明したため、家計を助けるために有名な画家フェルメール家に住み込みの女中として奉公に出るところから話は始まります。フリートはプロテスタントですがフェルメール家はカソリック。厳しくて公正なようだが特定の身内には甘い大奥様。ヒステリックで見栄っ張りな若奥様。扱いづらい子どもたち。段取りが悪くて自己中心的な先輩の女中。女中に手を出したがるフェルメールのパトロン。
つらい環境です。でも、人を見る目と対人関係に関する深い洞察力と勤勉で、フリートはフェルメール家での居場所を獲得します。ただ、彼女が「読」めないのが、旦那様であるフェルメールです。寡黙で何を考えているのか、家族にも心の内を容易に見せない男が描く素晴らしい絵は、フリートを少しずつ彼の世界に惹きつけます。
フリートのセンスの良さと器用さを見抜いたフェルメールは、それまで誰にも許さなかった絵の手伝い(顔料の買い出しや絵の具の調合)を彼女にまかせるようになり、そして「画家の見方」も教えます。ちょっと引用します。
(引用ここから)
「あの雲は何色だろう?」
「まあ、白でございます」
心持ち眉がもち上がる。「そうかね?」
もう一度ちらりと見た。「それから灰色でしょうか。雪になるのかもしれません」
「いいかねフリートや。お前ならもう少し何とかなるはずだよ。あの野菜を思い出してごらん」
……中略……
「その通りだ。さあ、雲にはどんな色が見えるかね?」
「少し青いところがございます」数分じっくり見てから答えた。「それから……黄色も。緑も見えます!」あんまり興奮したので、指差してしまった。雲なら生まれたときからずっと見てきたはずなのに、そのとき初めて雲を見たような気がした。
(引用ここまで)
現代の通俗小説なら、ここで身分違いの恋が始まったりするのでしょう。しかし17世紀のオランダで、女中と画家である主人との間に普通の愛情関係は期待できません。身分の壁は私たちの想像以上に大きいのです。しかし芸術の女神はその独特のやり方で二人を結びつけたように私には見えます。人間の目には二人は結ばれたようには見えませんが、画家が一般人とは違ったやり方で世界を眺めるように、女神も人間とは違ったやり方で人間とその世界を眺めているんです、きっと。
私たちが一枚の絵を通してそれを描いた画家が世界をどのように見ているかの見方の片鱗を知ることができるのと同様に、私たちは自らが産み出す芸術を通して自分たちが何者であるかを知ることができる、こともあるのでしょう。だからこそ歴史上人の文明には常に芸術が寄り添っているのです(断言しちゃいます)。それはつまり、芸術が人間を見つめて評価している、と言い換えることも可能です。私たちは結局自分にふさわしいものしか持てないのですから。
一雨毎に草が元気に伸び、名もない花があちこちに咲いています。
「名もない草花」とは、つまりは「私が知らない草花」です。本当に名がないのでしたらそれは新種ですから学会報告もの。
で、白状しますが、私は本当に草花の名前を知りません。記憶装置に欠陥があるらしく、全然覚えられない、以前に、覚える気力が湧かないのです。
原因は大体見当がつきます。小学校1年生のとき教師に「この花もこの球根もわからないのか」と皆の前で馬鹿にされて「だって初めて見たんだもの」という一言が言えずにうつむいていたのですが、どうもその時脳のどこかに秘密のロックがかかってしまったらしいのです。だからと言って、学校がいやになるとか勉強が嫌いになるということにはならなかったのは我ながら不思議ですけど、ともかく以後草花関係はとことん駄目です(他にも駄目な分野は色々あるのですが、そちらは当面内緒)。
ともあれ、個人的な教訓。子どもに関して公然と否定的な論評をする場合、その言動が一生にわたって影響を残すかもしれないということは念頭に置いておきましょう。草花の名前くらいだったら、命に関わるような大した問題では(たぶん)ありませんけど。
【ただいま読書中】
サイモン・ウィンチェスター著、野中邦子訳、早川書房、2004年、2600円(税別)
ウィリアム・スミスが生まれた1769年は、キリスト教徒にとってはこの世が創造されてから5772年後でした。聖書を信じる人には、紀元前4004年が世界創造の年でありそれ以前に地球(を含む全宇宙)は存在していなかったのです。
長じたスミスは測量技師となり、炭坑で地層の規則性と(造山運動による)不規則性に目を留めます。さらにスミスは似た岩石層でもそこに含まれる化石によって地層の同定ができることに気がつきます。それはそれまで誰も気がつかなかったことでした。当時は大量輸送の時代が始まったばかりで、特に石炭を大量に運ぶために運河網がイギリスに張り巡らされようとしていました。スミスは運河の測量もまかされますが、それは地下の地層が地表のどこにどのように現れるのかを確認する作業でもありました。つまりは、趣味と実益の一致ですな。スミスは地表に現れた地層の違いによって地表の風景に大きな違いが生じることも指摘しますが、それはそれまで誰もが目にしていながら気がつかなかったことでした。
はじめは小さな地域、それからイギリス全国をこつこつと調査して「地下の地図」をスミスはほぼ独力で作り始めます。それは科学的に地球の来歴を明かそうとする地質学の始まりでした。最終的にそれは「地球の年齢」を約6000年から何億年以上に延長させた偉業だったのです。本来なら名声(と富)が得られても良いでしょう。ところがスミスが得たのは、調査法や業績の剽窃や盗用と貧困でした。地質学会はスミスの入会を拒絶し、それどころかスミスの地図を下敷きにもっと安い地図を作って売り出したのです。それはヨーマン出身のスミスに対する上流階級の情けない妨害行為でした。
1819年、スミスは破産し債務者監獄に収監されます。監獄は私立ですから経費は自分持ちで、金がない人は監獄の前を通行する人に金をめぐんでくれと請うしかありませんでした。破産者を収監してしまったら金策ができなくなりますから債権者はかえって困るのではないかとも思いますが、当時はそういう習慣だったのです。ただ、皮肉なことにまさにその頃時代の風潮は変わり始めていました。家柄が良いだけの人間のかわりに、きちんと教育を受けた人が学会に入りはじめ、階級ではなくて科学の業績によって物事を判断し始めたのです。すなわち、スミスの再評価です。1831年、ウィラストン・メダル(地質学でのノーベル賞にあたる賞)の第一回受賞者は、ウィリアム・スミスでした。快適なサロンにこもって知的なおしゃべりに興じるだけの「科学者」ではなくて、実際のフィールドで泥まみれになって資料を集め理論を立てた人が「イギリス地質学の父」と呼ばれるようになったのです。それは同時に、ダーウィンが登場するための舞台が整えられたことも意味していました。
17世紀に血液循環説で医学を変革したウィリアム・ハーヴィは、功成り名を遂げた後に清教徒革命に巻き込まれ、パトロンである王を失い自身の研究室もこつこつ蓄積した研究結果もすべて破壊され失意の老後を過ごしました。それにひきかえ、スミスの老後はおおむね満ち足りたものだったのには、ほっとします。しかし、この二人のウィリアムのように、科学の世界で時代を変革させる大きな業績を上げた人が必ずしも正当に評価されない(どころか、迫害されることもある)のには、ちょっとがっかりもします。
私が小学生のときは、朝起きたら顔を洗って歯を磨いて朝ご飯、というのがお決まりでした。ところがしばらく経つと「せっかく歯をきれいにしたのにすぐご飯を食べたら歯が汚れるじゃないか」と、夜寝る前に歯を磨こう、ということになりました。その頃の磨き方はローリング法。歯磨き粉はたっぷり使うのが普通でした。
さらに時が経つと、三食後必ず磨こう、いや一日一回きちんと磨けばあとの食後は軽くてかまわない、ローリング法よりもバス方が良い、いやスクラッピング法だ、とついていくのが大変なくらい世の趨勢はころころ変わりました。歯磨き粉も、少しでよい、いや不必要、いや汚れの再付着を防ぐためにはやはり使った方がよい、とこれも言うことがころころ。
用具も、電動歯ブラシ・歯間ブラシ・デンタルフロスと、普通の人間にここまで使いこなせるのか、と言いたくなる豪華なラインナップです。房楊子一本で済ませていた江戸時代の人間がうらやましいかも。
ちなみに私は現在、歯間ブラシを使った後、景品でもらった電動歯ブラシ(先に小さく丸く植毛されたタイプ……掃除機のアタッチメントで似た形のがあるような……)ですが、ついつい押しつけすぎてしまいます。もっと軽くお掃除すればいいんですけどね。きれいにしようとして歯の表面と歯茎をすり減らしたのでは、意味がありませんから。
そういえば、私が幼稚園や小学校のときに「帰ったら、うがいと手洗い」というのもよく言われましたっけ。しかし、衛生学的に正しいやり方を教わった覚えはありません(きちんと子ども時代に教わった人はどのくらいいるでしょう?)。するとあのスローガンは科学や衛生学ではなくてただの精神論?
