鹵莽解字
                       中国古典文学入門

「戦国策」は2000年前から戦争はどうしたら無くすることが出来るか。国家を隆盛になせるかが克明に記述したもの。之が基底にある。小国の魏や韓が秦の攻略から身を守った政策は、現在の日本の良いお手本となる相い通じるものがある。日本人と中国人とは決定的な思想感の違いがある。

中国人は過去の経験から絶えず教訓を引き出そうとする。対して日本人は、都合主義で、自分に不都合を指摘されると「過去を水に流そう」悪いことは「忘れる」と言う精神が根強い。周恩来は田中角栄の訪中に際して第一にこう言った。

○ 前事ワスレザルは、後事の師 (戦国策)
○ 宋代に?青と言う名将がいた。一平卒の出身であるが、戦の戦略に長じていた。連勝の連続であった。然し、将軍ともなれば、たんに戦が強いだけでは通用しない。総司令官は?青を呼んで、或る本を渡した。
将、古今を知ラザルハ、匹夫ノ勇ノミ。

『左伝』
と言う本である。力で戦う勇だけの武将から、頭で戦う智将へと変身するよう提示した。三国志で有名な孫権は呂蒙に「学問を習い自己開発せよ」と言って示した。

『孫子』『六韜』など兵法書。『戦国策』『史記』などの歴史書。呂蒙は発奮して、力で戦う武将から頭で戦う智将へと変身した。「無為自然」老子は処世の要諦としてこの無為自然と言う言葉を出す。無為自然。誤解するほど難解な哲学書である。

己の主体性を放棄して、成り行きに任す生き方を意味するものでも無い。と説く。自然界の奥底に普遍的な原理が働いていることを認める。これを『道』と名づけた。彼の言う「道」も厄介なシロモノである。即ち、自然界を離れて作為する者は、物の法則の一面しかとらえていない、これらはみな「道」から見れば役
立たずである。と説く。「道」を会得した者は、そういう一面的な立場をとらない。

老子は万物の根本になる真理を「道」と呼ぶが、その道をまた「一」と名ずけることが多い。「一を抱く」「天は一を得て清く、地は一を得て寧らかに、神は一を得て生ず」「万物は一を得て生ず」など、すべてその例である。では、知識による分割を許さない一は、何によって捉えることができるか、それは体験的な直
観によるしかない。老子は、このような直観を「明」と呼ぶ。

「命にかえるを常といい、常を知るを明という」「小を知るを明という」「その光を用いて、その明に復帰する」。直観の光に照らし出された姿が、そのものの真の姿だとする。

このように、相対差別の知識を否定する老子は、当然の結果として学問も有害無益なものとして否定する。「学を絶てば憂いなし」「聖(さかしら)を絶ち知るを棄つれば、民の利は百倍す」と述べる。従って知識で捉えた世界は、必ず右と左、彼と此、前と後ろ、善と悪、という相対差別の姿で表れる。孟子の道徳説と
して有名なのは「性善説」である。人間の本性を論ずる風潮は
孟子の前後から盛んになった。その中で、性善説を唱えたのが孟子であった。