故事成語考>3>史記
                  故事成語考 3
   ☆ 牛を椎す              ☆ 甘棠の愛
   ☆ 馬を相するに之れ痩に失す   ☆ 箕帚の妾
   ☆ 烏有                 ☆ 寄布の一諾
   ☆ 雲蒸龍変              ☆ 曲学阿世
   ☆ 轅下の駒              ☆ 錐の嚢中に処るが如し
   ☆ 蓋世の気              ☆ 愚者の一得
   ☆ 火牛の計              ☆ 群軽軸を折る
   ☆ 鼎を扛ぐ               ☆ 傾危の士
   ☆ 釜を破り舟を沈む          ☆ 鶏鳴狗盗


  牛を椎す (椎牛) 
 (史記・馮唐伝)
魏商は雲中の太守となり牛を椎す、五日に一度、牛を殺し、お客、軍隊の指揮官などにご馳走した 大将が兵卒を優遇することから、陣中でご馳走すること。

  馬を相するに之れ痩に失す(相馬失之痩)   
 (史記・滑稽伝)
馬の好し悪しを判断する時、その馬がたまたま痩せていると、他の長所を見落とし、うっかり駄馬と間違える。人間でも識別する際、相手が貧乏していると、その人格、才能を見誤り、とんだ見そこないをする。立派な人物でも、才能、人格を正しく判断してもらえない。

  烏有 (烏有)  
 (史記・司馬相如伝)
漢の司馬相如が『子虚賦』で、「子虚」⇒うそつき。「烏有先生」⇒何も無い先生。「無是公」⇒こんな人ないない公。の三人の架空人物を創作したことに始る。何にもない事。全くない。

  雲蒸龍変 (雲蒸龍変)   
 (史記・彭越伝)
雲蒸、は雲の群り起こり上空で雲に乗じ龍に化身して天に昇り、不思議な活動をすることから時運に際し、英雄。豪傑の士が立ち上がことを言う。いささかの権力を握ることさえ出来れば、自分の度量を発揮したいと思っていた。の言葉からくる。

  轅下の駒 (轅下駒)
 (史記・魏其武安列伝)
漢の武帝が内史を怒って言った、「お前は平生しばしば魏其と武安の優劣を申しているが、今日の朝廷の議論は萎縮して、車のながえに、繋がれた駒のようであった。」 轅は、ながえ。転じて、人に拘束されて、ぐずぐずすることの例え。力が弱く、動きのとれない例え。

  蓋世の気 (蓋世之気)
 (史記・頃羽本記)
一世を蓋い尽くすほどに勝れている意気。頃羽の辞世の詩にある言葉。楚の頃羽は悲しみ詩を歌い、憤り嘆き、自から詩を作って言った「自分の力は山を衝き崩すことができ、自分の意気は世のなかを、ひとのみするようだ。」

  火牛の計 (火牛之計)
 (史記・田単列伝)
戦国時代、斉の国の即墨城の将軍、田単が、敵の包囲を破る為に用いた計略。田単は千頭余り の牛に赤い布を着せ、刃を角にしばり、尾に油を注いだ葦を束ね、その端に火をつけ真夜中に敵 に向けて放つ。壮士5000人が後に続く、尾を焼かれた牛は怒り狂い、敵軍に突入。触れる物を 尽く殺傷し、遂に大勝したと言う。源平の戦いで、木曽義仲が倶利伽羅峠で奇襲に成功して平家 の大軍を破ったのは、此れを真似たものと言う。

  鼎を扛ぐ (扛鼎)
 (史記・項羽本紀)
大力の例え。文章にすぐれことを賞賛する言葉。「鼎」は、ものを煮る三本足の青銅器。たいへん重いので、上の二つの耳に棒を通して運ぶ。それを一人で持ち挙げることが出来ると言うことで、大力のあること。楚の項羽は力持ちなので、一人で持ち挙げることができたと言う。