【ただいま読書中】
夢枕獏著、徳間書店、2004年、1800円(税別)
私、前巻の感想で嘘を書いちゃいました。敵ボスの名前がわかった、と書きましたが、実は……おっとっと、ネタばれになっちゃうから自粛自粛。ストーリーについては一切触れませんぞ。しかし、執念とか妄念とか簡単に言いますが、「簡単に口には出せない。でも、これを心に抱いたままでは、死ぬに死ねない」という思いとは、どのくらい重いものなんでしょう? 複数の人がそういった思いを抱える事件とは、一体どんな重い事件なのでしょう。
そしてラスト。曹操と項羽の詩が並んで登場して、そして長恨歌がどどーんと。いやあ、良いムードです。著者の文章にやたらと改行が多くてページがすかすかして見えるのは、この詩と本全体の雰囲気とを合わせるために余白を強調するためだったのか、なんて余計なことまで考えてしまいました(たぶん違いますけど)。
あとがきで笑っちゃいました。「ああ、なんというど傑作を書いてしまったのだろう」 ……自分で言いますか? いえ、反論する気はありません。まあ「ど傑作」と言うよりはただの「傑作」で十分だとは思いますけど、これは言葉尻の問題です。
18年かけて、掲載雑誌を4つわたり歩き、単行本化は完結するまでじっとがまんして……いや、著者はよく頑張ってくれました。最初の掲載紙が死んだ時点で未完にするのは簡単な選択だったでしょうけれど、そんなことをされたら読者がそれこそ死ぬに死ねない思いを抱えることになってしまいます(ちょっとオーバーかな)。ただ、掲載途中で見失った読者もいるでしょうし(私は雑誌3つ目でロストしました)、完結を見届けずに亡くなった読者もけっこういるんじゃないでしょうか。そういった点でこの作品は、生まれる過程そのものも一つのドラマ、と言えるかもしれません(やっぱりちょっとオーバーかな)。
少し元気
【ただいま読書中】
森達也、新潮社、2004年、1600円(税別)
1949年(昭和24年)夏、国鉄に関係した三つの大事件が立て続けに起きました。初代国鉄総裁下山定則が常磐線の線路上で礫死体で発見された下山事件・車庫にあった無人電車が突然暴走して運送店に突っ込み多数の死傷者を出した三鷹事件・線路が破壊されたため列車が転覆して多数の死傷者を出した松川事件。1949年は、GHQがそれまでの過激とも言える左派重視の方針を変更して、ドッジラインによって公務員の大量解雇を強行した年です。下山が行方不明になり死体で発見されたのは、彼が国鉄の職員約三万人に解雇通知をした翌日のことでした。
司法解剖をした東大法医学では死後轢断、再鑑定の慶応法医学では生体轢断、と判断が割れます。死体には拷問の痕があり靴は車輪で真っ二つなのに足は無傷だし、死体にほとんど血液が残っていなかったし……もう、変なことだらけです。捜査一課は自殺説・二課は他殺説で割れますが、熱心に捜査を続けようとした二課の係長は突然転出(汚職の疑いをかけられて現場を外されたあとなぜか栄転)させられ捜査本部は解散となります。結局警察は自殺を公式見解としたのです。
しかし他殺説は消えません。当時、GHQの優遇策で(軍国主義を押さえるため)左翼が台頭していましたが当然右翼からの反発があります。海外情勢(冷戦)を睨んでGHQは方針を変更し左派の弾圧を始めましたが(1949年は中華人民共和国の建国の年でもあります。アメリカにとって日本が赤化するのは、現実的な恐怖となっていたでしょう)、それに関してG2(参謀第二部)とGS(民政局)で内部対立があります。国労内部では、共産党系の共産・革同と反共の民同の対立が鮮明です。そのそれぞれを犯人と目した、あるいはさらに政治家やスパイをからめた説がいろいろ唱えられました。そもそも下山が国鉄総裁になったのも、次官から突然総裁へという唐突なもので、就任当時から「労組の首切りのためのショートリリーフ」という噂が流れる不明朗な人事でした。
そう言えば、これらの事件の不透明さは、高校時代に読んだ三鷹事件だったか松川事件のルポでも印象的でした。逮捕された国鉄の労働組合員(だったと記憶しています)の裁判で、家族が「ぎしぎし音を立てる階段を二階の寝室から降りて立て付けの悪い戸を開けたら下で寝ている者にすぐわかる。だから彼が家族の誰にも気づかれずに夜中にこっそり家を抜け出して現場に行きまたこっそり部屋に戻るのは不可能だ」と証言したのに対して検察は「もしかしたら音を立てずに抜け出せたかもしれない。だから犯人だ」と論告したのだそうです。「をいをい、結論が先にあるのかよ」と純真な高校生だった私はあきれましたっけ。
「家族が下山事件の関係者だったらしい」と言う「彼」と偶然知り合った著者は、事件の不透明さの中に分け入っていくことになります(「下山病に感染する」と著者は表現します)。はじめはフリーランスで調査活動をし、次にTBS「報道特集」の企画に取りあげられますが結局ぽしゃり、最後に週刊朝日の連載となりますが、その過程もまたぎくしゃくしていて「現実はなかなか一筋縄ではいかないものだな」と思わせます。
TVや週刊誌が欲しいのは単純に『犯人は(黒幕は)実は○○だった』という「○○」の部分にはめ込む名詞だろうけれど、それを暴き出せたらはいおしまい、ではないだろう、と著者は考えます。過去を照らす光は反射して現在も照らします。現在を過去の延長上にあるものとしてきちんと見つめる作業抜きでただ「犯人探し」をしても仕方ない、それが著者の歴史の見方です。
直接手を下した「真犯人」が誰にしても、下山・三鷹・松川事件によって日本のムードは容共から反共(あるいは左派に対する警戒)に一転し冷戦構造は確定し政府は落ち着いて経済成長に専念できるようになりました。その利益を(あるいは不利益を)被った人達にとって、これらの事件はすべて他人事ではない、ということなのでしょう。
最近は博多ラーメンが続いたので、先日ひさしぶりに家族で天下一品に出かけました。あら、以前はスープの濃さは二種類でしたが、こんどは三種類から選べます。そういえば二十数年前、初めて食べたときには、濃厚ででもけっこうさっぱりしたスープに驚きましたっけ。私はあのスープだったら、別にいろいろ選べなくても良いんですけどねえ。
麺をつかむと違和感があります。以前より麺と麺がしっかり絡んでなかなかほぐれないのです。食べると麺はなんだかぼけた舌触りでスープはなんだか以前より味が薄いような気がします。チャーシューは以前より美味しい肉を使ってます。
しばらく食べなかったから、舌が味を忘れてしまったのでしょうか。それとも店の方針変更? 家内の醤油スープのを少し分けてもらったら、こちらの麺は昔ながらの中華そばの麺みたいですね。
まあ、店も大変ですよね。味を変えなかったら客に「飽きた」と他の店に浮気をされるし、変えたら「以前と変わった」と文句を言われるのですから。客商売はほんとに大変です。
【ただいま読書中】
ジョン・ダーントン著、嶋田洋一訳、ソニー・マガジンズ、1996年、1748円(税別)
数万年前、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの先祖が同時に地球上に存在していた時期があるそうです。で、ネアンデルタール人は消え我々が残りました。ネアンデルタール人が滅亡した原因は様々に推測されていますが……気候の変動に適応できなかった・繁殖力が劣っていた・頭が悪かった・戦争が下手だった(軍隊が作れなかった)・戦争をする習慣がなかった(文化的要因)・性格が穏和だった(戦闘力が劣っていた)などで我々のご先祖様に駆逐されたのではないか、という意見と、交雑によって吸収合併された(つうことは、ネアンデルタール人の遺伝子は我々の中に残っている)という意見があります。はっきりした証拠がありませんから、その「事実」は人の想像力を刺激します。
ネアンデルタール人が登場するSFはいくつも読んだ覚えがありますが、あまり強く印象には残っていません。リバーワールドとか小松左京の……あれれ、何だったっけ?長編にも短編にも脇役で出てきたと思っていたのですが……これは一度全作品を読み返す必要がありそうですね(老後の楽しみにします)。で、最近広告で見つけたのがロバート・J・ソウヤーの《
ネアンデルタール・パララックス》三部作 。これはネアンデルタール人が絶滅せずに繁栄している平行世界と我々の世界とがたまたま接触してしまい……という作品だそうです。異文化をまるまる作るのは大変だと思いますし、さらに、ファースト・コンタクトものとして異文化に接触した我々の文化の側の反応をきちんと表現するのもまた大変でしょう。だけど、こうやって異文化を鏡として「自分たちは何者か」を考えることができるのがSFの醍醐味(の一つ)だと私は思います。
で、本書は、SFではなくて冒険ものに分類できるでしょう。冒頭、男の主人公が発掘調査のフィールドにいるところに突然迎えが来ますし、女の主人公は大学で講義をしているところに迎えが来る……はい、連想するのは前者がアメリカ版「Godzilla」で後者は「インディ・ジョーンズ」です。そして二人が行方不明になった恩師を捜すために秘境に行ったらなんとそこにはネアンデルタール人が生き残っていたという『失われた世界』の孫のような設定で、ネアンデルタールの社会構造はウェルズの『タイムマシン』。ただ、ありふれた(?)設定ではありますが、ちゃんと小技は効いています。特にネアンデルタール人の特殊能力RVが、欺瞞を使う習慣を無くさせ、また社会化を妨害する働きをしてしまったために結局現生人類(の祖先)との生存競争に負けてしまったのだ、という設定は、なかなか考えさせられました。「進化」は本来自然環境と生物との勝負だったはずなのに、人間は自然に対して欺瞞を働くことによってダーウィン本来の適者生存の路線からはずれてしまった存在なのかなあ、と。
前世紀に住んでいたところは歩いて二分(走れば一分)のところに小さな本屋があり、私は暇なときには「ちょっと本屋に行って来る」とぶらぶらでかけたものでした。子供も意味無くついてきて本屋の人とおしゃべりしたり本を眺めたり。ただ、顔なじみというのはある意味困ったもので、注文する本でこちらの趣味を把握されてしまうんですよね。とうとう注文していない本まで「この本はおかださんの好みだと思ったから、取り置きしておきました。買うでしょ?」なんて事態に。で、困ったことにその本がこちらのストライクゾーンにちゃんと入ってるの。喜んで買わせていただきましたとも。逆に、注文主がどこかに引っ越してしまって引き取り手がない本(客注の本は返本不可なんですって)を恩着せがましく割引で買ってあげたりなんてこともありましたっけ。
今住んでいるところは、本屋不毛の地で、職場の帰りに隣町に寄り道して本を買ってます。おかげで本屋に行く頻度は激減しました。自然にAmazonやインターネット上の古本屋の使用が増えます。ところが今回欲しかった本は1197円(税込み)。Amazonだと送料がかかります。そこでe-honを使いました。書店受け取りだと送料無料ですから(ちなみに1500円以上は自宅へでも送料無料)。ネット上で注文出して本屋への現物到着まで4日間。ふーん、このレスポンスの良さなら、使えます。ただ、クッション材入りの封筒をそのまま書店で受け取ってお金を払うのは、ちょっと変な気分でした。書店なのに、なんだか、本を買うというより荷物を引き取っているようです。帰宅して封筒を開けて出てきたのは……
【ただいま読書中】
吾妻ひでお著、イースト・プレス、2005年、1140円(税別)
e-honで買ったのは本書です。@niftyの∞壁代替PATIOでこの本の存在を聞かされて気になっていたものですからつい注文しちゃいました。
自分自身の体験、漫画の連載を落として失踪してホームレスになったりガス工事人になったり(で、社内報に漫画を描いたり)、そして最後にアル中で精神病院に入院生活をしたり、それを「吾妻ひでおの漫画」で赤裸々に描いています。私はホームレスのところが一番ぐっと来ました。特に、寒さで文字通り骨がきしみ腐ったリンゴで手を温めるシーン(発酵熱で温かいのだそうです)と一面雪の美しく冷たいシーン。笑えて、泣けます。
「本当に描けないこと以外は全部描いた」と著者本人が言う実話の重みはあるのでしょう。でも私は悲惨な実話を見聞きした経験はたぶん普通の人よりはずいぶん多いはずで、単に実話の迫力に押し切られるほどヤワではないつもりです。それでも心が動くのは、著者がプロとしてちゃんと料理をしているからでしょう。悲惨さも自分自身も客体化して作品に昇華してしまっています。可愛い絵柄とギャグ漫画というジャンルはこの際関係ありません。妙に肩に力の入りすぎたブンガクを読むよりもこの作品を読む方がよほど人生のため……にはならないでしょうが、少なくとも楽しめます。そしてたくさん考えさせられます。お薦めの一冊。
先日TVをぽちぽちザッピングしていたら、「
エル・シド 」という映画の一場面が出てきました。王から追放されたエル・シドが荒野をさ迷っていたら病人がいたので水を与えます。すると病人は「あんたはエル・シドだろう?」と言い当てます。なぜわかったのか問うシドに病人は「王に逆らうのも、病人に水を与えるのも、シドだけだ」と答えるのです。それだけのシーンなんですけど、私は考え込んでしまいました。「王に逆らうこと」と「病人に水を与えること」がここでは等値でしかも普通の人にはできないことなのです。ひっくり返してみれば、その逆……「強者にへつらう」「弱者に対して威張る」は「権力構造」という観点からはたしかに等値ですね。そして「普通の人」がやりがちのこと。
すると、心に勇気と強さを持った人は自動的に弱者に優しくなり同時に権力者に逆らうようになってしまう……と言ったらちょっと短絡的かな?
