盧照  
盧照(641~680)字は子昇。河北(幽州・范陽)の人。十歳の時、曹憲、王義方に従って蒼雅及び経史を授る。博学で文を善くした。初め鄧王に仕えた時、鄧王は甚だしく愛重し、曾って群臣に向かって、「慮は寡人の相如である」と言い称えた。後新都尉に拝せられが、手足拘(痙攣)の病に患い、憤を発して書を著はし幽憂子と言い、官を去り太白山中に方士の薬餌を服用していた。

後、疾がますます篤くなったので、陽翟の具茨山下に徒(イタ)り園数十畝を買い、予め墓を造って其の中に臥し、自ら「
高宗の時に吏を尚べば、自分は独り儒、武后の時に法を尚べば、自分は独り黄老、後に武后が嵩山を封じて屢賢士を聘すれば、自分は已い廃人である」と言って「五悲文」作って自ら傷んだ。

其の詞は騒人の風ありと言うので、頗る文士に重んぜられた。病むこと久しきに亘り終に親戚と決別し、頴水に身を投じて死んだ。年四十であった。彼は清狷の質で一生坎軻不遇で終わった。故にその詩は悲痛苦楚の韻が多い。

山花野草、目に触れるもの悉く厭世的の材料でないものはない。彼は曾って「長安古意」の一編を作って帝都の繁栄で、社会の風潮が日々に奢靡に流れるのを延べ、王侯貴族が金鞍の白馬で娟家に出入する状態を巧みに描写した。

その詞は壮麗、然もその意は慨世の余に出たものである。当時の軽薄の才子、柔媚の詩人とは全く撰を異にした。「長安古意」は唐詩選に載っている。「初唐の四傑の一人)でもある。
 

   梅花落
梅院花初発。   梅院の花が初めて発くも
天山雪未開.。   天山の雪は未まだ開かず
雪処疑花満。   雪ふる処は花満つるかと疑い
花辺似雪廻。   花辺は雪の廻るに似たり
因風入舞袖。   風に因りて舞袖に入り
雑紛向牀台。   紛に雑じりて牀台に向う
匈奴幾万里。   匈奴 幾万里
春至不知来。   春至るも来たるを知らず

詩語解説;
梅花落:楽府の題名,横吹曲に属する笛の曲。
梅領:梅の名所として有名な大庾嶺のこと。江西省の南部から広東省にまたがる山脈。白居易の「白紙六帖」曰:南部の梅散じるころ,北部にある梅が始めて花を開くと言う。
天山;新彊の北部からパミール高原に接する東西に走っている山脈の名。
牀台;化粧台のこと。

詩意=:;春が来て梅の花が咲いたのに,北方に遠征した夫は未だ帰って来ない,と言う一人身の妻の嘆きを詠んだもの。

    春晩山荘率題
田家無四隣。   田家 四隣無く
独坐一園春。   独り坐す一園の春
鶯啼非選樹。   鶯 啼いて樹を選ぶに非らず
魚戯不驚綸。   魚戯れて綸に驚かず
山水弾琴尽。   山水 琴を弾じ尽くし
風花酌酒頻。   風花 酒を酌むこと頻なり

年華已可楽。   年華 已に楽しむ可く
高興復留人。   高興 復た人を留める

詩語解釈。
田家:いなか家。
綸:つり糸。
風花:風に散る花。
年華:普通は歳月に用いるが,花の咲く時に限り用いるが,此処では春の景色を指す。

詩意。
率題とは「率」=にわかに。題する。興のわくままに,或る山荘で詩を題した。詩を書きつけた。
領聯の2句は初唐をして初唐らしい。美しい明るい。現代漢詩人はここから奪胎するが意有可し。



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                          01/19/2008   石 九鼎