  釜を破り船を沈む (破釜沈船)
 (史記・項羽紀)
決死で戦うこと。勝たなければ再び帰らない、という決心を示す言葉。戦いに出発する際に、釜を破壊し、帰りの船を沈めて、逃げ帰る用具を捨てて、必勝を期すことからでた言葉。

  甘棠の愛 (甘棠之愛)  
 (史記・燕世家)
すぐれた為政者に対する深い思慕の情。召公は村里をめぐり歩き、小林檎(甘棠)の木があると、その下で訴えや政治のことを決めた。召公が亡くなっても、人々は召公のことを思い、小林檎の木を懐かしみ、決して切らなかった。

  箕帚の妾 (箕帚之妾) 
 (史記・高祖紀)
人の妻となることの謙遜する言葉。呂公が言った、「季公ご自重ください、私には娘がおります、あなたの箕帚之妾として、貰ってやって、下さらぬか」

  寄布の一諾 (寄布之一諾)
 (史記・寄布列伝)
絶対に信頼できる承諾。一度承知したら必ず実行すること。「寄布」は楚の名将軍。始め項羽の将軍となったが、項羽が滅ぼされてから漢の高祖に従った。いったん引き受けたことは、間違い無く実行したので、人々から信頼された。

  曲学阿世 (曲学阿世)
〈史記・儒林伝)
正道にはずれた学問をして、世の中の評判にへつらい、人気を博そうとすること。漢の時代の袁固生は正しい学者でよく直言したが、彼が自分と一緒に召された公孫公に言った言葉。真理を曲げて時世におもねることで、学者として、とってはならない態度を教えたもの。

  錐の嚢中に処るが如し (若錐之処嚢中)
 (史記・平原君列伝)
才能の勝れた人は、衆中にあっても自然に頭角を現し、人に知られるようになる例え。錐を袋の中に入れておくと、直ぐにその先端が外に突き出てしまう。中国戦国時代に、趙の国の大臣、平原君が楚と同盟を結ぶために、従者二十名を連れて出発しようとしたが、一人足りなかった。毛遂と言う者が自分から随行を申し出た。この時、平原君が毛遂に言った言葉。

  愚者の一得 (愚者之一得)
(史記・淮陰侯列伝)
愚かな者でも、たまにはいい考えの一つぐらいはすること。  廣武君が言った「私はこう聞いている『知恵のある者でも、千の考えの中には必ず一つぐらいのハズレがあり、愚かな者でも、千の考えの中には必ず一つぐらいの当りがあると。』」

  群軽、軸を折る (群軽折軸)
 (史記・張儀列伝)
わづかなな重さなものでも、量がが多くなると恐ろしい力となる。積んだ車の軸が折れることもある 軽い羽でもあまり積みすぎると舟が沈み軸を折る。

  傾危の士 (傾危之士)
 (史記・張儀列伝賛)
弁舌が巧みで国家を傾け危うくする人。危険な人物。詭弁を弄して国を滅ぼすような人物をさす。蘇秦、張儀は、合従や連衡の策などの詭弁を弄して国々を危険にさらした、と言うことから司馬遷が批評した言葉。

  鶏鳴狗盗 (鶏鳴狗盗)
 (史記・孟嘗君列伝)
いやしい働きでしか出来ない、つまらぬ人物。中国の戦国時代の賢人、斉の孟嘗君が秦の昭王に虜になった時、犬の鳴き真似をする、こそ泥の名人に自分が昭王に献納した白狐の毛皮を盗み出させて、王の寵姫に献じて釈放された又、函谷関に逃れた時には、深夜で関門は鎖されていて、翌朝まで開かないと言う。その時、従者の中に、鶏の鳴き真似の名人がいて、その名人が鶏の鳴き真似をすると、本物の鶏までが、その声につられて鳴きだしたので、関門は開かれ、追っ手の来ないうちに、通過できた故事。




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