【ただいま読書中】
内藤陽介著、新潮社、2004年、680円(税別)
「切手は国家のメディアである」という視点から昭和史(特に満州事変〜終戦)を見つめた本です。切手や消印に国家のスローガンを持ち込んで国際的・国内的に宣伝に使う戦略は基本的にどの国も行ないますが(最近だったら韓国の「独島切手」が好例)、それが特に目立つのが戦争時、ということで著者はこの時期を選択しました。
満州事変に際して、上海局では郵便物の裏に「対日経済絶交 永遠不買日貨 全国同胞団結 一致武装救国」というスローガンの印を押しました。対して日本はリットン調査団の結果に反発して、国際連盟事務総長宛に英語の嘆願書を葉書で大量に送ります(群馬県などの旧制中学・女学校・商業学校の英語の授業の一環として書かれたものが残っています)。しかし、満州国の郵便が、建国からしばらくは旧来の中華民国のシステムをそのまま使っていて五ヶ月後にやっと日本で印刷した「満州国の切手」が届いて使用を始めた、ということは、そういった内政の準備さえ整わない内にことを進行させていたんですねえ。後年シンガポールの陥落翌日に記念切手が発行されたのとはずいぶん違います。
金属資源の回収を訴える小型印が郵便物に押されたのは1938年。まだアメリカが屑鉄禁輸をいう前ではありませんか? もう準備を始めていたんですね。ちなみに、1940年に予定されていた東京オリンピックを返上したのも1938年です。競技場を作るのに鉄が1000トン必要と計算されていたのですが、そんな「贅沢」はできない状況だったんでしょう。
中国の首都が重慶に移ってから、日本が切手で日・満・中国をまとめて大東亜共栄圏を示したら、中国は、満州含めて中華民国を表示してその後ろに青天白日旗と星条旗をあしらったり、お互いに宣伝を熱心にやってます(当時、北京・上海などの日本占領地でも中国の切手は通用していましたが、この星条旗付きのは「有害切手」として使用が日本軍によって禁止されていました。日本としては当然の処置でしょう)。
しかし、ノモンハン事件は日ソの対決と私は捉えていましたが、モンゴルから見たらそれは祖国防衛戦争で「ハルヒンゴル戦争」と称され、後日その勝利を祝う記念切手が発行されていた、というのは知りませんでした。
アメリカでは約12万人の日系人が強制収容所に閉じこめられましたが、そこから出された手紙のカバーには「PRISONER OF WAR」と印刷されて検閲を受けており切手は貼ってありません。これはアメリカが日系抑留者を捕虜として扱い「捕虜の通信は無料」とするジュネーブ協定が適用されたためです。細かいところではそれなりにフェアな扱いと言って良いのでしょうか。
戦争中ビルマやフィリピンは「独立」します。しかし、そこで使われた切手には「ビルマ」「比島郵便」といった生の日本語が印刷されていました。「独立」が実質的か形式的かはこういった細部に象徴的に現れる、と著者は述べます。ただ、大東亜共栄圏に関しては欧米の側も事情は複雑です。アメリカで1943〜44年に「枢軸国に抑圧されている国シリーズ」の切手が13種類発行されましたが、アジアで取りあげられたのは朝鮮だけでした。これはビルマやフィリピンを取りあげると、戦前にそこを植民地支配していた連合国側にとっては「自由と民主主義」を標榜する正義の戦争のはずがちと都合が悪くなる、ということだったのでしょう(しかも、太極旗のデザインをしっかり間違ってます。失礼な話です)。タテマエとホンネの乖離が両者ともに切手を通して見える、というのは本当に興味深い現象です。
……大上段の歴史論争もけっこうですが、私はこういった地べたに足がついた歴史の方が好みです。
いぬかわさんでした。毎度のご来訪、ありがとうございます。あちさんのところで888を取られた勢いでしょうか。何か良い事があるかもしれませんね。
【ただいま読書中】
宮治誠著、草思社、1995年、1456円(税別)
カビはじめじめを好む。これは「常識」です。ところが世の中には「好乾カビ」という
困った奴がいて、特にカーペットに好んで棲みつきます。もちろん好湿カビもたくさんいますから、どんな環境でもカビは生える可能性がある、ということです。カビはダニの餌になります。これは大変、お掃除をしなくては……
掃除機のフィルターの多くは0.3ミクロン以下のものは素通しです。しかも強風で部屋中の空気をかき乱します。先週のNHK「試してガッテン」でやってましたが、掃除機をかけると部屋の埃が見事に部屋中にまきあげられていました。はたきや箒は単に埃を巻き上げるだけ、と思っていましたが、掃除機も実はお部屋全体に埃をまき散らす困った用具だったのです。ありゃま。
「黴菌」とひとまとめで言いますが、「黴」は真核生物、「菌」は原核生物です。つまり、カビの方が細菌より人体細胞に似ています。したがってカビの病気に対する薬は細菌に対する薬よりも人間に作用を出しやすい(副作用が出やすい)ことになります。
水虫の治療で、インキンにヨードチンキを塗る(日本軍で行なわれたけれど死ぬほど痛いそうです)、水虫にレントゲンをかける(日本で戦後の一時期行なわれたそうです。白癬菌は死ぬかもしれませんが、人間の方も放射線皮膚炎になります)なんてのも紹介されてますが、今は良く効く薬が出ているのですから、根気強く薬を塗る(場合によっては飲む)のが一番でしょうね。
「酩酊症」という珍しい病気も登場します。胃腸管に狭い場所があるとそこに食べ物が貯まってそこで酵母菌がアルコール発酵をするという、酒飲みにとっては嬉しいかもしれない、酒嫌いには地獄のような病気です。
そして、命に関わるカビの病気の数々。「コクシジオイデス症」とか「ヒストプラズマ症」「ブラストミセス症」「パラコクシジオイデス症」……よくわかりませんがなにやら凶悪そうな名前がずらずら並びます。カビって、そのへんに隠れていたり胞子を飛ばしたりしているんですよね。素直な私は恐怖症になってしまいそうです。
あ、あとがきで「今回はカビの悪い面ばかりを取りあげましたが、もし機会がありましたら、次はカビの良い面についても書いてみたいと思っています」ですって。ぜひお願いします。
昨日の新聞にでかでかと高額納税者のリスト(昔は長者番付と言ってませんでした?)が載っていましたが……これって強盗や誘拐をしようと思っている人には極めてありがたいリストでしょうねえ。ここに金があるよ、とお上が教えてくれるわけですから。そういった人達は当然ガードも固いとは思いますけど、もし私が金を強奪しようと思うなら、公表されているリストの真ん中から下あたりからガードの緩そうなところを物色するかも……おっとっと、物騒な話はやめましょう。
しかし、この4月から個人情報保護法が施行されて、一般企業は個人情報の管理に神経をとがらしているのに、お上はこんなにあっさり個人情報を公開しちゃって、良いんでしょうか? ちゃんと各個人に公開の許諾を得ているのかなあ。それともこれは除外規定に適合する?
そういえば、これはあくまで高額「納税」者のリストであって、高額「収入」のリストではないんですよね。長者番付の頃は、所得だったはずだけど、収入と所得は単純に正比例はしません。つまり、税金を納めていないからと行って収入がないとは限らないわけです。税金を納めないことで有名だった企業は……コクドが代表でしたっけ? それにあたる個人も当然いるんでしょうね。もちろん合法的に節税をしているんでしょうけれど(違法な節税は、脱税です)。
……いかんいかん、可処分所得が少ないと他人の懐のことが気になって仕方ない。せめて心は豊かに暮らすよう努めます。他人の懐なんか気にならないぞぉ気にならないぞぉ。
【ただいま読書中】
陳舜臣著、講談社、2002年、1800円(税別)
魯迅は人気作家で、作品を書くとただちに作品集が出版されていたそうです。しかし中にはそれからもれるものもあり、そういった作品を集めたものが『集外集』と呼ばれました。本書は陳舜臣さんの集外集です。九編の短編集ですが、集外のものばかりなので色合いはバラバラです。タイトルには中国歴史小説とありますが、現代物やエッセーも混じってます。その分バラエティを楽しめる、と言えばポジティブ?
