金代元代詩人選 金王朝は(1115 ~1234年)は女眞族が満州・華北にまたがり,燕京(北京)また?京(開封)に都としたが,13世紀に入って蒙古に滅ぼされた。
宋は金に圧迫され,淮水を境として南に退き,杭州に都を建てた。所以,南宋の時代に中原を領有し北宋の文化を継承するものは金人である,との意識もあり,詩の盛んな時代であった。
その代表者は元好問(遺山)である。元遺山は金の滅亡の前年に,元の宰相耶立楚材に書を寄せて金の文化人の保護を依頼した。然し,?京で捕虜となった。軟禁生活を送る時から,亡国の歴史と文化を記録する目的で,中州集と言う金人の詩の詩集を作ることを始めている。有名な詩集に「御撰金詩」が有る。御撰金詩とは,清の聖祖の康熙48年に,右庶子の張予章ほか七人に勅して選進させた,御定四朝詩の金詩二十五巻を言う。四朝詩と言うのは,宋・金・元・明の四代の詩を指す。「御選金詩」について四庫全書總目には,金詩は二十五巻。作者三百二十一人としている。
○ 元好問 (金)
         論詩絶句
  心畫心声総失眞。   心畫心声 総て眞を失う
   文章寧復見爲人。   文章寧ぞ復た 人と爲もを見さん
   髙情千古閑居賦。   髙情千古 閑居の賦
   争信安仁拝路塵。   争か信ぜん安仁路塵を拝せしを

 (詩意)
  書は心の畫と言うとか,言は心の声とか言って,文字や文章は其の人の人格を現すもののように言われているが,それは真っ赤なウソ(嘘)で,文章は決してその人格を如実に現すものでは無い。その一例を挙げて見れば,かの晉の潘岳の如き,その作るところの「閑居賦」を見ればその高情は千古に卓絶するものの如く見え,誰とて賈謐に諂い(ヘツライ)事えて賈謐(かひつ)の出るごとに,その車塵を望んで拝伏した事実を信じる者はあるまい,との意で,潘岳の文行の背馳を責めたものである。

         読唐人愁詩戯作
  我輩情鍾不自由。        我が輩 情鍾りて自由ならず
   等閑白塵九分頭。        等閑に白塵す九分の頭   
   此懷豈獨騒人事。        此の懷 豈獨り騒人の事のみならんや
   三百扁忠半是愁。        三百扁忠 半ば是れ愁


○ 耶律楚材 (元)

         過濟源登裴公亭用間間老人韻
   山接青霄水浸空。      山は青霄に接し水は空に浸す
    三光婉婉水融融       三光は婉婉として水は融融たり
    風廻一鏡揉藍浅。      風廻りて一鏡 藍を揉して浅く
    雨過千峰溌墨濃。      雨過ぎて千峰 墨を溌して濃かなり


○ 泊顔  (元)
         過梅領岡留題
   馬首軽従庾嶺回。      馬首 庾嶺を軽従して回る
    王師到所悉平夷。      王師到る所 悉く平夷す
    擔頭不帶江南物。      擔頭 帶びず 江南の物
    只挿梅花一両枝。      只挿す梅花一両枝

  (詩意)
   元の将軍泊顔(ばやん)は太祖の命を受けて宋を撃ち,宋を平定して還る時,吾が天子の軍は至る所,勝利を得て,已に天下を平定し,今や吾が馬に跨り北に還る。吾が荷物の中には宋から分取った(ブントッタ)宝物など一つも無い。ただ梅の枝を挿んで還るのである。精練高潔の風が文字に現れている。
○ 陳 孚 (元)
         博浪沙
   一撃車中膽気豪。    一撃 車中 膽気 豪なり
   祖龍社禝已驚揺。    祖龍の社禝 已に驚揺s
   如何十二金人外。    如何せん十二 金人の外
   猶有人間鉄未錆。    猶を人間 鉄未だ 錆せざるあり

 (詩意)
  張良が車上の始皇帝を一撃の下に殺そうとしたのは実に豪膽の至りである。されば,この事があってから流石の秦の国家も動揺し始めた。例え兵器を錆して十二の金人を作って叛乱を予防しても,世間には消滅し得ない精神と言う鉄がある。所以,張良のこの挙となって現れたので,始皇帝の威勢と雖もこの精神を如何ともすることは出来ない。