笠井 南邨  抱撲集
笠井南邨。山梨県南巨摩郡中富町の出身。名は輝男。明治44年 2月 8日、生まれ。南村と号す。大東文化学院高等科を卒業し、同校で教授たり。後、故郷に帰り、山梨学院大学教授。漢詩文育英に従事する。著書、土屋竹雨 「猗蘆詩稿」 釈注。「漢詩の味」。

詩は、国分青崖。土屋竹雨。服部空谷に師事。笠井南邨は、博学にして才識有り。土屋竹雨の影響か、蘇東坡に傾倒。禅味あり。南村の詩集は進藤虚籟氏。(全日本漢詩連盟顧問、二松詩文同人。)が『抱撲集』編集され続いて『渭樹江雲』。も編集された。

進藤虚籟氏の尽力で我々は「笠井南村」の詩を拝読できる。師と仰ぐ後学の第一人者によって、編集され尊さを知る。番外の輩が詩集・訳註したものとは、意が違う。以って知るべし。

訳註者、進藤虚籟。名は晋一。号を虚籟。筆名を由比晋。医学博士。大東文化大学中国文学科講師。又、眼科医として長く活躍され、著書に「漢詩作法第一歩」、06年逝去。81歳。万年筆のコレクターとしての著書もある。


   陋 巷
陋巷怖炎熱。   陋巷 炎熱を怖れ
枕書窓下眠。   書を枕にして 窓下に眠る
疎庸日如此。   疎庸 日に此くの如し
豈不愧先賢。   豈に 不愧先賢に愧じ

  山中所見
夕日重巒紫翆濃。   夕日 重巒 紫翆 こまやかなり
白雲渓上独停筇。   白雲 渓上 独り筇を停む
暮鐘遠追西風発。   暮鐘 遠く西風を追って発し
響入山巓百尺松。   響き入る 山巓 百尺の松

  司馬光
拯朋砕甕気何雄。   朋を拯い 甕を砕く 気 何ぞ雄なる
走卒児童慕徳風。   走卒 児童 徳風を慕う
真個温公天下傑。   真個 温公は 天下の傑
一扁通鑑見精忠。   一扁の通鑑 精忠を見る
  ◆通鑑: 資治通鑑。司馬光の著書

  客 懐
天涯遠遊客。  天涯 遠遊の客
幾歳閲風塵。  幾歳 風塵を閲す
微録唯甘拙。  微録 唯だ拙に甘んじ
耽書不覚貧。  書に耽けて 貧を覚えず
支離憐散木。  支離  散木を憐れむ
瀟瀟愛疎筠。  瀟瀟 疎筠を愛す
未悔為形役。  未だ 形役と為るを悔いず
家山有両親。  家山 両親あり
  ◆散木:(無用之材:荘子に出ず)

   偶 作 (十三首の一)
痩骨鋒稜八尺珍。    痩骨 鋒稜 八尺の珍
何堪伏櫪受恩身。    何ぞ堪えん 櫪に伏する受恩の身
他時得遇王良御。    他時 王良の御に 遇うを得ば
萬里駆馳沙漠塵。    萬里 駆馳 沙漠の塵

   読楚辞国殤
尚文蔑武四千年。    尚文 蔑武 四千年
厭戦悲歌堪可憐。    厭戦の悲歌 憐むべきに堪えたり
若覓防人剛勇気。    若し防人 剛勇の気を 覓むならば
屈平唯有国殤扁。    屈平 唯だ有り 国殤の扁
  ◆屈平:屈原(離騒の篇)

   月下吟
重陽時節憶陶公。    重陽の時節 陶公を憶う
採菊看山百慮空。    菊を採り 山を看て 百慮空し
誰謂耽詩真隠逸。    誰か謂う 耽詩 真の隠逸
我推傲世古英雄。    我は推す 傲世の古英雄
異朝秩録何栄貴。    異朝の秩録 何の栄貴ぞ
斗室琴樽一固窮。    斗室 琴樽 一固窮
千載清標不可接。    千載の清標 接すべからず
悵然月下倚秋風。    悵然 月下 秋風に倚る


   憶山中客
曾尋遠公社。   曾って 尋ねる 遠公の社
縹緲入雲峰。   縹緲として 雲峰に入る
当面欲無径。   当面 径 無からんと欲す
上方唯有鐘。   上方 唯だ鐘あり
泉鳴門底壑。   泉は鳴る 門底の壑
日冷灯前松。   日は冷かなり 灯前の松
夢寐尚堪想。   夢寐も 尚を 想うに堪えたり
虚空枯坐容。   虚空 枯坐の容
  ◆遠公: 晋の高僧・慧遠のこと。蘆山の東林寺に住し白蓮社を結社する。

   題竹林七賢図
先呼叔夜薦杯觴。    先ず叔夜を呼んで 杯觴を薦む
爾酒爾琴千載芳。    爾が酒 爾が琴 千載に芳し
才到保身有遺憾。    才は保身に到り 遺憾あり
嘆磋不早做顛狂。    嘆磋するは 早く 顛狂を做さざりしを
  ◆この詩は嵆康を詠じたもの