六編目『獅子は死なず』は、インド独立運動の英雄チャンドラ・ボース(ガンジーの右腕がネールなら、左腕はボース、と言われた人)の、インド脱出とその死(あるいは死の否認)についての物語ですが……数ページ読んだところで「これ、読んだことある」と私の潜在意識が騒ぎ始めました。初出リストを見ると「小説現代」1971年9月号です。その頃の私は、近所の診療所に行ったら待合室に置いてある月刊小説誌を一冊(時には二冊)読み切って帰る、という生活をしていましたので(時代小説が目当てでした。眠狂四郎に出会ったのもその待合室のおかげです)、その時小説現代も読んでいたのかもしれません。あるいは、集外というのが陳舜臣さんの勘違いで、何かのアンソロジーに収載されたのを私が読んでいたのかもしれません。
今となっては「真実」はわかりませんが、面白い話は何回読んでも面白いのですから、ともかくちょっと得をした気分です。特に真ん中からあとは記憶からきれいに蒸発していましたから、結局まっさらな状態で読んだのと同じでした。
チャンドラ・ボースのインド脱出はインドでは有名な話なんだそうですが、彼と日本との間にある関係はなかなか興味深いものです。インド国民軍と日本軍がもうちょっと緊密に連携できていたら、ボースが死ななかったら……「たら」「たら」ですが、歴史はたぶん変わっていたでしょう。でも、もし歴史が変わっていたとしてもそこでまた私は「もしボースが死んでいたら」とか「たら」を考えているのでしょうけれど。
郵政の民営化が首相のお仕事というのは、日本は平和で良かったねえ、なんでしょう。前島密がどうしてあれだけの苦労をしたのかはきれいに忘れられてしまったのでしょうね。ただ、それに医療と福祉の民営化が続くのではないか、と気になります。5年前に介護保険が始まったときに、政府の目論見は老人が医療保険から介護保険に大量移動して医療費が節約できることだったはずです。ところが介護保険が新しい需要を開拓してしまって(逆に言えば、医療と福祉の谷間に放置されていた老人が非常に多かった)、老人医療費は減らず介護保険の支出は増え、結局老人にかかるお金は減るどころか増えてしまいました。そこで今政府が予定しているのは、医療自己負担率の増加・ホテルコスト(食事代など)を保険から外して自己負担にして政府の支出を減らすと同時に病院数を何割か減少させて医療費を削減させるという荒療治です。また、三障害(身体障害・精神障害・知的障害)をすべて介護保険の下で一元化する予定もあります。そうすれば自己負担率を操作することによって福祉分野での政府支出を機械的に削減できます。そして最終的には、今のアメリカの医療保険のような形で、医療保険も介護保険も民間に委せてしまうことも可能でしょう(今の政府のロードマップにはここまではありませんけれど)。介護保険は地方自治体が管轄していますが、どう見てもお金の管理と運用の点では民間の方が効率的ですから「効率」だけ考えたら民営化の方が「お得」です。基本的人権とか弱者救済という点では非常に不安ではありますけど。
極論を言います。
どうせ民営化をするのなら、いっそ徹底的に民営化をしてしまうのはどうでしょう。たとえば軍事の民営化。民間軍事会社が世界中で活躍しているのですから、そこに日本の国土防衛を依託するのです。一つ良いことがあります。憲法9条を変える必要がありません。民間会社は軍隊ではないのですから。
さらに外交も民営化……はさすがに無理かな。皇室外交に総てを託すのは無茶でしょうし、そもそも皇室は民間ではなかった。
最後は国会の民営化。地方の代表が国会を舞台に公共事業費のぶんどり合戦をするのです。……今と変わらない?
【ただいま読書中】
宮元健次著、光文社、2004年、760円(税別)
単なる京都のお庭ガイドブック……ではありません。いや、ガイドブックとしても使えます。いろんな庭園が紹介されて、アクセス方法・地図・拝観料・駐車場の有無までデータが載っていますから。しかしこの本がユニークなのは、「庭は他界であり、他界とは死である」という観点から京都の庭を紹介していることです。
初っ端は西芳寺(通称苔寺)庭園。1339年に禅僧夢窓国師(こくしむそうではない(笑))が作庭しましたが、二段構造になっていて、上段は枯山水で「穢土(えど=地獄)」、下段は池泉回遊式庭園で「浄土」を表しています。この形式はのちに金閣寺や銀閣寺にも引き継がれました。同年夢窓国師が作庭した天龍寺は、もともと後醍醐天皇の鎮魂のための寺ですが、庭の借景が後醍醐天皇の亡骸が葬られた亀山となっているところにも意味があります。
次いで浄土式庭園。「浄土」という名詞を見るだけで死の影がうかがえます。たとえば平等院(1052年)。庭に入るためには宇治川をわたる必要がありますが、これは三途の川に見立てられています。庭自体も、末法の世を憂えて、極楽浄土をこの世に示そうと作庭されました。
このへんで著者の息が切れます。ちょっと一息つくために、秀吉と家康の死後の世界争いの結果としての庭について述べられますが、ちと話に無理があるような気がしますし、話が京都から離れてしまいました。もちろん、京都の鬼門(北東)と裏鬼門(南西)を結ぶ鬼門軸に庭園が配置された経緯などは、興味深いものではあるのですが。
宮廷付きだった幕府の作事奉行小堀遠州は後陽成天皇の命により西洋式の建築・造園術を宣教師から学びます。その結果、二条城・南禅寺方丈石庭など、遠州が直接監督したあるいは遠州の影響を受けた建築物や庭園が次々造られました。著者は龍安寺の石庭にも、遠近法や黄金分割という西洋の手法がみられることから、遠州の影響を見つけています。
……他界や死はどこに? 紅毛人や南蛮人を海の向こう(他界)からの来訪者であると当時の日本人が見ていたのなら、話は面白いのですが……あるいは、当時導入されたルネサンス・バロック造園テクニックに実は死の影があったとかでも面白いのですが……そのへんの深い分析は本書にはありません。残念でした。
そして桂離宮。
後陽成天皇の末弟で、秀吉の養子となり後に八条宮家を立てた智仁親王は、兄からの譲位を秀吉の影を嫌う家康に妨害され、失意の中で桂離宮の造営に注力します。そして第一期工事が終わり長男が元服するのを待つように54歳で死去。桂離宮を引き継いでほぼ現在の形に完成させた二代目智忠親王は44歳で死去。三代目は23歳、四代目は21歳、五代目は19歳、六代目は4歳で死去。宮家は、常磐井宮・京極宮・桂宮と改名を繰り返しますが不幸は止まらず十一代目で断絶となります。庭そのものが死に覆われているようなお話で、私個人としては、この庭を本書の最後に持ってきて欲しかったなあと思います。
四谷は東海道ではなくて甲州街道でしょ?という疑問を持つ人は多いでしょうが、これは作者の鶴屋南北が「この話はフィクションであり登場する地名人名は実在のものと関係ありません」と示すためにつけたもの、という説が有力なようです。
文政八年(1825年)初演時この芝居は「忠臣蔵」と二日がかりで交互に上演(第1日:「忠臣蔵」大序から六段目まで、次に「四谷怪談」序幕から三幕目の「隠亡堀」まで。第2日:まず「隠亡堀」、次いで「忠臣蔵」七段目から十段目まで、次に「四谷怪談」四幕目から大詰めまで、最後に「忠臣蔵」の十一段目(討ち入り)を上演)するという変てこな形式を取りました。それでなくても人物関係が複雑な芝居を二つ混ぜるとはまったくややこしいことをしたものですが、観客はちゃんとついていけたのでしょうか? どちらも大当たりだったためかそれぞれ独立して上演されるようになって、今では別々の芝居と認識されるようになりましたが、昔は表裏一体の関係だったわけです。
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高田衛著、洋泉社、2002年、2800円(税別)
「四谷怪談」にはタネ本として「四谷雑談(よつやぞうだん)」という実録小説(現在のゴシップ記事のようなもの)があった、という指摘が本書ではされます。こちらではお岩は幽霊にはなりません。伊右衛門とお梅をくっつけようとする喜兵衛の悪巧みによりお岩(もとから醜い姿)は騙されて離縁され、のちにそれを知って狂乱して行方不明になります。そして与力伊東喜兵衛・同心秋山長右衛門・同心田宮伊右衛門の三家族18人が次々死んで三家は断絶になってしまいます。サイドストーリーとして元禄七年に実際に起きた旗本多田三十郎が吉原で斬殺された事件が絡んでいますが、つまりはそれだけのお話です。
『
嗤う伊右衛門 』(京極夏彦、中央公論社)には関連文献リストのトップに「四谷雑談」が上げられていますが、高田衛によると京極夏彦は「四谷怪談」と「四谷雑談」を徹底的に読み込みその上に自分自身の想像力を広げている、したがって『嗤う伊右衛門』の各エピソードにはすべて「根拠」があるのだそうです。そう言われて本棚から取りだして来ましたが……相変わらず京極夏彦の本はずっしり重いなあ。とりあえず机に積ん読しておきます。いつか読みましょう。
初演時の「忠臣蔵」では、顔世御前に横恋慕した高師直が自分の思いを拒絶されたためにその夫である塩冶判官に辛くあたりそのため刃傷沙汰と判官の切腹が発生しました。「四谷怪談」では、民谷伊右衛門に執着する伊東喜兵衛(とその孫娘お梅)が伊右衛門の妻であるお岩に毒薬を盛り憤死させます。つまり(図示したらわかりやすいのですが)人間関係の構造は「忠臣蔵」と「四谷怪談」で共通なのです。身分は支配階級と市中に暮らす下級武士に対比され共通の構造を持つ様々なエピソードが両者に配置されます。つまり「四谷怪談」は「忠臣蔵」のパロディというか表裏の関係(もちろん「四谷怪談」が裏)の作品だったのです。だからこそ初演時にこの二つの芝居は抱き合わせで一挙に上演されたのでしょう。江戸の庶民が、どのような意味をそこから読みとったのか、それは私には実感できませんけれど。
お岩の悲劇にしても忠臣蔵にしても、敵討ちとかお家断絶とか「イエ制度」の重圧がつきまとっています。しかし、ここで問題になるイエ制度……家を断絶させないために皆が信じられない努力をするのを見ると、私は不思議な気分になります。ただ「封建的だなあ」と簡単に片づける気にはなれません。なんらかの合理的な理由があるからこそ、当時の人々はイエ制度を維持していたのでしょうから。
イエ制度は単に個人を抑圧する共同幻想ではありません。実際の運用を見るとけっこういい加減です。たとえば「雑談」での伊右衛門は婿養子ですが、お岩を離婚したら実子のお岩が家を出ます。そして伊右衛門は再婚してその子どもが民谷家の跡取りになるのです。
つまり血縁なんかどうでもよくて、一種の会社の役職名のように、そこにいる人が替わっても会社名と役職名が手続きを踏んで誰かにきちんと引き継がれればOKなんですね。そういえば「名前」も「□代目○○右衛門」とか同じ名前を引き継いだりします。個人の人格よりも法人格の方が優先しているわけで、私個人としては好みとは言えませんが、でも役目を終えて誰か(別に実子である必要はない)に「名前(役職)」を譲ったら隠居です。それはそれで自由の一つの形だったと言えるでしょう。
……現代の中小企業で(ときには大企業でも)よく見られますが、ちゃんと法人にしているのに社長が自分の子どもに跡を継がせようとしてじたばたしたりしています。そういった人はつまりはイエ制度と血縁制度の両方に縛られているわけで、江戸時代の人間よりも我々は不自由な世界に生きているのかもしれません。
JR西日本では、尼崎駅での乗り継ぎ時間を延長して最低一分程度にするそうです。今までの方針とは逆行する決断ですから、英断なのでしょう。なのでしょうが、私は口ごもってしまいます。
発着時間の遅れは運転士の責任だ遅れる奴は罰してやる日勤教育だ、と運転士にすべての責任が押しつけられました。だから運転士は、とばせる直線ではできるだけとばして時間を取り戻さなければならなかったけれど、実はそれは無理なダイヤの責任だったのです。
という話の流れに私には見えるのですが、では、ダイヤそのもあるいはダイヤを組んだ人にすべての責任を押しつければそれで一件落着ですか?
