謝霊運

  齋中読書        齋中に書を読む
昔 余 遊 京 華。     昔余れ 京華に遊べども
未 嘗 廃 邱 壑。     未だ嘗て邱壑を廃してより
矧 乃 帰 山 川。     矧んや乃ち 山川に帰るをや
心 跡 双 寂 寞。     心跡 双ながら 寂寞たり
虚 館 絶 諍 訟。     虚館 諍訟に絶え
空 庭 来 鳥 雀。     空庭 鳥雀来る
臥 疾 豊 暇 豫。     疾に臥して 暇豫豊に
翰 墨 時 間 作。     翰墨 時に間作る
懐 抱 観 古 今。     懐抱に古今を観る
寝 食 展 戯 謔。     寝食に戯謔を展ぶ
既 笑 沮 溺 苦。     既に沮溺の苦を笑い
又 哂 子 雲 閣。     又 子雲の閣を哂ふ
執 戟 亦 已 疲。     執戟も亦 已に疲る
耕 稼 豈 云 樂。     耕稼 豈に云に樂しまんや
萬 事 難 並 歓。     萬事 並びに歓び難し
達 生 幸 可 託。     達生 幸に託す可し

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昔、私は都の文物華やかな地に遊んだ時でも
丘や峪のある山中に隠れて自適の生活をしたいと言う望みを棄てたことは無い
まして山川の住居に帰った、優遊自適の生活を樂しむのは言うまでもない
今は心も行いも共に静かに落ち着いて暮らしている
うつろで、がらんとした館には、喧嘩や訴訟などで、人が来ることが絶えない
人もいない庭には鳥や雀が遊びにくる
疾に臥してからは、暇や樂しみが却って多く
文章なども時々作ってみる
自分に蓄えた智識で、古今の事物を観たり考えたりし
寝たり食事する日常の茶飯事には冗談などを言ってみたりするのである
周の長沮と桀溺が野に隠れて農耕の苦しみを味わった事の愚を笑い
禍を招いて天禄閣から身を投じた、漢の揚雄の愚を笑い
自分は太守を辞して帰った、侍郎として戟を執った揚雄が疲れたように自分も疲れてしまった長沮や桀溺のように耕したり、植えたりする農業など、どうして樂しむことが出来よう

人生の真の道理に通じて、無為自然に生命を生きる事に自分の身を寄せまかせる事ができるのが自分にとって幸いなことと思う

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謝霊雲(384 〜433)晉の将軍・謝玄の孫。文才があり顔延年と名を斉しくした。
豪奢な車服器物に特に意匠を凝らしたので世に「謝康樂式」といった。
詩文は陶淵明と並んで「陶謝」といい、顔延之と併称して「顔謝」と称される。
世人の誤解と誣告により、棄市の刑に死んだ。年49歳。
 詩話「謝霊雲」                                        11.24.01