構造的には、「運転士に責任を押しつける」「ダイヤ編成部に責任を押しつける」……まったく同じことを繰り返しているだけのように私には見えるのです。取りあえずの「解決」ではあるけれど根本的解決ではありません。さらに、改善策の提示でもありません。
もちろん、ダイヤを改善すること自体には、私は賛成です。ただ、その結果他のところにしわ寄せが行ったりしないようにしてもらわなければなりません。それと、「無理なダイヤ」を組まなければならなかった原因の(追及ではなくて)解明もお忘れなく。
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京極夏彦著、中央公論社、2002年、1900円(税別)
京極夏彦さんの作品を読むのは久しぶりです。一時むさぼり読んでいましたが、『ルー・ガルー』が出た頃からなぜか遠ざかっていました。巷説百物語も一冊目だけで中途半端になってます。
……昨日の日記の流れで「あれ、今日は『嗤う伊右衛門』じゃないのか」と思った方がおられるでしょうか。白状します、私は天の邪鬼なのです。
巻を開くと、ある情景に含まれる空気の分子一つ一つさえもが表現されては通り過ぎていくように言葉が少しずつ少しずつ降り積もっていきます。建具とか動作とかを具体的に描写しなくても、心的風景が細かく言葉で紡がれるうちに私の眼前には江戸の住居が出現し人々が「リアル」に動き始めます。といっても、出てくるのは……
役者としては芝居が絶望的に下手で、人間としては生きることが絶望的に下手な小平次が「主人公」です。彼が唯一演じることができる(というか、舞台に「いる」だけでそのままなりきってしまうことができる)役は、幽霊。舞台を降りたら言葉は少なく影は薄く、いるのかいないのかわからないような、ちっとも「リアル」じゃない男。舞台だけではなくて実生活でも幽霊をやっているような存在です。その小平次が、なぜか旅回りの一座の奥州巡業に誘われて出かけますが(演るのはもちろん幽霊役)実はその背後には複雑な事情と複雑な人間関係が……
「無理をして楽になるのと、無理をせずに苦しむのとでは、どちらが良いのだろう」と独り言のように言う小平次の言葉は印象的ですが、相手の話を聞くことで薄っぺらだった「言葉」に血を通わせる役回りの治平に私は心惹かれます。もしかして著者は治平に自分自身を投影している?……というのはきっと考えすぎですね。単に私が自分を投影しているだけです。
最終章、大方予想通りの展開ではありますが、著者がそれまでの「陰」の描写から「陽」に筆致を転調したのにはもう笑うしかありません。そうですよね。これで巻を安心して閉じることができます。
そうそう、本書では合間合間に(文字通り)幕が入ります。耳元でちょーんと柝の音が聞こえそうです。(どんなものかは、実際に読んでのお楽しみ。できたら最初から最後まで一気に読むことをお勧めします)
昨日曾祖母の50回忌をしてきました。私は直接会ったことがない人なのですが、久しぶりに会う人と懐かしく会話ができたのでありがたく合掌してきました。
お寺さんの読経のあと法然上人の起請文の朗読があったのですが、(情けないことに半分くらいしか聞き取れませんでしたが)なんか過激なことを言ってるんですねえ。南無阿弥陀仏とさえ唱えれば、それでいいのだ、ですか。浄土宗系ではついつい親鸞さんの悪人正機の過激さに目が奪われてしまいますが、それも法然さんあってのことだ、と感じました。仏教の外側にいる身としては、「素直」にそのへんを愉しんでしまいます。信者の人達には失礼な態度かもしれませんけれど。
お墓に参りながら長男とそのへんの話をしていたら、鎌倉仏教と平安仏教の比較に話題がすべり、さらに陽明学と朱子学の話になってしまいました。う〜む、つながっているような無関係のような……
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梅森浩一著、朝日新聞社、2003年、1200円(税別)
日本にある外資系企業4社に勤め、うち2つの会社で人事部長として1000人以上のクビ切りを行なった(そして自分もクビを切られた)人の経験談です。
・日本企業では「本当はAさんのクビを切りたかったんだけど拒否されたのでBさんにした」というケースが珍しくないが、外資系ではピンポイントでAさんのクビを切る。
・誰のクビを切るかは直属上司が決定し、人事部長は本人に引導を渡し退社手続きを円滑に行なう役目だけ(人事部長に「私のクビを切らないで」と泣きついても無駄)。
・言葉で「あなたのクビを切る」という宣告はしない(日本の法律では許されていない)。
・外資系企業では、裁判になることも前提に(そのための資金も予算計上して)クビ切りをする。
・無能な人間は真っ先にクビ切り対象になるが、優秀すぎる人間もまた対象になる(優秀な人はどんどん昇給させるからお金がかかるが、プロジェクトが終わったらその人は不必要だから)。
・クビを切られるときに、条件闘争はした方がお得。
・外資系企業では個人の能力・業績主義だが、だからこそ会社に対する忠誠心や協調性(チーム・スピリッツ)は重視されている。
私は「リストラ」という言葉が嫌いです。だって本当にリストラクチャリングだったら組織は改善されなければならないでしょ。ところが私が見聞する範囲では、単に人件費をカットする目的でクビ切りが行なわれ、人員補充はないから残った人間は人が減った分仕事は増え給料は減らされ「去るも地獄、残るも地獄」になりがちです。そんなのリストラではなくてただのコストカットです。でもコストは単なる無駄金ではありません。必ず「コスト・パフォーマンス」を考える必要があります。コストをかけた以上の見返りがあるのならかけた方が良いのです。帳簿で支出の項にあるお金の足し算だけしてその額を減らそうとするのは、経営でも判断でもありません。
著者もそのことは強く主張します。本書ではクビ切りを大量に行なったという珍奇な体験の自慢話をしているわけではありません。外資系企業でクビを切るのは、企業の現在の業務にふさわしくない人材を削ぎ落とすためで、現在の業務にとってのベストオーダーを組むためには「クビ切りと採用」がセットで行なわれのです。ただクビを切っておしまいではありません。さらに、クビ切りをした後会社の業績が伸びなければ、それは経営陣の責任だから経営者は腹切り(自分自身のクビ切り)をしろ、と過激なことも言います。過激だけど、正しいですね。自分の取り分を守るために従業員を減らすなんて経営ではありませんし、経営ではないことをしている人は経営者ではありませんから、その職にいてはいけません。
日産の再生についても著者の見解は興味深いものです。一般にはカルロス・ゴーンの手腕が注目されますが、別に日産は外資系企業に生まれ変わったわけではありません。ゴーンの指示によって本来有能な日産の社員たちが動くことで日産は生まれ変わりました。つまり、無能な経営者が有能な経営者に変わっただけで、日産は日本式企業のままだったのです。ゴーンの下で動いたような有能な社員を産み出す日本式のやり方を簡単に捨てるなでもそれに固執するな、と著者は主張します。外資系礼賛ではなく、日本礼賛でもなく、世界の中で日本企業が生き残るために何をするか、それに個人はどう対応するべきか、冷静で多角的な指摘が続きます。
そして著者の視線は「日本」に向かいます。クビ切りが迫っているのに覚悟を決められない個人、その家族。これから大量のクビ切り時代が始まるのにのほほんとしてそれに対応しようとしない社会制度。日本はこのままで良いのか、という著者の熱い思いが伝わってきます。
漢字二文字からなるシンプルな言葉です。内容も「原因と結果」とシンプルです。だけど、森羅万象がそんなに単純な二者の結びつきだけで構成されているのでしょうか。
この世のあらゆる事象は複雑なネットワークの上に存在していると私は見ています。それも漁網のような平面的な網目ではなくて、立体的で時間軸ももつ四次元的な網目構造のネットです。そして私たちは任意の甲と任意の乙を結ぶ網目の中で一番太いルートあるいは最短距離のルートを見つめて(他の経路をすべて無視して)「甲は乙の原因」「乙は甲の結果」と言っているだけかもしれません。だけど、なぜ私たちは甲と乙にだけ注目するのでしょうか。なぜ甲と乙を結ぶたくさんの経路のうちたった一本だけに注目するのでしょう。(甲と乙の間を直結する線が一本しかないように見える場合もあるでしょう。しかしその場合でも、果てしない網目の上にどちらも存在する以上「迂回路」はいくらでもあるはずです。たとえば「甲の影響を受けた丙がさらに丁を変化させたらそれが乙に影響を与えた」といったルート)
さらに、甲は全ての始点ではなく(甲がこの世界の始まりである場合を除く)乙も全ての終点ではありません(乙がこの世界の終点である場合を除く)。だとしたらなぜ私たちは甲に「原因」・乙に「結果」というレッテルを簡単に貼ることができるのでしょう。
人間の心の働きは、不思議です。
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井野瀬久美恵著、朝日新聞社、1990年、1300円(税別)
19世紀後半、舞台付きパブ(フリー・アンド・イージー)から発展したミュージック・ホール(労働者階級のための飲食ができる劇場)がイギリス中の都市にありました。最初のミュージック・ホール「カンタベリ」は1852年に誕生しましたが、それは、ロンドンで万国博が行なわれ都市人口が初めて農村人口を上回った1851年の翌年のことでした。都市労働者は6ペンス(最低に近い日給に相当する額)の入場料を払ってミュージック・ホールで酒を飲み軽食を食べ音楽や劇を鑑賞し合唱をしていました。当時エンゲルスは労働者の悲惨な生活を『
イギリスにおける労働者階級の状態 』(1845)に描写しましたが、その一方、仕事の後陽気に騒ぐ労働者の生活もまた同時にあったのです。
優れた芸人は高給を保証されることでプロとして自立して「スター」が誕生し、各スターがヒット曲を持つようになると著作権の概念が発生します。観衆の目が肥えるようになり、ミュージック・ホールは、飲食しながらついでに出し物も楽しむ場所から鑑賞が主で飲食も可能な劇場へと変貌します。同時に出し物もバラエティが求められるようになり、ミュージック・ホールはコント・手品・アクロバット・パントマイムなども行なわれるバラエティ・シアターとなります。オペラを好んだヴィクトリア女王の後を襲ったエドワード七世はミュージック・ホールを贔屓にしており、そのためミュージック・ホールでのオープニングセレモニーは国歌(ゴッド・セイブ・ザ・キング)で始まるようになりました。もっとも天井桟敷の赤ん坊たちの泣き声の合唱の方がうるさかったかもしれませんが(若い夫婦は子供連れで来るのが普通で、親に抱かれた子供は入場無料でした)。
産業革命によって労働者は悲惨な生活を強いられました。しかし同時に産業革命は労働者にミュージック・ホールを気軽に楽しむ余裕(賃金の上昇、副食や嗜好品の充実、余暇)も提供したのです。さらに産業革命によって家内工業から工場に生産の場が移ることで、専業主婦が誕生します。それまで未熟だった「子供」の概念がその頃確立したことも、これら社会の変化と何らかの関係があったのかもしれません。
ミュージック・ホールは社会の変化によって生まれ、そしてミュージック・ホールの誕生が社会の変化を加速させていきました。
ミュージック・ホールの全盛期は大英帝国の全盛期と重なります。マスコミがまだ未成熟だった時代、もともと政治とは無関係の娯楽施設だったはずのミュージック・ホールで大ヒットした愛国歌(「バイ、ジンゴ!」など)によって新聞などとは無縁の人々も遠いロシアとトルコの戦争を身近に感じるようになりました(スエズの権益を守るためにはトルコの敗戦は大英帝国にとっては都合が悪かったので、イギリス政府はロシアとの戦いに国民の支持が必要でした)。著者は、かつて農村から出てきた人々が都市住人になることで自らのアイデンティティの拠り所を農村共同体ではなくて国に求めるようになったのではないか、と分析しています。さらに各植民地からの芸人(あるいはそれを模倣するイギリス人芸人)たちによって、ミュージック・ホールに集う人々は自分が大英帝国の一員であることを実感します。
19世紀末、イギリスから世界各地の植民地にミュージック・ホールは「輸出」されます。各地に劇場が作られ、イギリスからスター芸人たちが続々と各地の巡回に出発しました。それは世界中を結ぶ文化のネットワークでした。
その頃、イギリスで失敗した一人のミュージック・ホール芸人がアメリカに渡りました。若きチャップリンです。やがてアメリカ映画そしてアメリカ音楽がミュージック・ホールを駆逐し、同時に大英帝国はアメリカ帝国に取って代わられることになります。
小松左京だったかな、「19世紀にイギリスが存在しなかったら、地球は平和な世界だっただろう」と書いていましたっけ。日没を知らない大英帝国によって世界中の植民地がひどい目にあったことを表現しているのですが、実はイギリス内部ではそういった植民地のことに無知無関心な人が多かったり、あるいは「植民地は利益よりは負担の方が多く、イギリスにとっては経済的重荷である」と大英帝国反対論があって激しい議論が行なわれていたり、けっこう内部事情は複雑でした。その中で、娯楽施設であるミュージック・ホールが大英帝国維持のために一役買っていた、というのは新鮮な視点です。
断れない人からの依頼で、2ヶ月後の小さな研究会で発表をすることになってしまいました。割り当ては10分間ですから原稿用紙7〜8枚、スライドは10枚以内といったところでしょうか。原稿を書くだけなら楽勝です(その後のパネルディスカッションのことは考えないことにします)。問題は、私がプレゼンテーション用のPowerPointを自分のパソコンにインストールしていないことです(だって、そんな機会はもうないと思っていたんですもの)。以前買ったことがあるはずだと机の周辺を探したらほこりまみれのMS-Office97が出てきました。これにはPowerPointが含まれています。よしよし、今入れているOffice-XPを追い出して97を入れるか、と思いましたが、ネットを検索すると「Office97を入れたらWIN-XPがおかしくなった」という報告が。それでなくても私のWIN-XPは現在不安定なので、97を入れるのは却下です。そもそも今から二ヶ月パソコンが保ってくれるかどうかも不安なのですが、とりあえず大切なデータはバックアップしてそれ以上は考えないことにします。
職場にあるPowerPointを私のパソコンに入れるのはライセンス上問題があるし、職場のパソコンでファイルを作るのは却下です(キーも辞書も私好みにアサインされていませんから、ミスタッチが増えていらだつのです)。
結局OpenOfficeを入れることにしました。MS-Office互換でしかも無料です。特に無料が魅力です。コピーレフト万歳! さて、ダウンロードもインストールも順調に終わり……本番はまだ二ヶ月先か。まあ、近づいたら原稿を書き始めることにしましょう。
そういえば、私はもしかしたら小さいけれど新しいネタを握っているかもしれません。今先行論文を探している最中なのですがもしそれが見つからなければ、短い論文を一つ書くことができます。う〜む、この忙しいときに仕事を増やすのは面倒なのですが、書けるネタは書いておいた方が良いでしょうしねえ……どーしましょ。
【ただいま読書中】
野口玉雄著、日本放送出版協会、1996年、825円(税別)
本書のタイトルを見てすぐ思い出すのは『
フグはなぜ毒で死なないか 』(吉葉繁雄著、講談社、1989年)です。『……死なないか』はフグで話が始まりますが(しかもクサフグがテトロドトキシンで死ぬエピソードが最初)、すぐにイモガイなど別の有毒生物の話題に滑って滑って最後には蛇やムカデなどの地上の有毒生物にまで行ってしまいます。
それに対して本書はあくまで「魚介類の毒(マリントキシン)」で本をまとめようとしていますが……やっぱり話は次々別の有毒生物に流れていき、最後には人間社会での毒殺事件が取りあげられます。毒を扱う人は話題豊富な人が多いのかしら?
フグの毒(テトロドトキシン)は体内で生産されるのではなくて、最初は細菌で作られた毒が食物連鎖で少しずつ生体濃縮されて最終的にフグにたっぷり貯まる、と考えられています。面白いことに、実験で毒入りと毒なしの餌を並べておくとフグは毒入りの方を好んで食べるそうです。フグにとってテトロドトキシンは美味な調味料なのかな。
養殖フグは餌が無毒ですから当然無毒フグですが、なぜか攻撃性が増して生け簀の中でお互いを攻撃しあい、無事なヒレは皆無なくらい傷つくそうです。養殖環境に問題があるのかそれともテトロドトキシンに鎮静作用でもあるのか……そのうち素晴らしい薬理効果が発見されて「フグ」なんて名前の薬が発売されるかもしれません。第二次世界大戦前後には実際フグ毒をアンプルに詰めて「テトロドトキシン」(三共)「ヘパトキシン」(田辺)とラベルを貼って売っていたそうですが、何に使っていたんでしょう?
フグは動作が鈍いのですが、動作が鈍いから毒を持って捕食者に食べられないようにしているのか、あるいは毒のせいで動きが鈍くなっているのか、どちらかはまだ不明です。フグは他の一般魚に比較してテトロドトキシンに対する抵抗力が数百倍ありますが、それでも体内にたっぷり毒を持っていたらそれが何らかの薬理作用を示すでしょう。
そうそう、フグが外敵に出会って体を膨らませたときに、体表から毒がにじみ出るそうなので、生きているフグ提灯にはあまり触らない方が吉です。
貝が有毒プランクトンの発生によって毒化する話もなかなか興味深いものです。著者は有毒プランクトンを光で誘導したり天敵を使って駆除すると同時に人工飼料で貝を飼育すれば毒化が防止できる、と考えています。実行するのは大変でしょうけれど。
毒ガニの話もあります。かつて「日本に毒ガニはいない」と言われていたのが、子供がカニを食べて亡くなった両親が原因追及をしていく過程で著者がその研究をすることになり、熱帯から亜熱帯(日本なら南西諸島)に毒ガニがいることがわかりました。「常識」が覆ったわけですが、「沖縄以外の日本本土にいる毒蛇はマムシだけ」という「常識」が約20年前に実際に死者が出ることで「ヤマカガシも毒蛇だ」と書き換えられたのを思い出しました。
著者の活動は、単なる研究オンリーではなくて、行政と協力して食中毒予防の活動などをしていることが私には大きく見えます。フィールドに出かけ研究をし研究成果をまたフィールドに還元する、これが研究の王道じゃないかなあ。研究室にこもって論文書くだけで自己満足している人は、私の好みではありません(もちろん科学のためにはそんな人も必要ですけれど、私は科学よりは人間の方が好きなんでしょう)。
A部署で仕事をしているとC部署から内線電話がありました。「いまどこですか?」「……A部署ですけど(かけてきたのはあなたでしょ?)」「早くこちらに回ってきてください」「緊急事態ですか?」「いえ、そういうわけではないのですが、1分でも早く来てもらったらこちらは都合が良いので……」
私は、旅芸人ではないのですが、こちらで一仕事、次に回って二仕事、と仕事時間帯の中であちこちを巡回しながら仕事をしています。移動中は仕事ができませんから、少しでも時間を節約するために最短距離を移動するようにその日の仕事前にルートを設定します。もちろんそれはルーチンワークをこなす場合の話で、緊急事態では全てを捨てて最優先の部署に駆けつけるのですが、問題は緊急事態でもないのに「すぐ来い」と催促する人がいることです。もしそういった催促にすべて私が従っていたら、巡回経路は無茶苦茶となり移動時間がやたらと膨れあがり、結局、その電話以降の全部署で私が登場する時間が遅れることになります。それは電話以前の部署を除く全員が困ります。喜ぶのは電話で呼びつけたところだけです。したがって全部署の利益の総和が最大になるように、ルーチンの範囲内だと原則として私はルートを崩しません。
電話を切って仕事に戻りました。中断で一度リズムが狂ったので元に戻すのに少し時間がかかります。A部署での終了は予定より1分半遅れました。リズムを戻すのに1分、電話の対応に使った時間が30秒でしょうか。さっさと次のB部署に向かいます。私はこのような場合、走ったりしてあせって時間を短縮しようとはしません。走れば脳が酸欠になり判断力が鈍ります。酸欠状態であせったら確実にミスります。ミスをしたら損害が生じるしミスを取り返すのにますます時間がかかります。ですからせいぜい早足になるだけです。
B部署の仕事を済ませC部署に到着したのは、催促の電話がなかった場合の予定時刻より1分遅い時刻でした。
【ただいま読書中】
滝沢隆一郎著、ダイヤモンド社、2004年、1400円(税別)
第1回ダイヤモンド経済小説大賞受賞作です。
高校で政治経済の授業を受けて以来、「経済」という言葉とはわりと無縁に生きてきましたが、当然のことながら、無関係に生きてきたわけではありません。そういやバブルのさなか、生命保険を変額保険にしないかという誘いを(なぜか)断ってあとで「良かった〜」と思ったのが私のバブル期の唯一まともな経済的判断です。
2003年、バブル後の不況の中で再編が進む業界で、中堅損保会社渋谷火災(通称シブカジ)には外資による乗っ取りの噂がありましたが、社内で「法皇」と呼ばれる会長は政財界との強いパイプを誇り、絶対的な権力を振るっていました。
事件が起きます。経済誌に渋谷火災が行なっている不正融資がすっぱ抜かれたのです。それも最高経営会議の議事録のコピーを証拠として。明らかに内部からの情報流出でした。
社内外とも大騒ぎになりますが、そこで内部告発の犯人とされたのは、数年前に「法皇」に逆らってやめさせられた元副社長・仲田です。会社は「守秘義務違反」を理由に民事訴訟を起こします。請求額は二億円。企業年金も止められた仲田は、身の潔白を証明しようと経験の浅い弁護士や社外労働組合の幹部の助けを借りながら、慣れない裁判に向かいますが、裁判が自分の子供の就職にまで影響を与え、家庭内も本人もぼろぼろになります。本当の内部告発者は誰なのか。裁判はどのような結末を迎えるのか……
著者は弁護士だけあって、裁判所の雰囲気や民事訴訟法の規定など、リアルに描写します。和解の話が出た場面での交互方式など、現場を知らなければ書けないでしょうし、小道具として有効に働く「訴訟告知」なんてものの存在を私は知りませんでした。
しかし、人は自分のため以外に働くのだとしたら、会社のために働くのか、それとも社会のために働くのか、その中で内部告発は一体どのように捉えるべきか……なかなかこの問いは興味深いものです。それをどう受け取るかで読者がどのようなスタンスで働いているのかがわかるかもしれません。
そうそう、私は名誉毀損を連想しました。刑法230条に、名誉毀損に相当する行為があった場合でも「公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。」とあります。ならば内部告発も公共の利害や公益に関わるものなら、罰しないどころか推奨するべきかもしれません。その人の動機が「公共」をタテマエにしていて実は「私怨」かもしれませんけれど、結果として公共が利益を得る(そしてその会社も腐ったところが摘出できて結果として延命あるいは向上する)のなら、結果オーライということで良いんじゃないでしょうか。それが私の現在のスタンスです。
大変美味しいマンゴーを頂きました(もらったと食べたの両方をかけています)。完熟させてから収穫したものだそうで、家族全員感謝感謝でぺろりと胃袋へ。
春は苺、夏は西瓜、秋は柿と葡萄と梨、冬に林檎と蜜柑、で私は育ちました。バナナは滅多に食べられないご馳走でした(今では信じられないでしょうが、輸入制限がかけられており、そこに利権が発生して汚職事件までありました)。そういえば「バナナの黒くなった部分を食べるとチフスになる」というデマもありましたっけ。おかげで私はお袋に黒いところを除去したバナナを食べさせられました(結局黒いところにくっついた部分を食べているので病気の予防になっているのでしょうか?でも捨てるのはもったいなかったのです)。
お歳暮やお中元の時期に、果物の缶詰の詰め合わせをもらったときには、一日に一缶ずつ開けて家族皆で分け合って食べました。デザートという言葉を私はフルーツ缶詰で覚えました。
メロンと言えばプリンスメロンでした。マスクメロンは、家族が入院したときに食べられるものでした。(お見舞いの果物詰め合わせの一番上に乗っかっているのです)
苺には練乳が付き物でした。すっぱくない甘い苺でも習慣でかけてしまいました。ミルクの中で苺をつぶすための専用スプーンまで売っていました。1970年代はじめに輸入が自由化されたグレープフルーツにはグラニュー糖が付き物でした。
とことんしゃぶるために種を口に横に頬張って(おそ松くんに出てくる)だよーんのおじさんの顔になっている次男を見ながら、こんな美味しい果物が食べられるとは幸せな時代だ、とつくづく思います。そういえば、種と言えば桃。こいつの種がもっと小さければ、と子供の私は何度思ったことか。
【ただいま読書中】
松本仁一著、朝日新聞社、2004年、1400円(税別)
AK47:通称カラシニコフ、正式名称「アフタマート・カラシニコワ(カラシニコフ自動小銃)」。1947年旧ソ連のミハイル・カラシニコフが開発。口径7.62mm、30発入りの弾倉を装着可能(フルオートで引き金を引きっぱなしだと3秒で撃ち尽くす)。故障が少なくメンテナンスをしなくても連続使用が可能で、未熟な兵士でも扱えるため人気が高く、現在世界中に約1億丁(世界中の兵士の数以上)存在していると推定されている。
著者は世界各地の紛争地で様々な武器を目撃しましたが、紛争が激しいところでは特にカラシニコフが高率で見られることに気がつきます。偶然開発者のミハイル・カラシニコフが存命であることを知り、著者はカラシニコフと紛争をめぐる旅を始めます。
ミハイル・カラシニコフは、ナチスから国を守るために銃の開発を始め、常識とは逆の精度を犠牲にした「スカスカ設計」と「機械は単純だと壊れにくい」という設計哲学からAK47を生み出します。水や泥が入っても、いくら火薬カスがこびりついても、踏んづけて薬莢が曲がった弾を装填しても、弾詰まりなどおこさずに平気で連続使用が可能な「名銃」の誕生でした。
フレデリック・フォーサイスは「失敗国家」の概念を述べます。暴力で支配している国家は暴力で(それも重装備の数十人の傭兵程度で)簡単に覆すことができる、と言うのです。そしてODAは「失敗国家」にではなくて「努力している国家」に行なうべきだ、と。ではそういった国家を見分ける基準は? 実は単純な判断基準があるのです。「治安」と「教育」です。
「ブラックホーク・ダウン」事件(
映画 はすごい迫力でした)で知られるソマリアの首都モガディシオ、ここはカラシニコフがいたるところで見られる土地でした。そこで活動するNGO「サイード」は、実動する銃を一丁持ってきたら奨学金付きで学校教育と職業訓練と就職の斡旋まで行なうという銃の回収運動を行なっています。そこに集まった300丁の内、市内にあれだけあるAK47はたった1丁でした。危ない土地では人々は「役に立つ銃」は手放したくないのです。
シエラレオネには少女兵少年兵が多くいます。小学生のときにゲリラに拉致されそのまま兵士に仕立て上げられた人々ですが彼らが人を脅したり殺すのに使ったのもAK47でした。子供でも使える銃だったのです。彼らの多くは兵士をやめて社会復帰しても、自己抑制ができず気まぐれに「権力」を振るおうとし、社会のルールを守ろうとはせず、せっかく再会できた家族を悩ませています。
銃は、人を殺し、社会を壊し、撃った人の心も壊していくのです。
プロ野球の試合後ヒーローインタビューで多くのインタビューアは「放送席放送席」でインタビューを始めます(最近聞いた西武ドームのインタビューでは違った入り方をしましたけれど)。はて? ヒーローインタビューは球場のファンやTV・ラジオの視聴者のために行なわれるものではなくて、放送席にいるアナウンサーと解説者のために行なうものだったんですか? それだったら、インタビューアと放送席の間だけで掛け合いをやっててください。
【ただいま読書中】
小林英夫・柴田善雅 著、社会評論社、1996年、2700円(税別)
5月15日の読書日記に書いた『切手と戦争』の中でも触れられていましたが、重慶に籠った蒋介石政権に対して、香港ルートとビルマルートの太いパイプが海外からつながっていました(ベトナム戦争のホーチミンルートを連想します)。そのルートを絶つためには香港占領が日本軍には必要でしたが、イギリスに宣戦布告をせずに攻め込むわけにはいきませんでした。他方、イギリスも何が起きるかはわかっていますから、半年間は抵抗することを目処に準備を進めていましたが、海の守りは固い一方陸の守りが弱点でした。
結局1941年12月8日未明、慶徳空港の爆撃から日本軍の攻撃が始まりました。九龍半島の防衛戦を破られて香港島に籠るも結局25日にヤング総督は降伏文書に調印。イギリス人はこの日を「ブラック・クリスマス」と呼びます。
この戦いでの英軍(および植民地軍)の死者1555名、捕虜9495名、日本軍戦死683名、戦傷1413名。民間人の被害は不明ですが約4000人が死亡したと言われています。
戦争前香港の人口は約100万人でしたが中国各地の戦乱を避けた避難民によって開戦前には160万人まで膨れあがっていました。日本軍は軍政を敷き(香督指第一号は憲兵に関する規定です)、強権をもって人口削減を行ないました。2年間で100万人を追い出したのです。海南島の鉱山への労働者徴用も行なわれました。香港から送られて記録に残るのは20565名ですが、マラリアなどでばたばた死亡して、弔慰金の支払い事務が大変だったそうです。結局掘り出された鉄鉱石は船舶不足で山積みにされただけだったのですが。
憲兵による支配だけではなくて統治機構は中国人も使おうとしました。憲兵隊の下請けに使うだけではなくて、香港の上流階級によって構成される華民代表会は定期的に総督府と会合を行ないますが、その主な議題は「救済」「食料」「燃料」「治安」などでした。面白いのは1942年には「慰安所」が繰り返し取りあげられる大きな議題になっていることです。1942年1月には早くも1700人の慰安婦が香港に送り込まれましたが、地元の有力者は自分の縄張りに慰安所ができることを嫌って反対を繰り返したため、とうとう憲兵隊は華民代表会のメンバーを脅迫して香港各地に慰安所を設置しました。ただ、8ヶ月も粘ったのですから、中国人も大したものです。
占領初期には日本軍票1に対して香港ドル2の割合で交換が強制されましたが、1942年7月には突然1:4に交換比率が変えられ(中国人の財産は1/4になったわけです)、さらに香港ドルは流通停止とされました。
近くのマカオは、中立国ポルトガルの租借地でした。したがって日本はそこには手を出しません。マカオでは1943年までは日本軍票の方が高かったのですが、日本が敗色濃厚になってからは香港ドルの方が高くなります。すると日本軍は香港で回収した香港ドルをマカオに持ち込んで物資を購入しそれを香港で売れば大儲けできました。もっともインフレと物資不足で思ったほどには利益を上げられなかったようですけど。
少数民族による中国支配は、たとえば金・元・清と先例はあります。ですから日本人が少ないから中国の支配ができなかった、わけではないでしょう。では日本はなぜ失敗したのか。いろいろ原因はありそうですが、その一つは教育の軽視かと思います。フォーサイスの言う「失敗国家」からの連想です。日本軍は香港で学校をすべて閉鎖しそのほんの一部しか再開しませんでした。教育をきちんと行ない、そこで育った中国人を政治と経済の機構に組み込んでいけば、少数民族支配ができていた可能性はある、と私は考えます。まあ、インドやベトナムのように、宗主国で高等教育を受けた人が独立運動の中核になる可能性も高いですけど。
庶民の日常生活レベルでの「日本人と合唱」についてちょっと考えてしまいました。きっかけは、24日の読書日記に書いた『
大英帝国はミュージック・ホールから 』とうたごえ喫茶について書かれていたタカハシさんの日記です。
ミュージックホールでは集まった人達が同じ歌(国歌を含む)を歌うことで雰囲気が高まり連帯感を感じていたのですが、それは極めて西洋的な文化ではないか、と私は感じます。古くは教会の賛美歌。新しいところでは、ドイツに行った人から「ビアホールで皆が上機嫌で大合唱をしていた」と聞かされたこともありますし、アメリカの大リーグでは7回に観客が「私を野球場に連れてって」を楽しそうに合唱してます。西洋文化の伝統に基づいているからこそ庶民が生活の中で日常的に合唱を楽しんでいるのではないかと感じるのです。
対して日本ではどうでしょう。現在の日常生活で私たちは楽しく合唱をやってます? 古い合唱で私が思い出すのは進軍歌の「トコトンヤレ節(宮さん宮さん……)」ですがそれより遡って、たとえば武田騎馬軍が軍歌を歌いながら突撃……はちょっとなさそうですね。その時代にもあったであろう木遣り歌は神歌ですからあまり庶民の生活に密着とは言えそうにありませんし、村の寄り合いでの民謡は合唱かな?……そうだ、念仏の唱和は合唱に近いかもしれません。ただ、これも西洋的な合唱のありかたとは相当違うかな。
私は日本の伝統を大切にしたいという伝統主義者としての意識を持っています。すると国歌を皆で歌うのは御一新以後に輸入されて強制された西洋文化だからと、「君が代」合唱には反対の立場に立たなければならないのでしょうか。う〜む、困ったなあ。
何かあったら皆が歌を一斉に口ずさむような文化が定着して、その上に国歌を乗せたら皆が自然に国歌を歌うようになった、というのなら自然でしょうが、その逆をやるのは木に竹を接ぐような行為かもしれません。「国歌を歌う習慣」だけを定着させても「歌を歌う習慣」がなければ、時代や世代が変わればその習慣は簡単に廃れてしまいます。
【ただいま読書中】
日本SF作家クラブ編、早川書房、2000年、2200円(税別)
目次
巻頭言 非リアリズム文学の大陸へ! 大原まり子
あした 新井素子
ゴシック 荒巻義雄
なんと清浄な街 神林長平
ハル 瀬名秀明
異星の人・ふたたび 田中光二
彷徨える星 谷甲州
ドリームアウト 野阿梓
猫の天使 藤崎慎吾
逃げゆく物語の話 牧野修
龍の遺跡と黄金の夏 三雲岳斗
旅人の願い 森岡浩之
私は1980年頃からそれまでの「熱心なSFファン」から「やや熱心〜普通のSFファン」に成り下がりました。そんな私でも上記のラインナップを見たらその人の作品を読んだことがない人は二人だけというのには軽く驚きます。
「2001」を半端な数字ではなくてキリがよい数字と感じる人達への、これは新しいミレニアムを迎えるにあたっての日本SF作家クラブからの贈り物です。
一つ一つの作品について語っていたら終わりませんので、一つだけ。ネタバレにならないようにタイトルは伏せます。
まるで「MATRIX」を思わせるバーチャル世界でのミステリ(?)なんですが、そこでの登場人物が持つ世界観がやたらと面白いのです。たとえば殺人事件の場合、殺されかけた人の生死が、加害者の恨みと被害者の生への執着とのバランスで決定されるのです。まったく荒唐無稽な設定に思えますが、たとえば「呪い」が有効な世界(ほんの少し前の日本のことです)では、「呪う人の怨念+呪われる人の恐怖」が「呪われる人の生への執着」を上回ると、呪われた人は本当に死んでしまいます。この作品は残念ながら途中から腰砕け気味になってしまいますが、どうせなら平安時代を舞台にMATRIX世界(もどき)を展開したらものすごくおどろおどろしい作品になれたかもしれません。
巻末の著者紹介一覧を読んでいて、誰の誰ベエ ○○年××(都道府県)生まれ、というのがちょっと気になりました。せっかくSFなんだから、「日本生まれ」とか「地球生まれ」にはできなかったのかな……というか、将来短編集で「著者は20XX年地球生まれ、現在火星在住」なんて紹介を生きている内に読んでみたいものです。
花はきれいですが食べられません。ブルーベリーの実は現在未熟なのでやはり食べられません。う〜む、迷うなあ(何に?)
@niftyが終わろうとしていてわたわたしているので、今日は読書日記はお休みです。
最近のマスコミを見ていると、なんでもかんでも「癒し」「癒し」で、まるで癒しの大安売りですね。そんなに簡単にあちこちに癒しが転がっているのなら、心理学のプロがなぜ必要なのかなあ。
何年も前のことですが、大学で心理学を教えている人と話をしたときに「最近の学生の中に、妙にカウンセラー志望を前面に出す人がいるのが気になる」という話題が出ました。じっくり話を聞くと、そういった人の一部に「自分自身が心の傷を抱えているんだけど、それを否認するための手段として他人を癒す側に回ろうとする」人が混じっているんだそうです。そんな人がうっかりそのまま心理職になったらクライアントは困ります。自分の心の傷がカウンセラーの心の傷で歪んで増幅されてしまいますから。普通に心理学の教育と訓練をするだけでも大変だろうに、そんなことまでチェックする必要があるとは、教える側の人は大変だ、と同情してしまいました。(念のためですが、私は心に傷を持つ人が心理職になることには反対しません。自身が心に傷を持つことに自覚的でない人が心理職になることに反対しているのです)
近代外科学の父と呼ばれるアンブロワーズ・パレは16世紀に銃創治療(と四肢切断術)の革命を起こしましたが、「私が傷を処置し、神がそれを癒し給う」と述べました。決して「私が癒してやろう」ではありません。私がこれまでに出会った「癒す側(カウンセラーや医療者)」でこの人は信頼できると感じた人たちも皆「私が癒してあげるのだ」なんてことは言わない人ばかりでした。偶然でしょうか。
そうそう、クライアントには「一生自分を癒してくれる信頼できる人と出会いたい」が希望の人がいますが、カウンセラーの側は「縁が切れる(カウンセリングやセラピーがさっさと完了してクライアントが自立できる)ことが目標」だったりするんじゃないかな。
【ただいま読書中】
乾吉祐・平野学 編著、協力=日本臨床心理士会、ぺりかん社、2004年、1170円(税別)
『
13歳のハローワーク 』(村上龍著、幻冬社)で特定の職業に興味を持った人がその次に読むにはよいシリーズでしょう。本書は職業別に100冊以上出版されている中の一冊です。
……ただ、この本を読む前に、心理学と精神医学と心療内科の区別くらいはきちんとつけておいた方が良いかもしれません(本書の64ページに簡単に書いてはありますし、『13歳のハローワーク』にはこの三者が連続して記載されています)。
で、心理のお仕事ですが、かつては厚生省(医療/保健/福祉のカウンセラー)・文部省(学校カウンセラーなど)・通産省(産業カウンセラーなど)・司法(鑑別所・警察の相談室など)にきれいに縦割り分割されていて話がすっきりしませんでしたが、省庁再編ですっきりしたかというと……行革ってなんのためにやってたんだろう……おっと、話が横道に行ってしまいました。
それでなくても心理学にはいろんな流派があって外からはわかりにくいのです(私の知り合いで心理学には全く素人の人たちはたとえば「なんでフロイト派のカウンセラーは行動療法ができないんだ?」と平気で言います。「それは内科医に整形外科の手術をしろというようなものだ」とわかったようなわからないような例えで説明をしてあげるのですが、やっぱりわからないようで……)。さらに、勝手に自称している「カウンセラー」や「コンサルタント」の存在が混乱に輪をかけます。
いや、教育や資格の有無がすなわちレベルの保証にならないことは私にはわかります。だけど、正式の教育を受けず自分自身の歪みを他からチェックもされない(ケースカンファランスや学会での発表で厳しいチェックを受けたりせず、スーパーヴィジョン(カウンセラーが自分のやっていることや自分自身の心の偏りを別のカウンセラーにチェックしてもらうこと)もまったく受けない)人が日々他人の心をいじくっている、というのは、私のような心理学の外側にいる人間から見ても、ずいぶん危険なことのように思えるのです。
本書では臨床心理士になるためにはどうすればいいか、資格が取れたらどこで何ができるか(そして、食えるか)、についてきわめて具体的にまとめられています。様々な人の様々な悩みに対応するためには、様々なタイプの人が心理職に就くことが望ましいでしょう。教える側は大変でしょうけれど。本書がその入り口を広げてくれていることを祈ります。